明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」心篇 36

249.『先生と遺書』1日1回(6)――主人公が決断するとろくなことにならない


第8章 帰ってから (明治32年秋~冬)(25歳)

32回 御嬢さんは私を優先して世話を焼くようにみえた~10月中頃、Kの部屋から出る御嬢さんの後ろ姿を見る~御嬢さんがKと親しく接するのが気になって仕方がない
33回 11月、雨の富坂すれ違い事件~私は泥濘の中に足を突っ込む
34回 私は嫉妬に気も狂わんばかり~嫉妬は愛の半面ではないか~奥さんの心が分からないので告白できない~御嬢さんの心が分からないので心底好きになれない

 房総旅行からあっという間に半年経った。帰宅当初御嬢さんがKに比べて先生の方に優しく接するように見えたのは、先生の方がキャリアが長いせいで、あるいは本来先生の方をより信頼しているので、旅行中の不在に対して懐かしさが湧いたのであろう。しばらくするとまた慣れて、家の中ではどうしても立場上先生の方がKに比べて上手に出ることが多いので、御嬢さんは判官びいきというか生来の公平感や弱者への共感から、ついKに寄り添うようなところも見せるのだろう。
 とまれKは徐々に家族と打ち解け、先生の嫉妬心は益々募る。御嬢さんに対する恋情ははっきりしているのであるが、先生がなぜ自分の気持ちを表明できなかったのかというと、御嬢さんの返事の諾否が判断つかないからである。索引のついた女の気持ちも分からないのだから、ふつうの平凡な処女たる御嬢さんの気持ちが分からないのも無理はない。つまり先生は相手から求婚されない限り結婚は出来ない性格に生まれついている。
 あろうことかその先生がプロポーズしたのである。リアルタイムに漱石を読んで来た読者は腰を抜かしたのではないか。しかしプロポーズ(45回)から新聞連載では僅か11日後、最終回(56回)ではあるが先生は自殺を正式に決意する。小説での時間は10余年経っているとはいえ、余りにも早い判決と執行であろう。

第9章 Kの告白 (明治33年1月3日水曜~1月10日水曜)(26歳)
    Kの告白:1月5日金曜

35回 正月歌留多事件~2、3日後、奥さんと御嬢さんは市ヶ谷の親戚へ年始に出かける~女の年始は大抵15日過ぎだのに、何故そんに早く出掛けたのだろう
36回 1月5日金曜Kの告白~先を越された私は石になった~私は恐怖で口も利けない
37回 なぜ私はそのときKに同じことを打ち明けなかったのだろう~後悔で腰が据わらない~Kを避けて茶の間経由で外出、正月の街を歩き廻る~Kがなぜあんな告白をしたのか分からない
38回 夕食に間に合うように奥さんたちは急いで帰って来た~Kと私の押し黙った夕食~奥さんは夜おそく蕎麦湯を持ってきてくれた~深更Kに声をかける~今朝の件についてもう少し話をしよう~Kはなぜか乗り気でない
39回 1月6日土曜、7日日曜、家の中の空気は変わらない~Kは奥さん御嬢さんには何も言っていないようだ~また学校が始まり、私はKにこの話を進めるつもりかどうか尋ねるが、Kは答えたがらない

 年が明けると先生の手紙の日付け曜日は俄かに細かくなって行く。読者はいやでもその跡を追わざるを得ない。ここでは暦の進行を、小説の記述に沿って追いかけてみよう。

 其内年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多を遣るから誰か友達を連れて来ないかと云った事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。・・・

 それから二三日経った後の事でしたろう、奥さんと御嬢さんは朝から市ヶ谷にいる親類の所へ行くといって宅を出ました。Kも私もまだ学校の始まらない頃でしたから、留守居同様あとに残っていました。(以上『先生と遺書』35回)

Kの告白はまず1月5日金曜あたりであろう。歌留多会のあと2、3日して奥さんたちは出掛けた。その留守にKは私に告白したのである。

 Kの生返事は翌日になっても、其翌日になっても、彼の態度によく現われていました。彼は自分から進んで例の問題に触れようとする気色を決して見せませんでした。尤も機会もなかったのです。奥さんと御嬢さんが揃って一日宅を空けでもしなければ、二人はゆっくり落付いて、左右いう事を話し合う訳にも行かないのですから。・・・

 其内学校がまた始まりました。私達は時間の同じ日には連れ立って宅を出ます。都合が可ければ帰る時にも矢張り一所に帰りました。外部から見たKと私は、何にも前と違った所がないように親しくなったのです。けれども腹の中では、各自に各自の事を勝手に考えていたに違いありません。・・・(以上同39回)

Kの告白から2日は経過した。そのうちに3学期が始まった。講義開始は1月10日水曜あたりである。

第10章 上野公園の日 (明治33年1月12日金曜~1月13日土曜)(26歳)

40回 ある日図書館にいるとKが現われる~上野公園を散歩~Kは私にKの行為について意見を求めた~Kは悩んでいるようだ~自分が弱い人間であるのが恥ずかしい~Kは進むべきか否か迷っていると言う~退ぞこうと思えば退ぞけるのか~Kは返事が出来ず、ただ苦しいと言う
41回 私はKを試合の対戦相手のように観察する~「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」~Kは果して豹変するだろうか~「馬鹿だ、僕は馬鹿だ」~Kは自信を失っているのか
42回 私は御嬢さんをKに渡したくない~私は卑怯にもKを責めることにした~Kは苦しがった「もうその話は止めよう」~「君の言い出したことである。止めてもいいが、ただ口の先で止めても仕方ない。君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。君は平生の主張をどうするつもりか」~「覚悟、――覚悟ならない事もない」~帰宅して2人とも沈んだ気持での夕食
43回 Kの精進と強い意志の生活は、御嬢さんへの愛を育まないようだ~私はKへの攻め口を見つけて得意になる~Kは深夜襖を開けて私に声をかける~Kは何か私に言いたいことがあるのか~翌日一緒に登校~「覚悟」というKの言葉を思い出す

 39回と40回のインターバルは不明である。数日ともとれるし1週間くらい開いているようにも読める。しかしあまり間延びすると、Kの告白はなかったことにされてしまいそうである。とくに張本人のKが何も追加の発信をしないのだから、時間を置き過ぎるといつまでもこだわる私の方が間が抜けて見える。
 そしてこの40回~43回で書かれた上野公園散歩の日は、授業の後図書館でKと会ったことがきっかけになっており、翌日講義があると明記されているので(43回)、少なくとも土曜・日曜のことではない。ここでは仮に最も近い日程を撰んで1月12日金曜としておく。その理由は次回以降で明らかになる。

告白以来沈黙を守るKを上野公園で責めて、「覚悟」という言葉を引き出した日を、仮に最速1月12日金曜とする。

 仮にそうだとすれば、Kが先生に告白して1週間経ったことになる。Kは明らかに告白したことを後悔している。実際しゃべってしまったことを後悔したとして、では御嬢さんに恋をしたという事実は撤回するのだろうか。単に先生にしゃべってしまったことだけを後悔しているのか。
 先生は「覚悟」という言葉から、Kの御嬢さんに対する意志は変わらないと判断してしまった。この判断が間違っていたと、漱石は言いたいようであるが、告白してから、Kの御嬢さんに対する気持ちが変化したかどうかは、永遠の謎である。小説には当然ながら(先生の手記であるからには)Kの内奥までは描かれない。(おそらく告白の経験のない漱石には分からなかったのであろう。分からなかったから書かなかったのであろう。)

 言っても詮無いことだが、もしこのとき先生がKの御嬢さんに対する気持ちを再確認し、Kが御嬢さんへ向かうことを躊躇していることが判れば、先生は自分もまたKと似たような情況にあること、御嬢さんに対する恋心、それを露わにすることへのためらいまでKに打ち明けることが出来たのではないか。先生が正直に打ち明ければ、清廉なKは涙を流さんばかりに歓び、自ら犯してしまった(と信じた)過ちを悔いて、心から先生を応援したであろう。つまり潔く身を引いて、(嫌な言い方だが)御嬢さんを先生に譲っただろう。道を究めたいKは再び精進の日々へ戻れるのである。先生もKも救われるが、『心』という小説は救われない。