明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 23

145.『須永の話』(1)――「神は自己だ」もしくは「論争してはいけない」


 淡い美しさを湛える緩徐楽章を挟んで、作品はいよいよ佳境(第5話『須永の話』、第6話『松本の話』)に入る。『須永の話』第3回からは話法まで変わる。『彼岸過迄』という小説は後半に入って書き方が変わったのである。
 年月の隔たりがあったわけではない。それどころか『雨の降る日』の逸話が千代子によって語られた「つい2、3日前の事」として、新しい物語は始まる。
 千代子には実業家との縁談があったようだ。そんなものがいつあったのか、と問うてはいけない。各篇の独立という建前は、これまでの3部作と異なったテイストをもたらす。読者もまたフレッシュになることが求められる。
 章立てと連載回の見出しも復活させたい。

第1章 生まれた時の約束(全6回)

1回 千代子の結婚話

 ①是は敬太郎が須永の宅で矢来の叔父さんの家にあった不幸を千代子から聞いた②つい二三日前の事であった。③其日彼が久し振に須永を訪問したのも、実は④此結婚問題に就いて須永の考えを確かめる積であった。(『須永の話』1回)

 ⑤其日は生憎千代子に妨たげられた上、⑥仕舞には須永の母さえ出て来たので、大分長く坐っていたにも拘わらず、立ち入った話は一切持ち出す機会がなかった。ただ敬太郎は偶然にも自分の前に並んだ三人が、有の儘の今の姿で、現に似合わしい夫婦と姑に成り終せているという事に不図思い及んだ時、彼等を世間並の形式で纏めるのは、最も容易い仕事の様に考えて帰った。
 ⑦次の日曜が又幸いな暖かい日和を凡ての勤め人に恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外に誘なおうとした。(同2回冒頭)

 一応物語の始まりを明治44年11月と仮定すると、前話『雨の降る日』が語られた梅の便りの日曜というのは、明治45年2月4日である。①の「これは」というのは、引用部分の前に書かれている、敬太郎が田口の家で書生から千代子の縁談の噂を聞いたことを指す。それが須永の家で千代子の口から宵子の事故の詳細を聞いた②「つい2、3日前」というのであるから、『須永の話』第1回の暦は明治45年2月1日(木)であろう。すると③の「その日」というのは、少し分かりにくいが千代子の語りの日(2月4日)であった。
 敬太郎は2月1日に田口家で聞いた千代子の縁談について、須永に確認するつもりもあって2月4日の日曜、これは久し振りに須永家を訪れた。ところがたまたま当の千代子が遊びに来ていて、⑤の「その日」は(③の「その日」と同じ)、何も聞き出せなかった。おまけに千代子の話の最後の方は、⑥須永の母まで出て来た。
 宵子の事故のいきさつは須永母子は旧年中から知っている。この日千代子は敬太郎のためだけにそれを語ったのである。舞台設定としては苦しいところであるが、漱石があえてそういうことにしたのであれば、そのプロの作家根性には敬服せざるを得ない。(須永の話も松本の話も、基本は同じである。この奇妙な「整合」が『彼岸過迄』という作品を救っている。)
 ところで④此結婚問題は、初版本では「其結婚問題」に改められている。この一見どうでもいいような改訂を漱石が行なったとはとても思えないが、これについては後述する。

 敬太郎が須永と千代子を一対の男女と見るのは、若い男の好奇心からでなく、男と女は寄り添って始めて完全であるという、敬太郎の「自然観」に由来する。
 前述した坊っちゃんの「嫁が貰いたくって仕方がない」という宣言は、この自然観から出たものであった。坊っちゃんは孤独や性欲に悩まされたのではなく、跡継ぎが欲しかったわけでもない。それより一刻も早く完全な人間になりたかったのである。

 漱石の辞書では「自然」=天=天意=神である。(一般的に)自然の対義語は人工であるとして、漱石に言わせると、「自然」(天意・神)のアントニムは「小刀細工」「人間の(低劣な)本性」であろう。
 凡俗は自然と人工の外にいて、無責任にもそれらを等間隔に眺めながら、自然は~、人工は~、と他人事のように論評する。
 漱石は自然も人工も2つながら自らの裡に引き受ける。あるいは背負う。
 漱石にとって「自然」(天意・神)とは眺めるものでない。外から論ずべきものでない。漱石は何事も自己を離れては存在しない。
 自然は眺めるものに非ず、その中にいて共に順うもの也、といったところか。
 この自然を神と置き換えれば、(『行人』で)長野一郎が「神は自己だ」と呟いたのも理解されよう。一郎は「私は神だ」と誇大に妄想したのではなく、神性も下劣な品性も、共に自己の内に在ると、当たり前のことを述べたに過ぎない。これが則天去私の行き方である。

 坊っちゃんや敬太郎が結婚するときは、自分の責任で、自分だけの判断では結婚しないだろう。結婚の目的が始めから凡俗と異なる。完全な存在になるために結婚するのである。あるいは欠陥を埋めるために結婚するのである。欠けたパーツを探求するのに、自分の自由な意志は出番がない。況や趣味嗜好をや。
 これが傍目には責任を取りたくない人のように映り、あるときは自分勝手なように見える。
 そうではない。(と断言は出来ないが)無責任なのではなく、嘘を吐きたくないだけなのである。間違いを犯したくないだけなのである。
 何事も自己に即して考え行動するため、時として周囲にはそう映るのであるが、本人は胃に穴が開くほど気にしている。
 漱石がことさらに探偵や実業を嫌うのも、自己の内にある詮索癖や物欲に対する嫌悪感と見れば、さして突飛な話ではない。

 ところでこの回、書生の名が佐伯であることが明かされるが、前作『門』で宗助の叔父にあたる主人物と同じ名である。後に鎌倉で市蔵の前に突如出現する高木なる青年も、読者は『それから』で佐川の縁者が高木であったことを思い出すだろう。
 登場人物に名前のない『心』で、書生の主人公の妹婿がただひとり関と呼ばれたが、『明暗』で清子が嫁いだ相手も同じ姓であった。趣きは異なるが、『明暗』では津田の痔の手術をした医師と、『明暗』のヴァガボンドたる津田の親友が、なぜか同じ小林という設定である。津田といえば『琴のそら音』の語り手(教師)の友人(学者)が津田君である。他にもあるかも知れないが、あまりほじくっていると愚な事と漱石には嗤われよう。
 漱石はわざとそうしているのだろうか。そうでもあるまい。細工を嫌う漱石であれば、執筆時に心に浮かんだ名前にまず、重きを置こうとするのだろう。前作と同じ名前の登場人物を配して、読者が余計な気を回すかも知れないとは、漱石は考えない。どこまでも自分に正直に書く。これもまた百年の命脈の、(些細ではあるが)原拠のひとつであろうか。

 しかし漱石の誠実さに寄り添った解釈とは別に、『彼岸過迄』の書生佐伯に対して、敬太郎が不快の念を抱いていることは明らかであるから、『門』で財産横領した叔父佐伯に対して、漱石はさらなる懲罰を加えようとしたのではないか。『門』では宗助は、佐伯に対する憎悪を、剝き出しにはしなかった。それは宗助の性質というよりは、漱石による抑制であったろう。すると同様に高木という人物は、主人公の根源的な苦悩に要らぬちょっかいを出す、憐れむべき俗物の隣人として名付けられていると言える。
 鷗外と論争するものじゃない、と明治の文学をかじった者は誰でも学習する。同様に漱石と論争してもいけないのである。鷗外と漱石に似たところは少しもないが、「論争してはいけない」相手であることだけは共通している。