明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

『明暗』に向かって 「目次」注解

54.『明暗』に向かって 「目次」注解


漱石「最後の挨拶」番外篇]

 前著61項400頁は、論考の当否はともかく、難解なところはどこにもない。
 目次に書いたのは、本文の小見出し等ではなく、本文の内容のダイジェストを、少し惹句ふうにアレンジしたものである。週刊誌の車内吊りポスターのようなもので、嘘を書いているわけではないが、本文そのままではない。
 ここも分かりにくい表現はないとは思うが、一ヶ所、20.『それから』ミステリツアーの中の、

 あってもなくても同じ(アラカンの覆面)

 というのは、もしかすると論者の独り合点で、何のことやら分からないかも知れない。

 議論は至って単純で、漱石は例えば主人公らが歩いた牛込・小石川両区の町並みを、『それから』では固有名詞(地名町名)を何のためらいもなく使用し、『明暗』ではその反対に固有名詞をほぼ完璧に隠し込んだが、なぜか作品の雰囲気は不思議なくらい変わらない、ということを述べたもの。
 アラカンとは、もちろん嵐寛寿郎のことである。(時代劇映画の)アラカンは覆面を被っても被らなくても、誰が見ても同じアラカンの顔である。では彼は何のために覆面を装着しているのだろうかという、まあオヤジのギャグである。冬の京都が寒いのは分かるが。

 と言っても、本文で特にアラカン嵐寛寿郎の名を引き合いに出しているわけではない。本文では(固有名詞が)あってもなくても同じだという感想を述べているに過ぎない。

 もう1ヶ所、55.「こっち」の謎の中の、

 白鳥と獅子漱石

 というのも、本体を読んでみないと何を言っているのか分からないだろう。
 白鳥というのは正宗白鳥のこと。獅子漱石というのは、(芥川龍之介も言っているが――種々の理由で)漱石がライオンみたいだとつい書いてしまったのである。

 前著では正宗白鳥以外にも、内田百閒、近松秋江の名を挙げているが、とくに論旨に必要があったというよりは(実はまったく無かったのであるが)、単に論者の郷里岡山(備前)の人だから、おそらく最初で最後の本になると思われるので、記念に名前を刻んだということである。

 本ブログでも(第8項で)
漱石「最後の挨拶」三四郎篇 8 - 明石吟平の漱石ブログ

柴田錬三郎の名を(無理に)押し込んだが、論者としては本望である。もうひとり、尊敬する吉行淳之介の名をどこかに書き込みたいところであるが、吉行が角川版の漱石全集で『それから』の作品解説を書いているからといって、次回の『それから篇』に例えばそれらを引用するわけにはいかない。諸家の見解をいちいち参照しないのが小論のやり方であるからには。

 しかしそうは言っても折角だから、山田風太郎に倣って「あげあしとり」を一つだけ。
 麻雀好きの吉行淳之介は麻雀に関する随筆も多いが、ツモ上がりのときの宣言を「ロン」と誤って書いている。ロン(ロンホーのこと)は他家の捨牌で上がろうとしたときの発声である。自らツモったときは「ツモ(ツモホーのこと)」あるいは「ツム(自模の発音としてはこれに近い)」と言わなければならない。「ツモ」と正しく叫ばなくても、「ツモった」「ツモりました」「アラあがってるわ」「やったー」等でもいいかも知れない。しかし「ロン」では断じてない。自分が牌を自模って、それでおもむろに「ロン」とのたまわったとすれば、理屈を言えば、上家の捨牌が当たったのに、(いったんそれをやり過ごして)自分が牌を自模り、それから思い直してやっぱり先の捨牌で上がっておこうかということで、これは人間としても失格である。
 黙って手牌を倒せばチョンボであるが如く、「ロン」と言って手牌を開けば、その段階で他家の捨牌が当たっていないのであれば(自分のツモ上がりであったとしても)、それもまたチョンボ(錯和)の一種であろう。