明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」野分篇 34

369.『野分』全50回目次(1)――上篇(第1章~第5章)


 本ブログ坊っちゃん篇・草枕篇同様、『野分』全12章にも、新聞連載されたと仮定して、(仮想の)回数分けを行なってみる。回の内容を摘要したものや惹句も、論者が勝手に附けたものであることは言わずもがな。回数分けのガイドとなる本文見本を青色で、冒頭と末尾に分けて(改行を省略して)記載する。引用本文および頁と行番号の表示は、岩波書店版『定本漱石全集』第3巻「草枕二百十日・野分」(2017年2月初版)に拠る。ただし例によって現代仮名遣いに直している。
 なお全12章は上篇(第1章~第5章)、中篇(第6章~第9章)、下篇(第10章~第12章)に分かち、章ごとに登場人物と凡その暦を掲げた。通俗小説としての『野分』の進行ぶりが、よく分かると思われるからである。上篇はおおむね明治39年10月後半、中篇は11月から12月始めにかけて、下篇は12月中旬で日付が特定できる章も目立つ。

『野分』上篇 (全5章20回)

〇第1章 白井道也は文学者である (全4回)

 道也 VS. 細君 (明治39年10月下旬)

1回 田舎の中学を3度飄然と去る
(P261-2/白井道也は文学者である。八年前大学を卒業してから田舎の中学を二三箇所流して歩いた末、去年の春飄然と東京へ戻って来た。流すとは門附に用いる言葉で飄然とは徂徠に拘わらぬ意味とも取れる。道也の進退をかく形容するの適否は作者と雖も受合わぬ。縺れたる糸の片端も眼を着すれば只一筋の末とあらわるるに過ぎぬ。只一筋の出処の裏には十重二十重の因縁が絡んで居るかも知れぬ。鴻雁の北に去りて乙鳥の南に来るさえ、鳥の身になっては相当の弁解がある筈じゃ。始めて赴任したのは越後のどこかであった。越後は石油の名所である。学校の在る町を四五町隔てて大きな石油会社があった。)
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(三たび飄然と中学を去った道也は飄然と東京へ戻ったなり再び動く景色がない。東京は日本で一番世地辛い所である。田舎に居る程の俸給を受けてさえ楽には暮せない。況(ま)して教職を抛って両手を袂へ入れた儘で遣り切るのは、立ちながらみいらと為る工夫と評するより外に賞め様のない方法である。)

越後の石油の町~会社の紳士連と衝突~九州の炭鉱の町~金と実業家に逆らう~中国辺の田舎~旧藩主の華族に媚びない態度~教場は神聖である

2回 夫を理解する細君はこの世に在るか
(P264-9/道也には妻がある。妻と名がつく以上は養うべき義務は附随してくる。自からみいらとなるのを甘んじても妻を干乾にする訳には行かぬ。干乾にならぬ余程前から妻君は既に不平である。始めて越後を去る時には妻君に一部始終を話した。其時妻君は御尤もで御座んすと云って、甲斐々々しく荷物の手拵を始めた。九州を去る時にも其顛末を云って聞かせた。今度は又ですかと云ったぎり何にも口を開かなかった。中国を出る時の妻君の言葉は、あなたの様に頑固では何処へ入らしっても落ち付けっこありませんわと云う訓戒的の挨拶に変化して居た。七年の間に三たび漂泊して、三たび漂泊するうちに妻君は次第と自分の傍を遠退く様になった。)
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(手を引けば兄、引かるれば弟である。社会に立てば先覚者にもなる。校舎に入れば教師に違いない。去るを単に人と呼ぶ。人と呼んで事足るほどの世間なら単純である。妻君は常に此単純な世界に住んで居る。妻君の世界には夫としての道也の外には学者としての道也もない、志士としての道也もない。道を守り俗に抗する道也は猶更ない。夫が行く先き先きで評判が悪くなるのは、夫の才が足らぬからで、到る所に職を辞するのは、自から求むる酔興に外ならんと迄考えている。)

夫の社会的地位によって態度を変える細君は夫の知己とは云えぬ~人格が流俗より高い者は低い者の手を引いて高い方へ導いてやるのが責務~教育の目的は正しい判断の出来る人間を作ること~道也は正しい人である~細君は道也をただ夫と思っている

3回 もう田舎へは行かぬ教師もやらぬ
(P268-7/酔興を三たび重ねて、東京へ出て来た道也は、もう田舎へは行かぬと言い出した。教師ももうやらぬと妻君に打ち明けた。学校に愛想をつかした彼は、愛想をつかした社会状態を矯正するには筆の力によらねばならぬと悟ったのである。今迄はいずこの果で、どんな職業をしようとも、己れさえ真直であれば曲がったものは苧殻の様に向うで折れべきものと心得て居た。盛名はわが望む所ではない。威望もわが欲する所ではない。ただわが人格の力で、未来の国民をかたちづくる青年に、向上の眼を開かしむる為め、取捨分別の好例を自家身上に示せば足るとのみ思い込んで、思い込んだ通りを六年余り実行して、見事に失敗したのである。)
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(「足立か、うん、大学教授だね」「そう、あなたの様に高く許り構えて居らっしゃるから人に嫌われるんですよ。大学教授だねって、大学の先生になりゃ結構じゃありませんか」「そうかね。じゃ足立の所へでも行って頼んで見ようよ。然し金さえ取れれば必ず足立の所へ行く必要はなかろう」「あら、まだあんな事を言って入らっしゃる。あなたは余っ程強情ね」「うん、おれは余っ程強情だよ」)

道也の考えを田舎で通すには性急過ぎた~学校に愛想を尽かした道也は筆の力で立つ決心をする~細君は不安がいっぱい~さしあたって金がない~道也は兄を信用していない~同級生の足立は大学教授~「あなたはよっぽど強情ね」

〇第2章 高柳君と中野君 (全5回)

 高柳 VS. 中野 (明治39年10月下旬 ある日)

1回 高柳君昼食を奢られる
(P272-12/午に逼る秋の日は、頂く帽を透して頭蓋骨のなかさえ朗かならしめたかの感がある。公園のロハ台はそのロハ台たるの故を以って悉くロハ的に占領されて仕舞った。高柳君は、どこぞに空いた所はあるまいかと、さっきから丁度三度日比谷を巡回した。三度巡回して一脚の腰掛も思う様に我を迎えないのを発見した時、重そうな足を正門のかたへ向けた。すると反対の方から同年輩の青年が早足に這入って来て、やあと声を掛けた。「やあ」と高柳君も同じ様な挨拶をした。「どこへ行ったんだい」と青年が聞く。「今ぐるぐる巡って、休もうと思ったが、どこも空いていない。駄目だ、只で掛けられる所はみんな人が先へかけて居る。中々抜目はないもんだな」)
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(土鍋の底の様な赭い顔が広告の姿見に写って崩れたり、かたまったり、伸びたり縮んだり、傍若無人に動揺して居る。高柳君は一種異様な厭な眼付を転じて、相手の青年を見た。「商人だよ」と青年が小声に云う。「実業家かな」と高柳君も小声に答えながら、とうとうオレンジを絞るのをやめて仕舞った。土鍋の底は、やがて勘定を払って、序でに下女にからかって、二階を買い切った様な大きな声を出して、そうして出て行った。)

日比谷公園で散歩中の高柳君が中野君に逢う~女の着物がただ綺麗に見えるだけでは作家として失格か~レストランで生ビールとフルコースの洋食をご馳走になる~商人か実業家のような下品な客(土鍋の底)がいる

2回 高柳と中野の奇妙な友情
(P277-2/「おい中野君」「むむ?」と青年は鳥の肉を口一杯頬張っている。「あの連中は世の中を何と思ってるだろう」「何とも思うものかね。ただああやって暮らしているのさ」「羨やましいな。どうかして――どうもいかんな」「あんなものが羨しくっちゃ大変だ。そんな考だから卒業祝に同意しないんだろう。さあもう一杯景気よく飲んだ」「あの人が羨ましいのじゃないが、ああ云う風に余裕がある様な身分が羨ましい。いくら卒業したってこう奔命に疲れちゃ、少しも卒業の難有味はない」「そうかなあ、僕なんざ嬉しくって堪らないがなあ。我々の生命は是からだぜ。今からそんな心細い事を云っちゃあ仕様がない」)
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(縫い合わされた大島の表と秩父の裏とは覚束なき針の目を忍んで繋ぐ、細い糸の御蔭である。此細いものを、するすると抜けば鹿児島県と埼玉県の間には依然として何百里の山河が横わっている。歯を病んだ事のないものに、歯の痛みを持って行くよりも、早く歯医者に馳けつけるのが近道だ。そう痛がらんでもいいさと云われる病人は、決して慰藉を受けたとは思うまい。)

高柳君は早くも生活に疲れている~恵まれた境遇の中野君はそれが分からない~高柳君は無口で孤独な厭世家の皮肉屋~中野君は鷹揚で円満な趣味に富んだ秀才~この2人が親友である不思議

3回 中野君にも悩みはある
(P280-10/「君抔は悲観する必要がないから結構だ」と、ビステキを半分で断念した高柳君は敷島をふかしながら、相手の顔を眺めた。相手は口をもがもがさせながら、右の手を首と共に左右に振ったのは、高柳君に同意を表しないのと見える。「僕が悲観する必要がない?悲観する必要がないとすると、つまり御目出度い人間と云う意味になるね」高柳君は覚えず、薄い唇を動かしかけたが、微かな漣(さざなみ)は頬迄広がらぬ先に消えた。相手は猶言葉をつづける。「僕だって三年も大学に居て多少の哲学書や文学書を読んでるじゃないか。こう見えても世の中が、どれ程悲観すべきものであるか位は知ってる積りだ」「書物の上でだろう」)
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(「もう少し人間らしいのが居るかい」「皮肉な事を云う」「なに世の中が皮肉なのさ。今の世のなかは冷酷の競進会見た様なものだ」と云いながら呑みかけの「敷島」を二階の欄干から、下へ抛げる途端に、難有うと云う声がして、ぬっと門口を出た二人連の中折帽の上へ、うまい具合に燃殻が乗っかった。男は帽子から烟を吐いて得意になって行く。)

高柳君たちの大学は3年制~幸福そうに見える中野君にも色々心配事がある~高柳君は相手にしない~高柳君の散歩は新橋駅へ遺失物探しの序で~失くした物は生活費のための翻訳原稿

4回 白井道也を追い出した話
(P284-10/「おい、ひどい事をするぜ」と中野君が云う。「なに過ちだ。――ありゃ、さっきの実業家だ。構うもんか抛って置け」「成程先っきの男だ。何で今迄愚図々々して居たんだろう。下で球でも突いて居たのか知らん」「どうせ遺失品係りの同類だから何でもするだろう」「そら気がついた――帽子を取ってはたいて居る」「ハハハハ滑稽だ」と高柳君は愉快そうに笑った。「随分人が悪いなあ」と中野君が云う。「成程善くないね。偶然とは申しながら、あんな事で仇を打つのは下等だ。こんな真似をして嬉しがる様では文学士の価値も滅茶々々だ」と高柳君は瞬時にして又元の浮かぬ顔にかえる。「そうさ」と中野君は非難する様な賛成する様な返事をする。)
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(「何故だかわからない。只面白いから遣るのさ。恐らく吾々の仲間でなぜやるんだか知ってたものは誰もあるまい」「気楽だね」「実に気楽さ。知ってるのは僕等を煽動した教師許りだろう。何でも生意気だからやれって云うのさ」「ひどい奴だな。そんな奴が教師に居るかい」「居るとも。相手が子供だから、どうでも云う事を聞くからかも知れないが、居るよ」「夫で道也先生どうしたい」「辞職しちまった」「可哀想に」)

高柳君のアルバイトは地理教授法の翻訳~中野君は文士として立つ意欲を持つ~貧しい高柳君にはスポンサーが必要か~新潟の中学校時代に白井道也という英語の教師をいじめて追い出したことがある

5回 中野君は小説家志望
(P288-7/「実に気の毒な事をしたもんだ。定めし転任先をさがす間活計に困ったろうと思ってね。今度逢ったら大に謝罪の意を表する積りだ」「今どこに居るんだい」「どこに居るか知らない」「じゃ何時逢うか知れないじゃないか」「然しいつ逢うかわからない。ことによると教師の口がなくって死んで仕舞ったかも知れないね。――何でも先生辞職する前に教場へ出て来て云った事がある」「何て」「諸君、吾々は教師の為めに生きべきものではない。道の為めに生きべきものである。道は尊いものである。此理窟がわからないうちは、まだ一人前になったのではない。諸君も精出してわかる様に御なり」「へえ」「僕らは不相変教場内でワーっと笑ったあね。)
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(「無精で着換えないんじゃない。ないから着換えないんだ。此夏服だって、未だ一文も払って居やしない」「そうなのか」と中野君は気の毒な顔をした。午飯の客は皆去り尽して、二人が椅子を離れた頃はところどころの卓布の上に麺麭屑が淋しく散らばっていた。公園の中は最前よりも一層賑かである。ロハ台は依然として、どこの何某か知らぬ男と知らぬ女で占領されている。秋の日は赫として夏服の背中を通す。)

白井道也の餞別の言葉~中野君は幻想小説を書こうとしている~高柳君は人を平伏させる文章を書きたい~もう冬服の時期だが着る服もない~高柳君の夏服はまだ支払いも済んでいない

〇第3章 江湖雑誌の編輯記者 (全5回)

 道也 VS. 中野 道也 VS. 細君 (明治39年10月下旬 数日後)

1回 道也先生中野君の邸を訪問
(P292-9/檜の扉に銀の様な瓦を載せた門を這入ると、御影の敷石に水を打って、斜めに十歩許り歩ませる。敷石の尽きた所に擦り硝子の開き戸が左右から寂然と鎖されて、秋の更くるに任すが如く邸内は物静かである。磨き上げた、柾の柱に象牙の臍を一寸押すと、暫くして奥の方から足音が近づいてくる。がちゃと鍵をひねる。玄関の扉は左右に開かれて、下は鏡の様なたたきとなる。右の方に周囲一尺余の朱泥まがいの鉢があって、鉢のなかには棕梠竹が二三本靡くべき風も受けずに、ひそやかに控えている。正面には高さ四尺の金屏に、三条の小鍛冶が、異形のものを相槌に、霊夢に叶う、御門の太刀を丁と打ち、丁と打っている。)
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(「はあ、何でも出来ます事なら」と中野君は快く承知した。「実は今度江湖雑誌で現代青年の煩悶に対する解決と云う題で諸先生方の御高説を発表する計画がありまして、夫で普通の大家許りでは面白くないと云うので、可成新しい方も夫々訪問する訳になりましたので――そこで実は一寸往って来てくれと頼まれて来たのですが、御差支がなければ、御話を筆記して参りたいと思います」)

中野君は若旦那様~中野君の父親も学士であれ帝大の1期生か~ただし法科か理科である~西洋間の応接室~道也が名刺を出すと中野君ははっとする~普通の大家ばかりでは面白くない~なるべく新しい方もそれぞれ訪問することになった~そこで実はちょっと往って来てくれと頼まれて来た

2回 中野君の男女恋愛論
(P296-8/道也先生は静かに懐から手帳と鉛筆を取り出した。取り出しはしたものの別に筆記したい様子もなければ強いて話させたい景色も見えない。彼はかかる愚な問題を、かかる青年の口から解決して貰いたいとは考えて居ない。「成程」と青年は、耀やく眼を挙げて、道也先生を見たが、先生は宵越の麦酒の如く気の抜けた顔をしているので、今度は「左様」と長く引っ張って下を向いて仕舞った。「どうでしょう、何か御説はありますまいか」と催促を義理ずくめにする。ありませんと云ったら、すぐ帰る気かも知れない。「そうですね。あったって、僕の様なものの云う事は雑誌へ載せる価値はありませんよ」「いえ結構です」)
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(青年は筆記者が自分の説を聴いて、感心の余り少しは賛辞でも呈するかと思ったが、相手は例の如く泰然として只いいえと云ったのみである。「いや是は御邪魔をしました」と客は立ちかける。「まあいいでしょう」と中野君はとめた。責めて自分の説を少々でも批評して行って貰いたいのである。夫でなくても、先達って日比谷で聞いた高柳君の事を一寸好奇心から、あたって見たいのである。一言にして云えば中野君はひまなのである。)

テーマは現代青年の煩悶に対する解決~「青年の煩悶は多く取るに足りない~その中で恋だけは避けて通れぬ~最も痛切・深刻・劇烈な煩悶たる恋は人間を形作る~恋を経験して始めて人は解脱できる天国へも行ける」

3回 帰宅した道也先生
(P300-8/「いえ、折角ですが少々急ぎますから」と客はもう椅子を離れて、一歩テーブルを退いた。いかにひまな中野君も「夫では」と遂に降参して御辞儀をする。玄関迄送って出た時思い切って「あなたは、もしや高柳周作と云う男を御存じじゃないですか」と念晴らしの為め聞いて見る。「高柳?どうも知らん様です」と沓脱から片足をタタキへ卸して、高い背を半分後ろへ捩じ向けた。「ことし大学を卒業した……」「それじゃ知らん訳だ」と両足ともタタキの上へ運んだ。中野君はまだ何か云おうとした時、敷石をがらがらと車の軋る音がして梶棒は硝子の扉の前にとまった。道也先生が扉を開く途端に車上の人はひらり厚い雪駄を御影の上に落した。)
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(下女は帰った様である。煮豆が切れたから、てっか味噌を買って来たと云っている。豆腐が五厘高くなったと云っている。裏の専念寺で夕の御務めをかあんかあんやっている。細君の顔が又襖の後ろから出た。「あなた」道也先生は、いつの間にやら、筆記帳を閉じて、今度は又別の紙へ、何か熱心に認めている。「あなた」と妻君は二度呼んだ。「何だい」「御飯です」「そうか、今行くよ」)

あなたはもしや高柳周作と云う男を御存じじゃないですか」~玄関で中野君の婚約者とすれ違う~道也の家は柳町の近く市谷薬王寺~反故紙でランプの芯を拭く~丸めた紙を庭へ捨てる~道也は装飾のない生活~女は装飾だけで生きている

4回 湯豆腐と鉄火味噌の夕食
(P304-7/道也先生は一寸細君と顔を合せたぎり、すぐ机へ向った。細君の顔もすぐ消えた。台所の方でくすくす笑う声がする。道也先生は此一節をかき終る迄は飯も食いたくないのだろう。やがて句切りのよい所へ来たと見えて、一寸筆を擱いて、傍へ積んだ草稿をはぐって見て「二百三十一頁」と独語した。著述でもして居ると見える。立って次の間へ這入る。小さな長火鉢に平鍋がかかって、白い豆腐が烟りを吐いて、ぷるぷる顫えている。「湯豆腐かい」「はあ、何にもなくて、御気の毒ですが……」「何、なんでもいい。食ってさえ居れば何でも構わない」と、膳にして重箱をかねたる如き四角なものの前へ坐って箸を執る。)
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(「そう、あなたは、何でも始から、けなして御仕舞いなさるから、よくないんです。いくら教育が違うからって、気性が合わないからって、血を分けた兄弟じゃありませんか」「兄弟は兄弟さ。兄弟でないとは云わん」「だからさ、膝とも談合と云うじゃありませんか。こんな時には、ちっと相談に入らっしゃるがいいじゃありませんか」「おれは、行かんよ」「夫が痩我慢ですよ。あなたはそれが癖なんですよ。損じゃあ、ありませんか、好んで人に嫌われて……」)

寸暇を惜しんで執筆~台所で細君と下女が笑う~湯豆腐と鉄火味噌の夕食~「何でもいい。食ってさえいれば何でも構わない」~公正なる人格のために生きる~公正なる一の人格は百の華族・紳商・博士に優る~しかし生計は詰まる~壁に掛けられた細君の小袖

5回 細君は道也の兄の家へ金策に行った
(P308-9/道也先生は空然として壁に動く細君の影を見ている。「それで才覚が出来たのかい」「あなたは何でも一足飛ね」「なにが」「だって、才覚が出来る前には夫々魂胆もあれば工面もあるじゃありませんか」「そうか、それじゃ最初から聞き直そう。で、御前が兄のうちへ行ったんだね。おれに内所で」「内所だって、あなたの為めじゃありませんか」「いいよ、為めでいいよ。夫から」「で御兄さんに、御目に懸って色々今迄の御無沙汰の御詫やら、何やらして、それから一部始終の御話をしたんです」「それから」「すると御兄さんが、そりゃ御前には大変気の毒だって大変私に同情して下さって……」「御前に同情した。ふうん。――一寸其炭取を取れ。炭をつがないと火種が切れる」)
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(道也の言葉を聞いた妻君は、火箸を灰のなかに刺した儘、「今でも、そんな御金が這入る見込があるんですか」と不思議そうに尋ねた。「今は昔より下落したと云うのかい。ハハハハハ」と道也先生は大きな声を出して笑った。妻君は毒気を抜かれて口をあける。「どうりゃ一勉強やろうか」と道也は立ち上がる。其夜彼は彼の著述人格論を二百五十頁までかいた。寝たのは二時過である。)

道也はまだ兄を疑っている~細君は兄に百円の借金話を持ち掛ける~細君は頬骨の高い顔~もう1ヶ月もすれば百や二百の金は手に入る見込がある~今夜は20枚書いた

〇第4章 高柳君音楽会へ迷い込む (全4回) 

 高柳 VS. 中野 (明治39年10月下旬 ある日)

1回 高柳君慈善音楽会に誘われる
(P312-12/「どこへ行く」と中野君が高柳君をつらまえた。所は動物園の前である。太い桜の幹が黒ずんだ色のなかから、銀の様な光りを秋の日に射返して、梢を離れる病葉は風なき折々行人の肩にかかる。足元には、ここかしこに枝を辞したる古い奴ががさついて居る。色は様々である。鮮血を日に曝して、七日の間日毎に其変化を葉裏に印して、注意なく一枚のなかに畳み込めたら、こんな色になるだろうと高柳君はさっきから眺めて居た。血を連想した時高柳君は腋の下から何か冷たいものが襯衣に伝わる様な気分がした。ごほんと取り締りのない咳を一つする。形も様々である。火にあぶったかき餅の状は千差万別であるが、我も我もとみんな反り返る。)
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(打つものは打たれる。参るのは今度こそ高柳君の番である。一人坊っちと云う言葉を聞いた彼は、耳がしいんと鳴って、非常に淋しい気持がした。「いやかい。いやなら仕方がない。僕は失敬する」相手は同情の笑を湛えながら半歩踵をめぐらしかけた。高柳君は又打たれた。「いこう」と単簡に降参する。彼が音楽会へ臨むのは生れてから、是が始めてである。)

近頃は喜劇の面をどこかへ遺失してしまった~失くした原稿の捜査はもう御やめだ~西洋音楽会の切符がある~高柳君は気が進まぬ~「あれは徳川侯爵だよ」「よく知ってるね君はあの人の家来かい」~「いやかい?いやなら仕方がない僕は失敬する」「行こう」

2回 高柳君は始めての音楽会

(P316-12/玄関にかかった時は受付が右へ左りへの案内で忙殺されて、接待掛りの胸につけた、青いリボンを見失う程込み合って居た。突き当りを右へ折れるのが上等で、左りへ曲がるのが並等である。下等はないそうだ。中野君は無論上等である。高柳君を顧みながら、こっちだよと、さも物馴れたさまに云う。今日に限って、特別に下等席を設けて貰って、そこへ自分丈這入って聴いて見たいと一人坊っちの青年は、中野君のあとを付きながら階段を上ぼりつつ考えた。己れの右を上る人も、左りを上る人も、又あとからぞろぞろついて来るものも、皆異種類の動物で、わざと自分を包囲して、のっぴきさせず二階の大広間へ押し上げた上、あとから、慰み半分に手を拍って笑う策略の様に思われた。)
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(眼を移して天井を見る。周囲一尺もあろうと思われる梁の六角形に削られたのが三本程、楽堂を竪に貫ぬいて居る、後ろはどこ迄通っているか、頭を回らさないから分らぬ。所々に模様に崩した草花が、長い蔓と共に六角を絡んでいる。仰向いて見ていると広い御寺のなかへでも這入った心持になる。そうして黄色い声や青い声が、梁を纏う唐草の様に、縺れ合って、天井から降ってくる。高柳君は無人の境に一人坊っちで佇んでいる。)

「おい帽子をとらなくっちゃいけないよ」「外套は着ていてもいいのか」~場違いな薄汚れた着物~高柳君はこんな所へ来なければよかったと思った~中野君は3列後ろの女性に会釈している~高柳君は無人の境に独りぼっちで佇んでいる

3回 高柳君はたまらなく寂しい(高柳君の過去Ⅰ)
(P321-8/三度目の拍手が、断わりもなく又起る。隣りの友達は人一倍けたたましい敲き方をする。無人の境に居った一人坊っちが急に、霰の如き拍手のなかに包囲された一人坊っちとなる。包囲は中々已まぬ。演奏者が闥(たつ)を排してわが室に入らんとする間際に猶々烈しくなった。ヴァイオリンを温かに右の腋下に護りたる演奏者は、ぐるりと戸側に体を回らして、薄紅葉を点じたる裾模様を台上に動かして来る。狂う許りに咲き乱れたる白菊の花束を、飄える袖の影に受けとって、なよやかなる上躯を聴衆の前に、少しくかがめたる時、高柳は感じた。――此女の楽を聴いたのは、聴かされたのではない。聴かさぬと云うを、ひそかに忍び寄りて、偸み聴いたのである。)
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(「あの女を知ってるかい」「知るものかね」と高柳君は拳突を喰わす。相手は驚ろいて黙って仕舞った。途端に休憩後の演奏は始まる。「四葉の苜蓿花」とか云うものである。曲の続く間は高柳君はうつらうつらと聴いている。ぱちぱちと手が鳴ると熱病の人が夢から醒めたように我に帰る。此過程を二三度繰り返して、最後の幻覚から喚び醒まされた時は、タンホイゼルのマーチで銅鑼を敲き大喇叭を吹く所であった。)

高柳君の父親は7歳の時いなくなった~田舎では母が今でも独り~「君面白くないか」「そうさな」~画工が写生帖にスケッチ「泥棒だね顔泥棒」~休憩と後半の演奏~夢の中にいる高柳君はたまらなく不愉快

4回 道也の訪問を受けた中野君の話
(P325-15/やがて、千余人の影は一度に動き出した。二人の青年は揉まれながらに門を出た。日は漸く暮れかかる。図書館の横手に聳える松の林が緑りの色を微かに残して、次第に黒い影に変って行く。「寒くなったね」高柳君の答は力の抜けた咳二つであった。「君先っきから、咳をするね。妙な咳だぜ。医者にでも見て貰ったら、どうだい」「何、大丈夫だ」と云いながら高柳君は尖った肩を二三度ゆすぶった。松林を横切って、博物館の前に出る。大きな銀杏に墨汁を点じた様な滴々の烏が乱れている。暮れて行く空に輝くは無数の落葉である。今は風さえ出た。「君二三日前に白井道也と云う人が来たぜ」「道也先生?」「だろうと思うのさ。余り沢山ある名じゃないから」)
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(「僕は是で失敬する。少し待ち合せて居る人があるから」「西洋軒で会食すると云う約束か」「うんまあ、そうさ。じゃ失敬」と中野君は向へ歩き出す。高柳君は往来の真中へたった一人残された。淋しい世の中を池の端へ下る。其時一人坊っちの周作はこう思った。「恋をする時間があれば、此自分の苦痛をかいて、一篇の創作を天下に伝える事が出来るだろうに」見上げたら西洋軒の二階に奇麗な花瓦斯がついて居た。)

高柳君は肺をやられているようだ~白井道也が江湖雑誌の談話取材に来た話~道也の服装は高柳君と似たり寄ったり~西洋軒の前で別れる~高柳君はまた独りぼっち

〇第5章 ミルクホールで江湖雑誌を読む (全3回)

 高柳 VS. 道也の論文 (明治39年10月下旬 同じ日)

1回 高柳君ミルクホールに入る
(P329-9/ミルクホールに這入る。上下を擦り硝子にして中一枚を透き通しにした腰障子に近く据えた一脚の椅子に腰をおろす。焼麺麭を噛って、牛乳を飲む。懐中には二十円五十銭ある。只今地理学教授法の原稿を四十一頁渡して金に換えて来た許である。一頁五十銭の割合になる。一頁五十銭を超ゆべからず、一ヵ月五十頁を超ゆ可からずと申し渡されてある。是で今月はどうか、こうか食える。外から呉れる十円近くの金は故里の母に送らなければならない。故里はもう落鮎の時節である。ことによると崩れかかった藁屋根に初霜が降ったかも知れない。鶏が菊の根方を暴らしている事だろう。母は丈夫かしら。)
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(「百円や二百円もする帯をしめて女が音楽会へ行くと此帯が妙に気になって音楽が耳に入らぬ事がある。是は帯に拘泥するからである。然し是は自慢の例じゃ。得意の方は前云う通り祟りを避け易い。然し不面目の側は中々強情に祟る。昔し去る所で一人の客に紹介された時、御互に椅子の上で礼をして双方共頭を下げた。下げながら、向うの足を見ると其男の靴足袋の片々が破れて親指の爪が出て居る。こちらが頭を下げると同時に彼は満足な足をあげて、破れ足袋の上に加えた。此人は足袋の穴に拘泥して居たのである。……」)

地理学教授法の翻訳原稿料1枚50銭1月50枚以内~1月25円以内が高柳君の生活費~余所からの収入10円弱は故里の母へ仕送り~故郷はもう落鮎の時期~ミルクホールで江湖雑誌を読む~中野春台「僕の恋愛観」~にやりと笑う~「解脱と拘泥……憂世子」~これは少し妙だよ

2回 憂世子「解脱と拘泥」(江湖雑誌)
(P329-9/おれも拘泥している。おれのからだは穴だらけだと高柳君は思いながら先へ進む。「拘泥は苦痛である。避けなければならぬ。苦痛其物は避け難い世であろう。然し拘泥の苦痛は一日で済む苦痛を五日、七日に延長する苦痛である。入らざる苦痛である。避けなければならぬ。自己が拘泥するのは他人が自己に注意を集注すると思うからで、詰りは他人が拘泥するからである。……」 高柳君は音楽会の事を思いだした。「従って拘泥を解脱するには二つの方法がある。他人がいくら拘泥しても自分は拘泥せぬのが一つの解脱法である。人が目を峙てても、耳を聳やかしても、冷評しても罵詈しても自分丈は拘泥せずにさっさと事を運んで行く。大久保彦左衛門は盥で登城した事がある。……」)
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華族と云い貴顕と云い豪商と云うものは門閥の油、権勢の油、黄白の油を以て一世を逆しまに廻転せんと欲するものである。真正の油は彼等の知る所ではない。彼等は生れてより以来此油に就て何等の工夫も費やして居らん。何等の工夫を費やさぬものが、此大道徳を解せぬのは許す。光明の学徒を圧迫せんとするに至っては、俗人の域を超越して罪人の群に入る。)

拘泥は苦痛である~拘泥している間は解脱出来ぬ~解脱法第1:物質界に重きを置かぬものは物質界に拘泥する必要がない(釈迦や孔子)~解脱法第2:目立つことを一切しないと拘泥しなくて済む(常人)~江戸町人・芸妓通客・西洋紳士は始めから流俗に媚びて一世に附和する~第2の解脱法を極力第1に近付けるものが道徳である~この道を理解しないものを俗人という~理解しないのはまだ許されるがこれに圧迫を加えるものは罪人である

3回 高柳君は憂世子の論文に心を衝たれる
(P336-3/三味線を習うにも五六年はかかる。巧拙を聴き分くるさえ一ヶ月の修業では出来ぬ。趣味の修養が三味の稽古より易いと思うのは間違って居る。茶の湯を学ぶ彼等は入らざる儀式に貴重な時間を費やして、一々に師匠の云う通りになる。趣味は茶の湯より六ずかしいものじゃ。茶坊主に頭を下げる謙徳があるならば、趣味の本家たる学者の考は猶更傾聴せねばならぬ。趣味は人間に大切なものである。楽器を壊つものは社会から音楽を奪う点に於て罪人である。書物を焼くものは社会から学問を奪う点に於て罪人である。趣味を崩すものは社会其物を覆えす点に於て刑法の罪人よりも甚しき罪人である。)
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(「ハハハハ成程敏捷なものだ。夫じゃ御互に可成く食う事にしよう。敏捷にせんと、卒業してから困るからな」「そうよ。文学士のように二十円位で下宿に屏息して居ては人間と生れた甲斐はないからな」高柳君は勘定をして立ち上った。難有うと云う下女の声に、文芸倶楽部の上につっ伏していた書生が、赤い眼をとろつかせて、睨める様に高柳君を見た。牛の乳のなかの酸に中毒でもしたのだろう。)

結語「学徒は光明を体せん事を要す。光明より流れ出ずる趣味を現実せん事を要す。然してこれを現実せんがために、拘泥せざらん事を要す。拘泥せざらんがために解脱を要す」~文学士のように二十円くらいで下宿に屏息していては人間と生れた甲斐はない