明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 25

111.『門』一日一回(3)――『門』目次第5章~第6章(ドラフト版)


第5章 歯医者
明治42年11月6日(土)
(宗助・御米・叔母・歯医者)
1回 宗助の出勤中に叔母が来訪~安之助の鰹舟石油発動機
2回 宗助歯医者へ行く
3回 歯科処置室にて
4回 神戸の養老昆布~勉強?もう御休みなさらなくって~論語

1回
 第1章に続いて宗助不在の回。しかし宗助の無神経な言辞がまた炸裂する。叔母は子供をたった一人しか生まないから、いつも若く見える。御米の回想を介してとはいえ、あるいは宗助不在のどさくさに紛れて、本来ありえないセリフが語られる。漱石の勇み足か。御米にしても、鰹舟の動力について全く理屈が判らないという書き方は、少し無理があるのではないか。日露戦争の海戦を持ち出すまでもなく、電車も自動車も巷には溢れているのであるから、女だからといって動力のしくみについて、江戸時代の庶民のような反応を示すのは、やはりヘンである。御米は女学校へ通っていたのではないか。

2回
 漱石の体験そのままが書かれているとして、歯の内部が腐っているから治癒しないとか、結核性でないからいずれ治癒するとか、どのように書かれようが、それは漱石が医者から聞いたそのままである。前述したが、漱石はそんな医者の言葉を自分の小説の展開に流用しようとするほど素人ではない。

3回
 歯医者の椅子に寝かされると、(よくあることだが)何もしないのに宗助の歯の痛みは柔らぐ。御米が付き添いで待合室にいると仮想して、宗助が処置室から顔を出して、(グスタフ・マーラーみたいに)「痛むのはどの歯だったっけ?」と待機中の細君に声をかけるというのは、大いにありうることである(妻アルマの回想録による)。
 診療台・手術台の上では、座禅を組んでも得られない平安に到達する。そして心が落ち着くと、気になるのはもう金のことだけである。歯医者の払いなどはたかが知れているという勿れ。金額の多寡ではない。漱石は悩みなしで生活することが出来ない性分である。何かしら気になるのである。金が気にならないとすれば、細君のこと(仕草)が気になる。根っからの天邪鬼であろう。

4回
 小六の月謝と小遣いはギリギリで月10円であるという。来年から佐伯の援助はあてに出来ないともいう。小六の高等学校卒業まであと6ヶ月。10円✕6=60円。2年前ではあるが、佐伯の叔父から貰った金が同じ額面である。繰り返すが、10円だの60円だのをわざわざ書いたのは漱石本人に他ならない。何のために金額を書き込んだのであろうか。もちろんそれは、小六を引き取れば小六の大学への途が立つと言いたいためであろうが、金勘定を書いて誰が安心するというのだろうか。
 宗助が土曜に行った歯医者は、明日また来いと言った。明治時代の病院は土日もやっていたらしい。『明暗』の津田は日曜日に手術している。働き過ぎであろう。そのせいでもあるまいが、『門』はこのあと1週間くらいインターバルがある。登場人物はその間何をしていたのだろうか。

第6章 屏風事件
明治42年11月後半の1週間
(宗助・御米・道具屋)
1回 御米、御前子供が出来たんじゃないか
2回 小六さんは、まだ私の事を悪んでいらっしゃるでしょうか
3回 貴方、あの屏風を売っちゃ不可なくって
4回 でも、道具屋さん、ありゃ抱一ですよ
5回 売るなら売っていいがね。……けれども己はまだ靴は買わないでも済むよ。

1回
 第4章、たまには佐伯へ出掛けてみたら云々、第5章、叔母は子供を一人しか生まないから云々、に続く3回目の無神経。と言うのは宗助に酷か。宗助ははっと思い付いた。結果的にそれが人を傷つけることになるが、思い付いたのは不可抗力であるから、自然には諍えないから、宗助の責任ではない。とくにこの場合の御米の(子供に纏わる)悲しみは、所詮男には理解できない。『明暗』の津田も性病科ではっと思い付いた。結果的に女の悲しみを思慮の外に追い遣った、男にとって身勝手な思いつきであったろう。論者は前著でその津田の「天啓」を論じたが(29.関と堀、台詞のない脇役)、両者とも、言ってしまえば碌でもない思いつきであったことに違いはあるまい。

2回
 小六の冷淡さを、却って夫婦の愛情を深める方向へ利用する。御米の巧まざる怜悧さには感心させられる。夫婦の関心が靴や外套といった消費財に向かうことにより、夫婦関係は安定する。

3回
 そして屏風売却はすべて御米主導で実行される。宗助はただ傍観するだけである。むしろ勇気がないために、おなじみの煮え切らなさを発揮さえする。

4回
「御米は不断着の上へ、妙な色の肩掛とも、襟巻とも付かない織物を纏って外へ出た」
 不思議な記述である。
 似たような描写が『三四郎』にある。三四郎が大学病院の玄関で池の女と再会したとき、「着物の色は何という名か分からない」と漱石は書いた。
 美禰子の着物の色は当然美禰子は分かっている。漱石も分かっている。三四郎だけがその知識がない。漱石三四郎に代わって、三四郎の頭脳に忖度した書き方をした。
 上記『門』の場合はどうか。御米の被った織物は当然御米には分かっている。漱石も知っている。布切れがどのようなものか、知らないのは宗助のみであるが、宗助はこのとき眠っていて御米の行動に関知していない。宗助は御米の格好を見ていない。
 漱石は直接登場していない宗助に成り代わって、宗助の見方で御米の外見を論評した。不在の主人公の眼を通して対象を描写する。理屈としてはあり得ない。しかし妙に納得してしまう書き方である。といって誰も真似出来るものではない。漱石だけが天才なのであろうか。

5回
 道具屋との交渉は全部で4度である。①7円、②15円、③非開示、④35円。売却代金は35円である。金額を書いていない回が1回ある。あとの3回は金額が明記されている。3度の繰り返し、という原則がここでも(強引に)厳守されている。