明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 11

97.『門』始めにコントありき――近江のおおの字じゃなくって


 漱石もまた小説の書き出しには気を遣った人であるが、とくに朝日入社以後の多くの作品は、新聞小説を意識したのであろうか、(ブルックナー開始ではないが)漱石開始とでもいうべき、独特の雰囲気を感じさせる書き出しになっている。
 そもそも漱石の書き出しにはある共通点がある。
 枕のない落語はないが、漱石の小説も必ず落語の枕のような、本体の物語と繋がってはいるが、ちょっと脇へ逸れたような、小噺のような前説のような、要するによく練られた導入部といったもので始められている。
『門』の場合も第1章の第1回と第2回が一つのコントになっているようである。

・第1回
①御米の指導。
「ちっと散歩でもしていらっしゃい」
「貴方そんな所へ寝ると風邪引いてよ」
(神経衰弱かも知れないと言う夫に対して)
「貴方どうかしていらっしゃるのよ」

②宗助の質問と御米の解答。
「御米、キンライのキンの字はどう書いたっけね」
「近江のおお・・の字じゃなくって」(原文は「おほ・・」、以下同じ)

・第2回
③宗助の質問と御米の解答。
「おい、佐伯のうちは中六番町何番地だったかね」
「二十五番地じゃなくって」

④御米の指導。
「手紙じゃ駄目よ、行って能く話をして来なくっちゃ」

⑤宗助の質問と御米の解答。
(手紙だけ出しておいて、それで埒が明かなければ出かけようという宗助の)
「ねえ、おい、それで好いだろう」
(御米は無回答)

 まず①~⑤に共通して言えることは、御米の賢さと母性(優位性・教師癖・姉さん女房風)であろうか。母性的賢さと言い換えてもよい。御米はとりあえず『三四郎』美禰子、『それから』三千代の子孫である。
 余談だが読者の眼から見れば、三部作の「男」の系譜は、《野々宮宗八-長井代助-野中宗助》であろうが、御米にとって良人宗助は、同じ30歳の野々宮や代助の血を引く者というよりは、明らかに7年後の三四郎の方に近い。御米が物語冒頭で「散歩に行け」というセリフを発するのは、やはり登場してすぐ夫に「風呂に行け」と命じるお延を彷彿させるが、『明暗』の津田はどう見ても野々宮よりは三四郎であろう。といって美禰子が宗助のような男と所帯を持つとは誰も思わない、というより宗助は野々宮(や漱石)のような研究者(自分の人生の主人)ではなく、三四郎や代助みたいな中途半端な男として描かれている。要するに一筋縄では行かないのである。

 また②と③は御米の勘の良さ・記憶の良さも示している。「キンライ」はまあ「近来」以外に選択肢はないのであるが、それでも即座にそれを夫と共有できるというのは、理想の夫人像と言える。(何でも一理屈ある漱石なら、「キンライというのは近いという意味の近来のことか?近いという字なら・・・」となるところであろう。)
 前述したが、7月に息子の卒業と前後して麴町に転居した佐伯の叔母の所番地を、訪れるつもりもなく手紙もたぶん書いたこともないであろう御米がそらんじていたというのは、にわかに信じがたいことではあるが、御米の頭の良さを表わすエピソードといえよう。
 この悧巧なところが、何か魂胆があってのことと思わせるのが漱石の常套であるが、御米はそういうことから解放されているように描かれているのが、『門』の特徴の一つであろうか。もちろんそれには理由があって、御米にはそれまでに死ぬる苦しみを味わっているのであるから、御米の利口さにはちゃんと代償が払われているのである。そうでなければ女を莫迦にしたがる漱石が御米のような賢い女性を造型するわけがない。

 御米はこのあとも常に宗助(や小六)に対して、目立たないながらも指導的役割を果たし続ける。教師であり預言者であり母であり姉である。もちろん女であるからには(と漱石は考える)莫迦で弱くて泣き虫ではある。それでも男たちよりは幾らかは勁いのである。
 この勁さを『猫』の細君や『道草』の御住、実物の鏡子夫人と混同してはいけない。そんな所へ寝ると風邪をひくという御米の忠告に、海老のように丸まっている宗助は大きな眼をぱちぱちさせながら、「寝やせん、大丈夫だ」と苦沙弥先生みたいに言い返すが、御米は一切不平を述べない。これが御米と苦沙弥の細君たちとの、決定的な相違点である。

 ちなみに第1回と第2回の舞台であるが、宗助は第1回では居間に続く縁側に寝そべっている。第2回は座敷へ移動して手紙を書いている。つまり縁側でひなたぼっこをしながら、宗助は手紙の文言を頭の中に思い浮かべて、それで近来の近の字が分からないと言ったのである。常人には理解しにくいシチュエーションであるが、

「其近江のおお・・の字が分らないんだ」

 細君は立て切った障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指を出して、其先で近の字を縁側へ書いて見せて、
「斯うでしょう」と云った限、物指の先を、字の留った所へ置いたなり、澄み渡った空を一しきり眺め入った。(『門』1ノ1回)

 これまた(漱石以後の)多くの作家を感心させた名文章に繋がったのだと思えば、この野中家の(書斎でない)縁側の歴史的価値は永遠に不滅であろう。
 その縁側(第1回)と座敷(第2回)に席を占めた宗助に対し、第1回第2回とも御米は居間を動かない。動かない女に動く男。漱石の小説世界が早くもこんな所にまで顔を覗かせている。

 そしてこのコントにはオチがある。上記⑤に続くくだりだが、

 細君は悪いとも云い兼ねたと見えて、其上争いもしなかった。宗助は郵便を持った儘、座敷から直ぐ玄関に出た。細君は夫の足音を聞いて始めて、坐を立ったが、是は茶の間の縁伝いに玄関に出た。
「一寸散歩に行って来るよ」
「行って入らっしゃい」と細君は微笑しながら答えた。(1ノ2回末尾)

 御米は愛想笑いをしたわけではない。第1回冒頭の①「ちっと散歩でもしていらっしゃい」という自分の忠言に対して、第2回末尾で宗助は「ちょっと散歩に行って来る」と素直に従って同じセリフをしゃべっている。それで御米は満足の意を表わすべく、微笑したのである。

 読者は先に述べた御米の指導ぶりだけでなく、宗助がいつまでそれに従うか、あるいは従わないか(ふつう漱石の小説では男はまず女の言うことは聞かない)、御米の微笑は今後も続くのか、その意味は変わらないのか、それとも・・・。
 たかだか新聞連載開始2回分のコントでも、『門』を読み進めるためのヒントと漱石作品の基本思想が、目に見える形で(重箱に入ったご馳走のように)詰まっている。何回読み返しても(何回食べても)飽きないわけである。