明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 29

196.『帰ってから』1日1回(7)――三沢の不思議な恋


 三沢の不可解な恋愛については、前著でも触れたが、いくら考えても分からない。結局、「病気の原因は病気である」という無意味な一句にたどり着くしかないのであるが、鏡子の『漱石の思い出』にはいきなりこんな記述がある。

 丁度その事件(法蔵院にいた頃の所謂井上眼科事件)の最中で頭の変になっていた時でありましょう。突然或る日喜久井町の実家へかえって来て、兄さんに、
私のところへ縁談の申込みがあったでしょう」と尋ねます。そんなものの申込みに心当りはなし、第一目の色がただならぬので、
そんなものはなかったようだったよ」と簡単にかたづけますと、
私にだまって断わるなんて、親でもない、兄でもない」ってえらい剣幕です。兄さんも辟易して、
「一体どこから申込んで来たのだい」となだめながら訊ねましても、それには一言も答えないで、ただ無闇と血相かえて怒ったまま、ぷいと出て行ってしまった。・・・(夏目鏡子漱石の思い出』1松山行)

 念のため三沢の年表を作ってみる。二郎と三沢は、『彼岸過迄』の市蔵・敬太郎と同学年と推測されるから、年齢はそのままあてはめる。ちなみに20歳前後、高等学校へ入った頃というのは、女景清の坊っちゃんと年恰好は合う。

 今から五六年前彼の父がある知人の娘を同じくある知人の家に嫁らした事があった。不幸にも其娘さんはある纏綿した事情のために、一年経つか経たないうちに、夫の家を出る事になった。けれども其処にも亦複雑な事情があって、すぐ吾家に引取られて行く訳に行かなかった。それで三沢の父が仲人という義理合から当分此娘さんを預かる事になった。――三沢は一旦嫁いで出て来た女を娘さん娘さんと云った。
「其娘さんは余り心配した為だろう、少し精神に異状を呈していた。それは宅へ来る前か、或は来てからか能く分らないが、兎に角宅のものが気が付いたのは来てから少し経ってからだ。固より精神に異状を呈しているには相違なかろうが、一寸見たって少しも分らない。ただ黙って欝ぎ込んでいる丈なんだから。所が其娘さんが……」(『友達』32回)

「君から退院を勧められた晩、僕は其娘さんの三回忌を勘定して見て、単にその為丈でも帰りたくなった」と三沢は退院の動機を説明して聞かせた。自分はまだ黙っていた。
「ああ肝心の事を忘れた」と其時三沢が叫んだ。自分は思わず「何だ」と聞き返した。
「あの女の顔がね、実は其娘さんに好く似て居るんだよ」(『友達』33回)

 彼はつい近頃父を失った結果として、当然一家の主人に成り済ましていた。Hさんを通してB先生から彼を使いたいと申し込まれた時も、彼はまず己れを後にするという好意からか、若しくは贅沢な択好みからか、折角の位置を自分に譲って呉れた。(『帰ってから』30回)

「あのお嬢さんの法事には間に合ったのかね」と聞いて見た。
「間に合った。間に合ったが、実にあの娘さんの親達は失敬な厭な奴だ」と彼は拳骨でも振り廻しそうな勢いで云った。自分は驚いて其理由を聞いた。(『帰ってから』31回)

三沢の年表

明治37年夏 20歳 高等学校入学
明治38年夏 21歳 高等学校2年~一郎とお直結婚か(岡田とお兼さんもこの頃結婚)
明治39年夏 22歳 高等学校3年~娘さんが三沢の父の世話で嫁ぐ
明治40年夏 23歳 娘さんが嫁ぎ先から帰ってくる
明治40年秋 23歳 大学入学~保証人は一郎の同僚Hさん
明治40年秋 23歳 娘さん精神に異常を来たす~「早く帰って来て頂戴ね」
明治41年秋 24歳 大学2年~三沢は家の者の手前閉口す明治41年秋 24歳 しかし三沢は娘さんに愛情を抱くようになる
明治42年春 25歳 このころ娘さんは病院へ入ったもよう
明治42年秋 25歳 大学3年~娘さん亡くなる~接吻事件
明治43年秋 26歳 大学4年~娘さんの1周忌
明治44年春 27歳 父親亡くなる~戸主になる
明治44年夏 27歳 卒業旅行~胃潰瘍で入院~帰京
明治44年秋 27歳 娘さんの3回忌~娘さんの親族とのトラブル
明治44年秋 27歳 B先生の設計事務所の口を二郎に譲る

 三沢の怒りの雄叫びは以下の通り。

「あいつ等はいくら親だって親類だって、只静かなお祭りでも為ている気になって、平気でいやがる。本当に涙を落したのは他人の己丈だ」
「馬鹿にも程があるね。露骨にいえばさ、あの娘さんを不幸にした原因は僕にある。精神病にしたのも僕だ、と斯うなるんだね。そうして離別になった先の亭主は、丸で責任のないように思ってるらしいんだから失敬じゃないか」
何故そんなら始めから僕に遣ろうと云わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当にして……」
一体君は貰いたいと申し込んだ事でもあるのか
ないさ
「僕がその娘さんに――その娘さんの大きな潤った眼が、僕の胸を絶えず往来するようになったのは、既に精神病に罹ってからの事だもの。僕に早く帰って来て呉れと頼み始めてからだもの」(『帰ってから』31回/セリフのみ抜粋)

 前記の鏡子の回想における漱石と、この三沢の怒りは、基本的には同じ感情から出たものである。理屈はまるで通らないので、周囲はただ困惑して病気のせいにするだけであるが、見合いのときに本人が意思表示をまったくしなくても、周りがどんどん話を進めて、いつの間にか結納というような、そんな展開を漱石(と三沢)が期待していたのであれば、これはそんなに突飛な発想でもない。子供がわんわん泣きながら、結局自分の一番欲しいものを、(自分からは具体的指示なしで)手に入れるというやり方に似ている。

 この周囲を驚かせた漱石と三沢のケースには10年の開きがあるが、それはいいとして、三沢がその娘さんを獲得するとすれば、まだ出世前の高等学校生徒ということになり、女景清ではないが、やはり三沢の主張には無理があるのではないか。
 娘さんと三沢との交渉は、三沢が大学へ入ったときから2年間である。まず同い年くらいだろう。22歳で嫁いで1年で家に戻り、23歳と24歳の2年間。最後は数ヶ月間病院に暮らしたとしても、2年間の同居生活を経た上での悲劇である。そして娘さんの最大の悲劇は、やはり三沢がその娘さんを好きになったという点に尽きるだろう。娘さんにとっては人の愛が却って負担に感ぜられたのではないか。夫の愛情を受け損なった女にとって、夫以外の男の愛を受けることは自らを罪に墜とすことである。それに耐えられない潔癖な女は、自らを罰したのではないか。この場合、女が三沢を愛していたかどうかは、罪の意識を増しこそすれ、女の幸せには何の「たし」にもならなかったのである。
 一郎は娘さんが三沢を愛していたと推測した。三沢の気持ちも当然知っていただろう(接吻事件によって)。一郎は三沢のことは果報者と思ったかも知れないが、それで娘さんがいくらか救われたとは、一瞬たりとも思えなかった。愛は何の役にも立たなかったのである。

 理屈を言うようだが、女景清の事件が太平楽なのは、そこに愛がなかったからである。愛は何の役にも立たないばかりでなく、時として愛は人を死に至らしめることさえある。だからこそ愛は尊いものであるといえるのだが。

 ところで三沢の年表を二郎の年表と見れば、物語冒頭の「岡田君此呉春は偽物だよ」「最う少し待っていれば己が相当なのを見付てやるのに」の発言は、前者(岡田の大阪行)が二郎が高等学校入学前後、後者(岡田の結婚)がその1年後位のものであろう。たしかに高等学校生徒は生意気盛りではある。しかしちょっとだけ早いようである。それとも二郎も三沢も、小説で語られる夏の旅行は卒業旅行ではなく、2人とも以前から高等遊民を極め込んでいて、上記年表より1つでも2つでも年を食っているのだろうか。2人とも結婚結婚と言っているからには、30歳に近づいていることだけは確かだが。