明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 30

152.『須永の話』(8)――松本3姉弟の年表


 また年表の話である。自分で書いて恐縮だが、年表や暦を作ろうと調べていて、漱石の記述に問題がなかったためしがない。『彼岸過迄』でも、(森本のキャリアに平仄の合わない所があるのは置いておくにしても、)敬太郎が田口家と親しくなる期間が、小説の中で確保されていないと前に述べたが、市蔵・千代子の親たちの年齢についても、ヘンなところは探せば見つかるようである。

 前項で触れた田口の口調で思い出すが、田口は須永の父が目を掛けた後輩にして、母の妹の亭主である。田口は須永の母の義弟にあたるが、話し方をみても、年齢も実際に少し下のような感じを受ける。
 須永の母は当然須永に嫁いで須永姓になったのであろうが、旧姓はふつうに考えると松本である。末っ子の松本恒三が跡取り坊っちゃんである。彼らの年齢と、その間に挟まる田口の年齢について、ここで検証してみよう。一応基準の年齢を物語開始時の明治44年11月に置く。「今」は明治44年である(とする)

 このとき漱石45歳・鏡子35歳・筆子13歳・・・雛子2歳であるから、松本はまず45歳と見てよい。前項のカレンダーで比定したように、市蔵27歳千代子21歳スタート説も、おおむね妥当であろう。
 田口の年齢については、次の式が成り立つ。(田口以外が松本3姉弟である。)

〇須永の母 > 田口 > 田口の細君 > 松本(45歳)

 須永の母は市蔵出生時、「一つは自分に子の出来ないのを苦にしていた矢先だから」(『松本の話』5回)とあるから、結婚年齢にもよるが23歳~27歳、仮に25歳とすると、市蔵1歳のとき須永の母25歳なのであるから、今、市蔵27歳なら須永の母は51歳である。両端が決まれば、田口夫婦も大体決まる。

〇須永の母(51歳) > 田口(50歳) > 田口の細君(47歳) > 松本(45歳)

 須永の母は52、3歳までは、とりあえず引き上げ可能である。上げれば田口の年齢も上がる。田口の年齢が上がるのはいいが、あまり上げると、田口と松本の差が開き過ぎて、松本が田口を罵りづらくなる。反対に須永の母の年齢を下げると(49歳まで)、4人の並びが窮屈になってしまう。もちろん論理的には可能であるが、学校ではないのだから、1年ごとに人物が並んでいるのも異様な眺めであろう。

 次に千代子出生時の、田口夫婦の年齢について考えてみる。
 今田口50歳田口の細君47歳として、千代子は今21歳であるから、彼女の出生時(1歳)は、各々20年マイナスして、田口30歳・田口の細君27歳となる。田口の細君はいくら若く設定しても、せいぜい1年、26歳が限度である。弟松本より若くはならないからである(双子とは書かれていない)。
 すると姉たる須永の母が、子の出来ないのを苦にしていて、市蔵が生まれたのが25歳くらいの時であるから、田口の細君が千代子を産んだ時(27歳)はそれより晩くであり、ちょっと苦しいところであろう。

 この部分の調整は難しい。田口の細君の年齢は千代子のためにも下げたいところだが、そうすると繰り返すが松本の妹になってしまう。それに前項でも触れたように、須永の母と田口の細君の姉妹は、歳が大きくは違っていないような書き方がなされている。一葉(夏子)と邦子でさえ2年しか離れていないのである。上記想定(4年差)でも開き過ぎているくらいである。

 また須永の父母の結婚が父30歳・母20歳として、市蔵1歳・母25歳のとき父は35歳である。父の亡くなったのを仮に45歳くらいの時のこととすると、市蔵11歳・母35歳なら、このとき田口34歳・田口細君31歳・千代子5歳。百代子はまあ2歳くらい、松本は29歳でまだ御仙と結婚する前であろう。須永の父の葬儀のときに御仙はいなかった。これが松本家の骨上げに実姉2人が参加しなかった真因であろうか。

 敬太郎に須永という友達があった。是は軍人の子でありながら軍人が大嫌で、法律を修めながら役人にも会社員にもなる気のない、至って退嬰主義の男であった。・・・父は主計官として大分好い地位に迄昇った上、元来が貨殖の道に明らかな人であった丈、今では母子共衣食の上に不安の憂を知らない好い身分である。(『停留所』1回)

 ・・・此叔父(田口のこと)というのは須永の母の妹の連合で、官吏から実業界へ這入って、今では四つか五つの会社に関係を有っている相当な位地の人であったが、・・・(『停留所』3回)

 ・・・其頃の田口は決して今程の幅利(はばきき)でも資産家でもなかった。ただ将来見込のある男だからと云うので、父が母の妹に当るあの叔母を嫁に遣るように周旋したのである。田口は固より僕の父を先輩として仰いでいた何蚊につけて相談もしたり、世話にもなった。両家の間に新らしく成立した此親しい関係が、月と共に加速度を以って円満に進行しつつある際に千代子が生れた。其時僕の母は何う思ったものか、大きくなったら此子を市蔵の嫁に呉れまいかと田口夫婦に頼んだのだそうである。(『須永の話』5回)

 田口の結婚は千代子出産の1年前、29歳として、このとき須永の父は40歳。40歳の軍人須永が、自分のよく知る29歳の若手官吏田口に、自分の細君30歳(市蔵と妙の2子あり)の4歳年下の妹26歳を娶わせた。
 田口はどう考えても大学出であり、29歳といえば官途に就いたばかりの頃である。須永の妹ならともかく、須永の奥方の妹であれば、年齢が気になるところではないか。ふつうなら20歳そこそこの女を迎えないだろうか。繰り返しになるが、須永の母の妹(田口の細君)の年齢設定は苦しい。

 唯一の解決方法は松本の年齢を2つ3つ下げてしまうことだろう。事実後段で一見そうしたほうがよいと思わせるような記述もある。しかし漱石45歳長女筆子13歳のとき、松本長女咲子の13歳をそのままにして、松本だけ42歳にするとは、論者にはどうしても考えられない。漱石はそんな融通の利く人ではない。