明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 29

151.『須永の話』(7)――避暑地の出来事


14回 鎌倉まで~白い浴衣と白いタオル

彼岸過迄』の最大の事件は、前項の年表でいうと、市蔵26歳、千代子20歳の明治43年夏、市蔵は大学4年へ向けての長期休暇に入った頃のことである。
 市蔵は別荘に入るとき見た白い浴衣の男が気になる。洗い場で千代子に渡された白いタオル。
 後段(18回)で、駅へ父と弟を迎えに行く姉妹の穿いた白い足袋。以前にもあった『停留所』尾行事件で千代子の襟元を覆う「白い色の」マフラー・・・。(漱石は原稿の「白」という字に「いろ」とルビを振っている。『停留所』のこの部分の、漱石が本来書こうとした原稿の字面については、いずれどこかで触れたいが。)
 鎌倉といえば、『心』で描かれた先生と私の初会の場所として有名であるが、その日私が鎌倉の海で先生を見た時、先生は白い肌をした西洋人と一緒だった。この西洋人は当然小説の中では二度と現れなかった。

 白い色についての印象は論者の勝手な思いに過ぎないが、別荘での須永の母と田口の叔母との挨拶は、ふつうに読む限りでは、実の姉妹とはとても思えないものである。

 ・・・叔母と母が汽車の中は嘸暑かったろうとか、見晴しの好い所が手に入って結構だとか、年寄の女だけに口数の多い挨拶の遣取を始めた。(『須永の話』14回)

 鎌倉の別荘は自分のことを書いたのであるが、(これから始まる)市蔵と千代子のバトルに気を取られて、漱石は須永の母と田口の細君が実の姉妹であることを、一瞬忘れたのではないか。あるいは兄弟に同情の薄い漱石の地が出たか。まあそれは言い過ぎかも知れない。立場が変われば他人行儀な話し方になる、あるいはもともとそういう喋り方をする姉妹も、いないとは限るまい。ただここでは、この姉妹が、歳がそれほど違っていないことだけは、覚えておいてよいだろう。

15回 高木(1)~「貴方は親不孝よ」

 市蔵は泊まらずに用があるからすぐ東京へ帰ると言い出して、田口姉妹の顰蹙を買う。母や叔母も勿論そんなことを肯うはずがない。市蔵はあえて自分の意志は通さない。女連が泊まれと言うから泊まった。思うに市蔵は自分が主人でないような家では寝たくないのであろう。坊っちゃんは癇性で、自分の布団に寝ないと寝た気がしないので、子供の時から友達の家に泊ったことが無いと言う。癇性というのは我儘・子供っぽい・自己中心的にも繋がる性向であろう。

16回 高木(2)~別荘の門札を見に行く

 午後高木が来る。高木は非の打ち所がない好青年。自分と正反対と信じる市蔵は、相手をするのが苦痛である。高木が恐い。市蔵は嫉妬の感情に早くも気付いている。その感情の先に千代子がいることにも、たぶん気が付いているのだろう。

17回 嫉妬の研究~「相変らず偏窟ね貴方は。丸で腕白小僧見たいだわ」

 漱石の男は女性に決して無関心でない。しかし告白することはしない。断られたらプライドが傷つくので告白しない、というのは勿論あるが、漱石の場合それだけが理由ではない。漱石にはすべてを自分の責めに帰す、ということから何としても逃れたいという、切実な欲求が厳として存在する。
 美しい花も実をつけるためには枯れる。市蔵は花の朽ち果てるのを想像して、盛りの花を愛でないというのである。ましてや人と争ってまでそれを愛でる必要があるか。だから本来自分は嫉妬心とは遠い場所にいる。同時にそれは威張ることでもない。花の腐敗は自然の技であって自分の手柄ではない。
 しかし千代子のことで高木に対して嫉妬心を起こしたとすれば、これまでの自分の理屈は間違っていたことになる。これは愛だの恋だのとは次元の異なる、市蔵にとっては生の根源にかかわる大問題である。
 自分が間違っていると認めるのは、市蔵にとっては死よりも辛いことである。市蔵は嫉妬心を否定しているわけではない。自分にも人並みに嫉妬心はあるだろうと言っている。けれども前に述べた理由により、自分は千代子のこと、女のことでそれが生起するはずがないと思っていた。高木に嫉妬するくらいなら、千代子に対する恋情を認めた方がよい。
 市蔵の煩悶は千代子の方へは一歩も近づかないで、嫉妬に対する自分の処世観の是非に向けられた。これを世の女が理解できるわけがない。
 後段で千代子が市蔵の嫉妬心について涙ながらに訴えるが、市蔵は嫉妬心そのものに関心があったわけではない。市蔵は自分の嫉妬心に対する言い訳、論理が破綻するかも知れないことを怖れていたのであるから、「どうして嫉妬なさるんです」という千代子の非難は、市蔵にとっては「どうしてお前は生きているのか」と問われたに等しい。答えようがないのである。

18回 お出迎え~「あっ高木さんを誘うのを忘れた」

 前後の模様から推す丈で、実際には事実となって現われて来なかったから何とも云い兼ねるが、叔母は此場合を利用して、若し縁があったら千代子を高木に遣る積でいる位の打明話を、僕等母子に向って、相談とも宣告とも片付かない形式の下に、する気だったかも知れない。凡てに気が付く癖に、斯うなると却って僕よりも迂遠い母は何うだか、僕は其場で叔母の口から、僕と千代子と永久に手を別つべき談判の第一節を予期していたのである。幸か不幸か、叔母がまだ何も云い出さないうちに、姉妹は浜から広い麦藁帽の縁をひらひらさして帰って来た。僕が僕の占いの的中しなかったのを、母の為に喜こんだのは事実である。同時に同じ出来事が僕を焦躁しがらせたのも嘘ではない。(『須永の話』18回)

 母は男女のことについては「疎い」と言っている。これが後の市蔵とお作の疑似恋愛ゲームに繋がる、母の側からのアリバイとなるのだろうか。それともここでもまた、分裂しがちな須永の母の造型の、一面を見たに過ぎないのであろうか。

19回 混雑(ごたごた)する夜~「市さん何うだい、暑いじゃないか」

 夕食前に田口と吾一を駅に迎えた。田口は午後会社を早めに引き揚げていったん帰宅し、それから吾一を連れて新橋へ出たのであろう。田口はこの1週間で半分以上鎌倉に寝泊まりしているようである。現役の実業家らしからぬ勤勉さであるが、夕食時小鯵の干物が美味いと言った須永の母に対して、

漁師に頼んどくと幾何でも拵えて来て呉れますよ。何なら、帰りに持って入らっしゃいな。姉さんが好きだから上げたいと思ってたんですが、つい序が無かったもんだから。夫にすぐ腐(わる)くなるんでね」(同19回)

 この口ぶりはこれまでの漱石になかった調子の良さである。あるいは軽薄さ・胡散臭さ・不誠実さである。どこか『道草』の「養父」や「義父」を思わせないでもない。話は脱線するが、この『道草』の2人は、漱石の作品世界の中の人物に限定して言えば、漱石本人と最も懸け離れた場所に住む人物であろう。彼らに比べれば金田も赤シャツも、漱石の友人である。それは(「実父」も含めて)『道草』自体が例外的な作品であるからだよ、と言われそうであるが、『道草』を離れても、このときの田口の物言いは、それこそ例外的に作品の雰囲気を俗化させる。市蔵は田口や吾一と同じ部屋に寝ることになるが、それが嫌だったのか。あるいは高木という存在がよほど気に障ったのか。