明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 8

130.『停留所』一日一回(1)――1回~5回


 さて『彼岸過迄』に戻って、第2話『停留所』全36回は、第5話『須永の話』全35話と並んで『彼岸過迄』では最長の「短篇」にあたる。ページ数は『須永の話』の方が少しだけ多いようだ。後半に進むにつれ連載1回あたりの行数が微増するというのは、『彼岸過迄』と『行人』(第4話『塵労』を除く)だけに見られる特徴のようでもある。胃の調子が関係しているのか。(『明暗』は別物である。『明暗』は後半で漱石の原稿の「枚数」そのものが、明らかに増していることに誰でも気付く。死を控えてより饒舌になったというわけではあるまいが。)

1回 母子家庭の須永は高等遊民候補者

 敬太郎は就職運動に行き詰って、警視庁の探偵をしてみたいと言ったり、そんな酷いことは出来ないと言ったり、一向定まらない。

2回 神田須田町の須永の家は仲働きと下女の4人暮し

 敬太郎は須永の家の前で門を入る女の後ろ姿を見る。格子戸越しに女の下駄が見える。女は誰か。須永の家には誰がいるのか、いないのか。敬太郎は想像の強い男である。あれこれ推理をめぐらす。探偵の素質があると言っては、作者に先回りを咎められよう。しかし出だしの1回2回とも、ストーリー展開のための露骨な伏線であることに違いはない。
 この段階での有効なメッセージは、「須永の家は彼と彼の母と仲働きと下女の四人暮しである事を敬太郎はよく知っていた」の1点である。

 

3回 内幸町の叔父は須永の母の妹の連れ合い

 須永は家にいた。敬太郎は女の存在を気にしつつ2階の須永の部屋へ上る。
 敬太郎も須永と同じく父がいないが、結婚した妹が1人いる。母は田舎で独り暮し。家作があるのでまあ困らない。敬太郎がなかなか就職しないのも、切羽詰まらないからである。
 その就職については、須永の叔父にも頼んである。

4回 本郷台町の敬太郎の下宿は三階建てである

 須永のおしゃべりとして、自然主義ふうの逸話がいくつか語られる。漱石も新聞読者の手前、流行にまったく無関心というわけにもいかない。
 須永もまたその自然主義一派の好むような体験の持ち主か。漱石がそれを直截に描けば、漱石もまた自然主義の大家と称されたであろう。漱石はその役目を敬太郎に押し付けた。敬太郎こそいい面の皮であろう。もちろんそれを最初に告発できるのは三四郎であるが。

 ところで敬太郎の下宿の部屋は3階であった。『風呂の後』で窓からの景色を称美する趣味人森本の記述がある。これはあるいは露西亜文学の(風刺的な)引用かも知れない。どぎつい描写の合間に、抒情的な詩文が挟まる。漱石もあざとくそれを取り込んで見せたのか。森本の部屋も今から思えば3階にあったようである。

5回 敬太郎と須永は塩原金之助と夏目金之助のことか

 『停留所』第5回は、前の第4回を引き継いだ、とくにどうということのない回である。なくてもストーリーはつながる。しかし興味のある読者はぜひ読み返してほしい。
 この回ほど漱石の本音の出ている回はないだろう。漱石がなぜ博士号を拒絶したかも何となく分かる。江戸の子漱石は明治の東京に顕彰されるのを潔しとしなかった。というのが言い過ぎであれば、単に居心地が悪かったのである。

 要するに敬太郎はもう少し調子外れの自由なものが欲しかったのである。けれども今日の彼は少くとも想像の上に於て平生の彼とは違っていた。彼は徳川時代の湿っぽい空気が未だに漂よっている黒い蔵造の立ち並ぶ裏通に、親譲りの家を構えて、敬ちゃん御遊びなという友達を相手に、泥棒ごっこや大将ごっこをして成長したかった。月に一遍宛蠣殼町の水天宮様と深川の不動様へ御参りをして、護摩でも上げたかった。(現に須永は母の御供をして斯ういう旧弊な真似を当り前の如く遣っている。)夫から鉄無地の羽織でも着ながら、歌舞伎を当世に崩して往来へ流した匂のする町内を恍惚と歩きたかった。そうして習慣に縛られた、且習慣を飛び超えた艶めかしい葛藤でも其所に見出したかった。(『停留所』5回)

 読点が少ないことに気付けば、この文章がいつもの新聞小説作家漱石でないことが分かる。珍しく括弧書きで書いてある箇所も含めて、漱石がこのくだりに意を注いでいるのが伝わって来る。漱石は小説の中では幼時の哀しさを書かなかった。エッセイでは題材として採り上げても、多くは抒情の下に隠し通した。『道草』で少し開き直ったものの、すべてを曝け出したわけではあるまい。

 ところで須永の母について、珍しくこの回で言及がある。上記引用文のすぐ前に位置する文章である。

 ・・・其所へ長唄の好だとかいう御母さんが時々出て来て、滑っこい癖にアクセントの強い言葉で、舌触の好い愛嬌を振り懸けてくれる折などは、昔から重詰にして蔵の二階へ仕舞って置いたものを、今取り出して来たという風に、出来合以上の旨さがあるので、紋切形とは無論思わないけれども、幾代も掛って辞令の練習を積んだ巧みが、其底に潜んでいるとしか受取れなかった。(同5回)

 須永の母は後章でどのように描かれるか。須永の母はこのような喋り方をしたか。漱石ファンとしては待ち遠しい所である。

 そしてあとひとつ。この回でようやく第1話『風呂の後』を参照する1節が登場する。それはもちろん前の項でも断った洋杖の再登場である。

 此洋杖は竹の根の方を曲げて柄にした極めて単簡のものだが、ただ蛇を彫ってある所が普通の杖と違っていた。尤も輸出向に能く見るように蛇の身をぐるぐる竹に巻き付けた毒々しいものではなく、彫ってあるのはただ頭丈で、其頭が口を開けて何か呑み掛けている所を握にしたものであった。けれども其呑み掛けているのが何であるかは、握りの先が丸く滑っこく削られているので、蛙だか鶏卵だか誰にも見当が付かなかった。森本は自分で竹を伐って、自分で此蛇を彫ったのだと云っていた。(同5回末尾)

 上記引用最後の一文は、『風呂の後』で紹介された洋杖についての記述とは少し異なるようである。森本は手紙で、「夫から上り口の土間の傘入に、僕の洋杖が差さっている筈です。あれも価格から云えば決して高く踏めるものではありませんが、僕の愛用したものだから、紀念のため是非貴方に進上したいと思います。」(『風呂の後』12回)と書いている。森本は(彫刻)作家ではないから、ステッキが自作だとすれば、「価格からいえば」という書き方には少し無理がある。森本はそのステッキを元々道具屋かどこかで「買った」のであろう。それとも『停留所』は『風呂の後』とは別の小説であるから、細かな整合は却って鑑賞の妨げになるとでもいうのだろうか。まあ江戸の粋とはそんなもの(不整合・非対称)であるとは言えるが。