明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」野分篇 20

355.『野分』どのような小説か(3)――道也のアリア


 何度も書くように『野分』は、複数主人公が互いに親密な会話を交わす、あるいはバトルを繰り広げるという意味で、通俗小説的であるとも言える。この書き方はそのまま次回作『虞美人草』に引き継がれ、そこでいったん打ち切られたかに見えたが、後に『明暗』で不死鳥のごとく甦った。(ドストエフスキィの書く小説が通俗小説であるという言い方が許されるなら、)『明暗』もまた通俗小説である。(漱石ワールドの中では、)『野分』はそれに先鞭を付けた記念碑的作品と言っていいが、小説の各章を主人公たちの「対決」という形で再定義することも可能であろう。主人公たちの果てしない対決といえば、前著(『明暗』に向かって)でも述べたように、まさに『明暗』の枠組みそのものである。『野分』はその意味でも、『道草』だけでなく『明暗』の礎となった稀有の小説であった。

第1章 道也 VS. 細君(1回目)
第2章 高柳 VS. 中野(1回目)
第3章 道也 VS. 中野
    道也 VS. 細君(2回目)
第4章 高柳 VS. 中野(2回目)
第5章 高柳 VS. 道也の論文
第6章 高柳 VS. 道也(1回目)
第7章 中野 VS. 婚約者
第8章 高柳 VS. 道也(2回目)
第9章 高柳 VS. 中野・婚約者
第10章 道也 VS. 細君(3回目)
     細君 VS. 兄
第11章 道也 VS. 細君(4回目)
     高柳 VS. 道也の演説
第12章 高柳 VS. 中野(3回目)
     道也 VS. 債権者
     高柳 VS. 道也(3回目)

 この表によると道也の対戦相手ごとの登場回は、細君4回、高柳君3回、中野君1回、債権者1回、そして論文と演説も、それぞれ読者聴者を相手の戦いと言えるから、1回ずつの登場と見なして、合計で11回(延で11章)と数えることが出来よう。
 高柳君のそれは、中野君3回、中野君夫妻として1回、道也3回、加えて高柳君は道也の論文、道也の演説に対峙していると見て各1回、合計9回(延9章)の登場である。
 先に「こっち」という書きぶりから、『野分』の主人公は高柳君であると断じたが、登場回数からは道也の方が主人公にふさわしいとも言える。実態としては雑誌論文の書き手や演説会の演者が道也であり、それを読んだり聴いたりする者が高柳君であることから、道也が野々宮さんや広田先生的な主人公、高柳君が三四郎的な主人公であろう。『三四郎』の真の主人公は野々宮宗八であるとする人も、また少なからずいるはずである。

 それはともかく、注目すべきは発言する主人公たる道也が、もう1人の主人公高柳君と直接対面するシーンであろう。それは上表の通り3度書かれるが、3回目は物語ラストにおける高柳君の短い告白で(道也の発言はほとんどない)、主張者道也が『野分』で真に言いたかったことは、高柳君が始めて道也の家を訪れて教えを乞う第1回目(第6章)、高柳君が病気による煩悶から自らの生い立ちを語った第2回目(第8章)に集約されている。
 第6章は、江湖雑誌(第5章)、演説会(第11章)と並んで、『野分』の中で、もう1つの重要な作者の意見が開陳される章であり、その意味ではこの両主人公の初回の会見シーンは、地味ながらも『野分』の隠れたハイライトと言ってよい。そこには「文学とは何か」について、具体的な主張がなされるという、近代小説として非常に珍しい記述が含まれている。

 文学とは何か。文学は他の学問と違う。道也の持論は、高柳君に対する「垂訓」の形で描かれる。

「ほかの学問はですね。其学問や、其学問の研究を阻害するものが敵である。たとえば貧とか、多忙とか、圧迫とか、不幸とか、悲酸な事情とか、不和とか、喧嘩とかですね。之があると学問が出来ない。だから可成之を避けて時と心の余裕を得ようとする。文学者も今迄は矢張りそう云う了簡で居たのです。そう云う了簡どころではない。あらゆる学問のうちで、文学者が一番呑気な閑日月がなくてはならん様に思われていた。可笑しいのは当人自身迄が其気でいた。然し夫は間違です。文学は人生其物である。苦痛にあれ、困窮にあれ、窮愁にあれ、凡そ人生の行路にあたるものは即ち文学で、それ等を甞め得たものが文学者である。文学者と云うのは原稿紙を前に置いて、熟語字典を参考して、首をひねっている様な閑人じゃありません。円熟して深厚な趣味を体して、人間の万事を臆面なく取り捌いたり、感得したりする普通以上の吾々を指すのであります。其取り捌き方や感得し具合を紙に写したのが文学書になるのです、だから書物は読まないでも実際其事にあたれば立派な文学者です。従ってほかの学問が出来得る限り研究を妨害する事物を避けて、次第に人世に遠ざかるに引き易えて文学者は進んで此障害のなかに飛び込むのであります」(『野分』第6章)

「わたしも、あなた位の時には、ここ迄とは考えて居なかった。然し世の中の事実は実際ここ迄までやって来るんです。うそじゃない。苦しんだのは耶蘇や孔子許りで、吾々文学者は其苦しんだ耶蘇や孔子を筆の先でほめて、自分丈は呑気に暮して行けばいいのだ抔と考えてるのは偽文学者ですよ。そんなものは耶蘇や孔子をほめる権利はないのです」(同上)

 道也が「江湖雑誌」に書いた『解脱と拘泥』や、演説会『現代の青年に告ぐ』の主張も、漱石の物の考え方がよく分かって便利であるが、『野分』第6章のこのくだりは、漱石の小説がなぜいつまでも読まれ続けるか、その理由の一端が示されているような気がする。

 同じことは第8章の「個人授業」にも言える。道也先生の訓えは、明らかに聴き手高柳君の存在が引き出したものである。道也の主張は、一部出版原稿『人格論』に重なるものであろうが、論文や演説からは得られない、対面した相手の心に直接染み込むメッセージがそこにはある。

 道也先生は高柳君の耳の傍へ口を持って来て云った。
「君は自分丈が一人坊っちだと思うかも知れないが、僕も一人坊っちですよ。一人坊っちは崇高なものです
 高柳君には此言葉の意味がわからなかった。
「わかったですか」と道也先生がきく。
「崇高――なぜ……」
「それが、わからなければ、到底一人坊っちでは生きていられません。――君は人より高い平面に居ると自信しながら、人がその平面を認めてくれない為めに一人坊っちなのでしょう。然し人が認めてくれる様な平面ならば人も上ってくる平面です。芸者や車引に理会される様な人格なら低いに極ってます。それを芸者や車引も自分と同等なものと思い込んで仕舞うから、先方から見くびられた時腹が立ったり、煩悶するのです。もしあんなものと同等なら創作をしたって、矢っ張り同等の創作しか出来ない訳だ。同等でなければこそ、立派な人格を発揮する作物も出来る。立派な人格を発揮する作物が出来なければ、彼等からは見くびられるのは尤もでしょう」
「芸者や車引はどうでもいいですが……」
「例はだれだって同じ事です。同じ学校を同じに卒業した者だって変りはありません。同じ卒業生だから似たものだろうと思うのは、教育の形式が似ているのを教育の実体が似ているものと考え違した議論です。同じ大学の卒業生が同じ程度のものであったら、大学の卒業生は悉く後世に名を残すか、又は悉く消えて仕舞わなくってはならない。自分こそ後世に名を残そうと力むならば、たとい同じ学校の卒業生にもせよ、外のものは残らないのだと云う事を仮定してかからなければなりますまい。既に其仮定があるなら自分と、ほかの人とは同様の学士であるにも拘わらず既に大差別があると自認した訳じゃありませんか。大差別があると自任しながら他が自分を解してくれんと云って煩悶するのは矛盾です」
「夫で先生は後世に名を残す御積りでやっていらっしゃるんですか」
「わたしのは少し、違います。今の議論はあなたを本位にして立てた議論です。立派な作物を出して後世に伝えたいと云うのが、あなたの御希望の様だから御話しをしたのです」
「先生のが承る事が出来るなら、教えて頂けますまいか」
わたしは名前なんて宛にならないものはどうでもいい。只自分の満足を得る為めに世の為めに働くのです。結果は悪名になろうと、臭名になろうと気狂になろうと仕方がない。只こう働かなくっては満足が出来ないから働く迄の事です。こう働かなくって満足が出来ない所を以て見ると、これが、わたしの道に相違ない。人間は道に従うより外にやり様のないものだ。人間は道の動物であるから、道に従うのが一番貴いのだろうと思って居ます。道に従う人は神も避けねばならんのです。岩崎の塀なんか何でもない。ハハハハ」(『野分』第8章)

 これらが『野分』で漱石が真に書きたかった「本音」であろう。このような作者の「小説作法」は、『野分』を以って打ち切られた。以後読者にはその成果物のみが届けられ続けたわけである。その意味で『野分』は漱石のディレクターズカットが付加された、極めてレアな作品であると言える。