明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 12

98.『門』コントのあとは主役の失踪(1)――佐伯の夫婦はイトコ同士


 第1回第2回がショートコントだとすると、小説の本当の始まりが第3回なのだろうか。『門』第1章第3回は、何と主役宗助が日曜に独りで散歩に出た留守中の話になっている。叙述は早くも宗助を去って、御米と小六に移る。これは『三四郎』『それから』に決して見られなかった書き方である。いったい三四郎のいない場所で美禰子と野々宮が、あるいは代助と無関係に平岡夫妻が、互いに何事かを語り合う場景(が描かれること)を想像できるだろうか。前2作の読者としてはこの回もまた刮目して臨まざるを得ない。
 第3回は分かりにくいが(小六でなく)御米の立場から叙述されている。この回に書かれていることは、

①夫が帰って来たと思ったら小六だった。
②この好天気に長いマントは合致しないことを小六に指摘した。
③夫が出しに行った佐伯への手紙は、きっと小六の(学資の)用件に違いないと請け合った。

 読者は(本ブログ門篇の)冒頭にも引用した(羽織が帯で高くなった辺云々の)「名調子」を忘れることが出来ないが、一方小六の叙述は、御米に比べると傍観者ふうである。しかしこの回の最後で急に漱石の筆は小六に降りて来る。

 小六はこれ以上弁解の様な慰藉の様な嫂の言葉に耳を借したくなかった。散歩に出る閑があるなら、手紙の代りに自分で足を運んで呉れたらよさそうなものだと思うと余り好い心持でもなかった。座敷へ来て、書棚の中から赤い表紙の洋書を出して、方々頁を剥って見ていた。(『門』1ノ3回末尾)

 小六の描写は、半ば御米の気持ちを斟酌したものだと言えなくもないが、唐突という感じは否めない。この第1章末尾は、続く第2章冒頭の、「其所に気の付かなかった宗助は、町の角迄来て、切手と敷島を・・・」によって、結局(不在であったにもかかわらず)宗助を主体に叙述されていたことが明らかになるのであるが、第2章の第1回と第2回で散歩する宗助が独り描かれた後、第3回で始めて全員集合する。

 ・・・上がろうとする拍子に、小六の脱ぎ棄てた下駄の上へ、気が付かずに足を乗せた。曲んで位置を調えている所へ小六が出て来た。台所の方で、御米が、
「誰?兄さん?」と聞いた。宗助は、
「やあ、来ていたのか」と云いながら座敷へ上った。・・・(2ノ3回)

 小六が弱年時の漱石同様、行儀作法に無関心なのは仕方ないとして、このときの御米の「誰?兄さん?」というセリフはずいぶん個性的である。御米は居間から玄関の方へ歩いて行った小六に向かって、「誰が来たのか、(おまえの)兄が帰って来たのか」と訊いたに過ぎないが、咄嗟にこのような呼び分けをする主人物の「癖」は、絶筆『明暗』に至るまで、漱石によって永く保持され続けた。
 宗助が来訪者に向かって律儀な声掛けをするのも、漱石が決して省略しなかったことである。『猫』からこれまた『明暗』まで、登場人物は必ず(当然にも)訪問客に挨拶する。(細君に)行き先を断って出掛けたためしのない漱石(『猫』による)としては、考えられない義理堅さであろう。昔から外面はいいのである。

 それはともかく、第3章では揃って夕餉の膳を囲む。まるでお屠蘇を飲むような漱石らしい晩酌はご愛嬌だが、佐伯から返事が来たら改めて(学資問題を)相談することにして、明治42年10月31日は暮れ、序章たる3つの章は静かに幕を閉じる。

 続く第4章は宗助の過去が振り返られる章であるが、佐伯の叔母からの返信に対する御米の、

「遠からぬうちなんて、矢っ張り叔母さんね」(4ノ1回)

 もまた、難解を極めるセリフである。

 御米が佐伯の叔母に始めて会ったのは2年前の春である。御米にとって佐伯の家は敷居が高い。1年経って叔父が急死した。さらに1年経って安之助の卒業、番町への転居、小六の第3学年への進級、学資問題が起こっても、相変わらず御米は佐伯を訪ねようともしないし、手紙を書くこともおそらく無い。
 叔母から来た手紙を見るのも、始めてではないだろうが、
「やっぱり叔母さんね」と言うには、「やっぱり」御米は、佐伯に対する経験年数が足りないのではなかろうか。
 これは本来宗助の言うべきセリフではなかったか。ここでも御米は宗助の庇護者・代弁者となったのか。

 佐伯は叔父叔母のどちらが宗助たちの血縁者か分からないとは前著でも述べたことであるが、『門』の愛読者という立場から再考すると、佐伯の叔父叔母は従兄妹同士ではなかったかと思われる。佐伯の叔母は昔から宗助・小六の兄弟を知っていたように読めるから(※1)、この場合は佐伯の叔母の方が宗助の父親の妹か。宗助の母親の妹という可能性もなくはないがレアケースであろう。死んだ宗助の母親と佐伯の叔母が姉妹、それも美人姉妹であったというのはちと考えづらい。(※2)
 宗助の祖父に弟があって、その弟は昔佐伯家へ養子に行った。一方祖父の子は、もちろん長男が宗助の父であるが、女子の一人が佐伯家に生れた男子と結婚すれば、佐伯の叔母は当然だが、佐伯の叔父も宗助小六と血の繋がった「叔父」ということになる。
 なぜこんなことにこだわるかというと、叔父に世襲財産を横領されたという漱石独特のモチーフは、叔父が叔母のつれあいというだけでは、単なる窃盗事件になってしまうからである。この場合の叔父とは、主人公の父親の弟でなければならない。弟にして始めて親(家)の財産を(横領にせよ)手に入れる権利が発生する。佐伯の叔父は親爺の弟ではなく親爺の従兄弟でしかないが、(男系の)血が繋がっていることだけは確かである。自分の父親がかつて野中家を相続する権利を持っていたのである。

 この話は『明暗』の津田(父)と藤井の兄弟の謎にもつながる。藤井は津田由雄の叔父であるが、細君のお朝は藤井の家に嫁入ったように書かれる。藤井の主張するところによれば、お朝は結婚前から藤井を見知っていて、かつ藤井に嫁ぎたいという意思があったようでもある。(藤井もそうだが)お朝は津田に遠慮がない。
 藤井の父は、津田の祖父の弟にして藤井家に養子に行った人物ではなかったか。津田(父)の妹がお朝で、藤井とは従兄妹に当たるのであった。
 とすると藤井が文人の血を引くことも、お朝が時折まるで津田の母親のような態度を見せることも、二つながらに腑に落ちるのである。

※注1)叔父叔母とも血族
「宗さんは何うも悉皆変っちまいましたね」と叔母が叔父に話す事があった。すると叔父は、
「左うよなあ。矢っ張り、ああ云う事があると、永く迄後へ響くものだからな」と答えて、因果は恐ろしいと云う風をする。叔母は重ねて、
「本当に、怖いもんですね。元はあんな寝入った子じゃなかったが――どうも燥急ぎ過ぎる位活溌でしたからね。それが二三年見ないうちに、丸で別の人見た様に老けちまって。今じゃ貴方より御爺さん御爺さんしていますよ」と云う。(4ノ7回)

※注2)美人姉妹
 宗助の父がある女性(宗助の母)と結婚したとして、父の係累(例えば従兄弟)までもが、その女性の妹を娶りたいと言い出すとすれば、この姉妹がかなりの美人であったと考えるのが普通であろう。しかし宗助の母はともかく、佐伯の叔父・叔母・安之助に、美形を匂わせる記述は皆無である。