明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」それから篇 8

71.『それから』愛は3回語られる(3)――果てしなき道(つづき)


 ここで『それから』の本題からは外れるかも知れないが、漱石の描く男と女の愛情の交流について、そのイベントなり要素が漱石によって(外形的に)どのように書かれているか、順に追ってみたい。

『猫』でまず語られるのは、吾輩と友人三毛子の儚いあるいは冗談で洒落のめしたような愛物語である。(『猫』第2篇)

 三毛子の紹介。「天璋院の御祐筆の・・・」は三毛子の発言。三毛子は知能は高い。飼い主の二絃琴の師匠と下女は性悪である。

 三毛子の病気。風邪かと思ったら肺炎らしい。しかし・・・。

 三毛子の葬儀。坊主が「ええ利目のある所をちょいとやって置きました」と言うのは古典的なギャグだが、著作権漱石にあるのか明治の落語家にあるのか、それとも日本の僧侶にあるのかは、誰も分からない。以後吾輩に浮いた話はない。

 猫より寒月の方が大切である。『猫』において寒月と富子の直接の(男女としての)交渉が書かれるのは次の3回だけである。夢かも知れないし嘘かも知れないが、とにかく小説にはこう書いてある。なおⅢの羽織を褒めるのは、ふつうの小説なら恋愛譚とは直接関係ないと言えるだろうが、漱石の場合は着物を評価することは肉の評価に直結するので、例えば寒月が富子の羽根突きしているのを見たというような話題とはまったく性格が異なる。(『猫』第2篇・第3篇)

 病気で臥せる富子は譫言に寒月の名を口にする(作り話だったが)。

 吾妻橋「はーい」返事事件(隅田川入水未遂事件)。

 寒月は富子に羽織を褒められたとニヤける。

坊っちゃん』に恋愛譚が書かれたとすれば、それは赤シャツとマドンナであろう。赤シャツはすでに遠山の母にマドンナと結婚したい意向を伝えている。一方うらなり(英語教師の古賀)とマドンナはかつて婚約していたとは言われるが、小説ではそれ以上の具体的な記述はない。(『坊っちゃん』5章・7章)

 ターナー島での釣舟の上。野だと赤シャツがマドンナの名をあげてひそひそ話。

 坊っちゃんが上手に聞き出した萩野の婆さんの話。赤シャツがマドンナをうらなりから横取りした。

 温泉行の停車場で始めてマドンナ親子を見る。赤シャツも(うらなりも)やって来るが、赤シャツの目的は温泉でなく、村はずれでの散歩デートであったようだ。

草枕』も一般に恋愛物語と呼ぶには苦しいが、那美さんは一部色情狂のように描かれ、「触れなば落ちん」という感じですらあるが、主人公と那美さんの初対面には丁寧に3ステップの手順が踏まれている。(『草枕』第3章)

 宿に着いた夜。1時10分。山続きの庭で歌をうたっていた。

 さらなる深更。部屋に入って来る。押し入れから何か取り出したもよう。

 朝。風呂場。主人公が湯から上がって戸を開けると、出会い頭の挨拶。これが正式な初対面である。主人公はおそらく全裸であったはず。

 正式な対面まで3ステップ要するのは『三四郎』にも受け継がれた。

 池の女。

 大学病院の玄関。

 引越の日の庭の正式な名乗り。

 そして前項『三四郎』の広田先生の夢の女、『それから』と続いて、『門』では何と御米の流産を3回数えたところで、もうこの話はやめたくなるが、気を取り直して『彼岸過迄』では、千代子の(市蔵に対する)言動に注目せざるを得ない。

「市さんには大人しくって優しい、親切な看護婦見た様な女が可いでしょう」
「看護婦見た様な嫁はないかって探しても、誰も来手はあるまいな」
 僕が苦笑しながら、自ら嘲る如く斯う云った時、今迄向こうの隅で何かしていた千代子が、不意に首を上げた。
「妾行って上げましょうか」(『彼岸過迄/須永の話』7回)

(病気で独り留守番の千代子に、市蔵はいつになく慰藉の言葉を掛ける)……すると千代子は一種変な表情をして、「貴方今日は大変優しいわね。奥さんを貰ったら左ういう風に優しく仕て上なくっちゃ不可ないわね」と云った。(同9回)

(鎌倉から帰って)「じゃ僕も招待を受けたんだから、送って貰えば好かった」……
「左様すると丸で看護婦見た様ね。好いわ看護婦でも。附いて来て上げるわ。何故そう云わなかったの」
「云っても断られそうだったから」
「妾こそ断られそうだったわ、ねえ叔母さん。偶に招待に応じて来て置きながら、厭に六ずかしい顔ばかりしているんですもの。本当に貴方は少し病気よ」
「だから千代子に附いて来て貰いたかったのだろう」と母が笑いながら云った。(同30回)

 千代子が市蔵と結ばれるには看護婦のような適性が必要であるという尤もな議論であるが、Ⅱでは病気の千代子から看護婦は連想されるものの、少し弱いと思われたのか、漱石は次の3点セットで千代子の思いを補強している。(同9・10回)

「妾貴方の描いて呉れた画をまだ持っててよ」

「貴方それを描いて下すった時分は、今より余程親切だったわね」

「妾御嫁に行く時も持ってく積よ」

 千代子の気持ちは索引が付いていると言ってよい。市蔵は当然知っていた筈であるが、度胸がないので自分で自分の態度を決めることが出来ない。
 この「入れ子」状態は、先に挙げた『それから』の最後の例(三千代の決意の3点セット)ですでに実行されていた。人物とイベントの重要度に比例しているのかも知れない。

 ところで(代助同様)グズグズの市蔵には、規模は異なるがもう一つの「艶福」がある。それは問題の(と論者は考える)市蔵とお作の、それこそ本当に儚い、愛の物語である。

 僕は珍らしく彼女に優しい言葉を掛けた。そうして彼女に年は幾何だと聞いた。彼女は十九だと答えた。僕は又突然嫁に行きたくはないかと尋ねた。彼女は赫い顔をして下を向いたなり、露骨な問を掛けた僕を気の毒がらせた。(『彼岸過迄/須永の話』26回)

 僕は又突然作に、鎌倉抔へ行って混雑するより宅にいる方が静で好いねと云った。作は、でも彼方の方が御涼しう御座いましょうと云った。僕はいや却って東京より暑い位だ、あんな所にいると気ばかり焦躁焦躁して不可ないと説明してやった。作は御隠居さまはまだ当分彼地に御出で御座いますかと尋ねた。僕はもう帰るだろうと答えた。(同28回)

 千代子は作が出て来ても、作でない外の女が出て来たと同じ様に、なんにも気に留めなかった。作の方では一旦起って梯子段の傍迄行って、もう降りようとする間際に屹度振り返って、千代子の後姿を見た。(同30回)

 作は市蔵との2人だけの日々がいつまで続くだろうかと思った。出来るだけ長く続けばよいと思っていたことは間違いない。それがまた哀れを誘う。