明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」野分篇 5

340.『野分』式場益平からの手紙(4)――ゴーン・ウィズ・ザ・ウィンド


 本文改訂ということで言えばもう1つ、『坊っちゃん』の清のセリフ、

「もう御別れになるかも知れません。存分御機嫌よう」(『坊っちゃん』第1章)

 論者は先にこの「存分」を「随分」の書き間違いであると断じたが、同じ年に漱石はもう1度同じ書き間違いをしているようである。それは『野分』の白井道也のセリフにある。

「御前は兄の云う事をそう信用しているのか」
「信用したっていいじゃありませんか、御兄さんですもの、そうして、あんなに立派にして入らっしゃるんですもの」
「そうか」と云ったなり道也先生は火鉢の灰を丁寧に掻きならす。中から二寸釘が灰だらけになって出る。道也先生は、曲った真鍮の火箸で二寸釘をつまみながら、片手に障子をあけて、ほいと庭先へ抛り出した。
 庭には何もない。芭蕉がずたずたに切れて、茶色ながら立往生をして居る。地面は皮が剥けて、蓆を捲きかけた様に反っくり返っている。道也先生は庭の面を眺めながら
「①存分吹いてるな」と独語の様に云った。
「もう一遍足立さんに願って御覧になったら、どうでしょう」
「厭なものに頼んだって仕方がないさ」
「あなたは、夫だから困るのね。どうせ、あんな、豪い方になれば、すぐ、おいそれと書いて下さる事はないでしょうから……」
「あんな豪い方って――足立がかい」
「そりゃ、あなたも豪いでしょうさ――然し向はとも角も大学校の先生ですから頭を下げたって損はないでしょう」
「そうか、夫じゃ仰に従って、もう一返頼んで見ようよ。――時に何時かな。や、大変だ、一寸社迄行って、校正をしてこなければならない。袴を出してくれ」
 道也先生は例の如く茶の千筋の嘉平治を木枯にぺらつかすべく一着して飄然と出て行った。居間の柱時計がぼんぼんと二時を打つ。(『野分』第10章)

 道也の出掛けた留守に道也の兄が来る。

 表に案内がある。寒そうな顔を玄関の障子から出すと、道也の兄が立っている。細君は「おや」と云った。
 道也の兄は会社の役員である。其会社の社長は中野君のおやじである。長い二重廻しを玄関で脱いで座敷へ這入ってくる。
「②大分(だいぶ)吹きますね」と薄い更紗の上へ坐って抜け上がった額を逆に撫でる。
「お寒いのによく」
「ええ、今日は社の方が早く引けたものだから……」
「今御帰り掛けですか」
「いえ、いったんうちへ帰ってね。それから出直して来ました。どうも洋服だと坐ってるのが窮屈で……」
 兄は糸織の小袖に鉄御納戸の博多の羽織を着ている。
「今日は――留守ですか」
「はあ、只(たった)今しがた出ました。おっつけ帰りましょう。どうぞ御緩くり」と例の火鉢を出す。(『野分』第10章)

 この道也の①「存分吹いてるな」が、初出(ホトトギス)、初版(『草合』)はじめ全ての出版物で「大分吹いてるな」となってしまった。「存分吹いている」などという言い方は普通はしない。編集者(か植字工)はそう思って勝手に「大分(だいぶ)」に直した。もちろん「大分吹いてるな」でもとくに問題はない。しかしどうせ直すのなら、ここは『坊っちゃん』同様、「随分吹いてるな」と直すのが正しいのではないか。根拠は『坊っちゃん』の先行例ともう1つ、そのあとの兄のセリフ「大分吹きますね」である。
 吹いているのは12月の木枯らしである。そして久しぶりに訪れた兄もまた、②「大分吹きますね」と挨拶している。弟が少し前に同じセリフを吐いていけないとは言わないが、漱石がそんな迂闊なことをするとも思えない。この小説においても兄弟で気脈を通じるものは何もないのである。漱石はわざわざ(大分でなく)「存分」と、2人の表現を変えて書いている。であればここは少なくとも「大分」ではなかろう。漱石は「随分」のつもりではなかったか。明治39年に漱石は2回も(3月と12月)同じ書き間違いをしたわけである。
 思うに漱石は、若い女のテヨダワ言葉に準ずる言い方、「随分だわ」「随分ね」を連発するが、若い女でない人物(清と道也)のセリフの先頭の語として「随分」と書くときに、無意識ながらペンの先にいくらか躊躇するものがあったのではないか。

「もう御別れになるかも知れません。随分御機嫌よう」(『坊っちゃん』第1章本文改訂案)
(これはあくまでも岩波の平成版全集に対する改訂案であって、他の版はおおむね従来から「随分御機嫌よう」になっている。ちなみに平成版の漱石全集は原稿に準拠しているとはいえ、漱石に書き間違いがあるとすれば、そこは糺すのが筋であろう。)

 ・・・道也先生は庭の面を眺めながら
「①随分吹いてるな」と独語の様に云った。(『野分』第10章本文改訂案)

 この部分の本文を「随分吹いてるな」とする版は、(当然だが)この世に存在しない。しかしそのために長くとった本項の引用部分だけでも読み返してほしい。「随分吹いてるな」がいちばん自然である。何より「おかしい」ところが無いだけでもマシではないか。

・「存分吹いてるな」(漱石の原稿)・・・文章としておかしい。
・「大分吹いてるな」(従来の本文)・・・後段との重複はおかしい。
・「随分吹いてるな」(本項改訂案)・・・おかしいところはない。

 もう一度改めて当該箇所の前後の文章を見てみよう。当該第10章の書出しは以下の通りである。

 道也先生長い顔を長くして煤竹で囲った丸火桶を擁している。外を木枯が吹いて行く
「あなた」と次の間から妻君が出てくる。紬の羽織の襟が折れていない
「何だ」とこっちを向く。机の前に居りながら、終日木枯に吹き曝されたかの如くに見える
「本は売れたのですか」
「まだ売れないよ」(『野分』第10章冒頭)

 苦しい家計について道也と細君のやり取りが続く。

「でも夫じゃ、うちの方が困りますわ。此間御兄さんに判を押して借りて頂いた御金ももう期限が切れるんですから」
「おれも其方を埋める積で居たんだが――売れないから仕方がない」
「馬鹿馬鹿しいのね。何の為めに骨を折ったんだか、分りゃしない」
 道也先生は火桶のなかの炭団を火箸の先で突付きながら「御前から見れば馬鹿馬鹿しいのさ」と云った。妻君はだまって仕舞う。ひゅうひゅうと木枯が吹く。玄関の障子の破れが紙鳶のうなりの様に鳴る
「あなた、何時迄こうして入らっしゃるの」と細君は術なげに聞いた。(『野分』第10章)

 それから上記の長い引用文前半の道也の呟き、

「①随分吹いてるな」・・・

 につながるのである。しばらくして道也は出掛ける。

 道也先生は例の如く茶の千筋の嘉平治を木枯にぺらつかすべく一着して飄然と出て行った。居間の柱時計がぼんぼんと二時を打つ。

 独りになった細君は変人元教師の妻であることに思い悩む。

 ・・・広い世界に自分一人がこんな思をしているかと気がつくと生涯の不幸である。どうせ嫁に来たからには出る訳には行かぬ。然し連れ添う夫がこんなでは、臨終迄本当の妻と云う心持ちが起らぬ。是はどうかせねばならぬ。どうにかして夫を自分の考え通りの夫にしなくては生きて居る甲斐がない。――細君はこう思案しながら、火鉢をいじくって居る。風が枯芭蕉を吹き倒す程鳴る。(以上『野分』第10章)

 これに続いて上記引用文の後半、留守中に兄がやってきて、

「②大分吹きますね」・・・

 と挨拶するのである。兄は細君の愚痴を聴いてやる。そして道也を真人間に戻す策を練る。

 第10章の締め括りの文章は次の詩的な一文である。

 初冬の日はもう暗くなりかけた。道也先生は風のなかを帰ってくる。(『野分』第10章末尾)

 『野分』第10章は風(木枯らし)と共にある。そもそもなぜ野分というタイトルが付けられたのか。漱石は珍しく誰にも相談せず、確信的に『野分』という題名を即決している。題名ばかりでなく、漱石は文章にも充分に意を用いているのである。文章にも(絵画のように)タッチというものがある。あるいは(音楽のように)アクセントということがある。
「大分吹いてるな」(道也)
「大分吹きますね」(兄)
 小説のモチーフたる風を表現するのに、無神経に同じ言葉を重ねるわけがないのである。

 これも以前から述べていることであるが、漱石の生前に出た本に(誤植は別として)漱石の意にそぐわない表現があるはずがないという意見がある。少なくとも漱石は黙認していたのではないかとする意見である。論者はまったくそうは思わない。漱石に自分の本を読み返す趣味はない。漱石は自作を読み返さなかった。自作を読む(それもまた読書の範疇であろうか)ということにどんな意味があるのか。逆説的な言い方をすると、そんなことに貴重な時間を費消しているようでは、後世に残る作品は書けないということであろう。

 前に述べた「越後の高岡」は、間違いというよりは高岡という語の意味の取り違え。漱石はあまり深く考えずに高岡を架空かそれに近い地名と思ったようだ。三四郎の書いた宿帳の住所地と同じで、見たことも聞いたこともない場所なので、漱石にとってはどうでもいいのであった。
 いっぽう今回の「存分」は単なる書き間違いであろう。作家になりたての頃である。毎日何千と文字を書いていれば間違うこともある。間違いは普通は糺されるものだが、何かの「間違い」でそのまま残ってしまうこともある。ビートルズの初期のメガヒット曲 Please Please Me には、作者のジョンが歌詞を間違えてしまって(より正確には歌詞を間違えそうになってしまって)、少し笑いながら続きを歌っている有名な箇所がある。それもまた一興と見ることも出来るが、文学と音楽は違う。ファンゴッホのカンヴァスの隅っこには塗り残しの例がままあるが、補修しようと思う者はおるまい。しかし文学は絵画とも異なるのである。