明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 30

116.『門』一日一回(8)――『門』目次第15章~第17章(ドラフト版)


第15章 大晦日の風景
明治42年12月31日(金)
(宗助・御米・小六・清・坂井)
1回 注連飾~伸餅~坂井への年末の挨拶
2回 銭湯へ行く御米と清~夜景を見に行く小六~清は髪結も

1回
 後半の『門』は喜劇と悲劇が交互にやってくる。第13章(贖罪)は、織屋譚が喜劇、子にまつわる御米の過去が悲劇。第14章(宗助と御米の過去)は、京都での学生時代が喜劇、大風事件が悲劇。本章(大晦日の風景)は、言うまでもなく喜劇。伸餅を截るのに包丁が足りないので、宗助だけは手を出さなかったとあるが、微笑ましい記述であろう。包丁の数に関係なく、宗助がこの種の行事に参加しないのは、読者なら先刻ご承知である。

2回
 宗助は若い頃起こしたある事件ゆえに世間のお祭り騒ぎに背を向ける。漱石は生まれつきこうした年中行事に背を向ける。読者は考える。漱石も若い頃事件を起こしたのだろうか。それは何とも言えない。しかし事件があってもなくても、正月はめでたくない。年中行事は傍観したい。生まれつきツムジが曲がっているのである。

第16章 冒険者
明治43年1月1日(土)~1月7日(金)
(宗助・御米・小六・坂井の下女・坂井・坂井の弟・安井)
1回 元日坂井が来ていた~2日雪降る~3日若旦那行って来い
2回 坂井の洞窟~高等遊民は宗助の理想か
3回 田舎饅頭~小六の社会教育~小六を坂井の書生へという幸運な話
4回 冒険者~坂井の弟の話~大学・銀行・満洲・蒙古・馬賊
5回 蒙古刀~象牙の箸~蒙古王に2万円~弟の友人「安井」

1回
 元日、宗助は坂井の玄関に名刺を投げ込んで年始に出掛けたが、留守に坂井が来ていたので恐縮した。宗助は坂井の店子になって3度目の正月である。坂井との賀詞交換は、淡白なものにせよ、もうお互い呑み込めていないのだろうか。手文庫事件・屏風事件で急に挨拶するようになったのだろうか。

2回
 正月7日の夕方、宗助は坂井に招かれる。記述を読む限り、役所帰りという雰囲気はない。宗助はまだ冬休みだったのか。物語の開始で伊藤博文暗殺(明治42年)の号外が語られ、それに続く正月であるから、その日明治43年1月7日は金曜日である。教師でない限り仕事はとっくに始まっている。しかし午後4時役所が引けて、夕食を終えたあと坂井が呼びに来たのであるから、6時頃あるいは7時頃として、話の辻褄が合わないことはない。しかし辺りは真っ暗闇であるから、それを夕方というのはちと厳しいのではないか。

3回
 小六が坂井の書生になるのはめでたい。坂井の書生は、坂井家の番犬が病気で入院する1ヶ月前に徴兵検査に合格して入営したという。以前は坂井家には書生と犬がいた。年表と目次の考察により、10月20日頃書生の入営、11月20日頃番犬の入院、11月25日手文庫事件と確定しうる。しかしなぜ小六の話のときに、このようないきさつが書かれるのだろうか。手文庫事件と小六との間に何かあるのだろうか(と惚けるのは本意でないが、どう考えても不可思議であることは否定しようがない)。
 ところで坂井家の犬はその後どうなったのであろうか。名前がたぶんヘクトーであることは疑いないが、この初代ヘクトーは、(『猫』の語り手ではないが)生涯無名に終わった。

4回
 冒険者の魁は、『草枕』那美さんの前夫(野武士)であろうが、最も有名なのが『それから』の平岡である。学士、銀行、スピンアウト、外地への進出(放浪)。すべて冒険者の要件を満たしている。安井の後継者は『彼岸過迄』の森本であろう。学歴も職歴も見劣りするものの、下宿料を踏み倒して朝鮮だの大連だのと言う以上、立派な放浪者である。『心』のKも素質充分だが、その前に自裁した。漱石最後の冒険者は『明暗』小林であるが、寸足らずの外套をまとった小林の外見がチャプリンみたいに読める。論者は前著でもそう書いた。漱石はぎりぎりでチャーリィの無声映画を見たろうか。もちろん冒険者(放浪者)は、漱石にあってはバイプレイヤーに過ぎないから、それ以上の議論になることはないが。

5回
 坂井の口から発せられた安井の名は宗助に衝撃を与えた。しかしこの情報自体は、宗助にとって結果として大変有利に働いた。漱石も書いているように、坂井の玄関で鉢合わせする可能性は大いにあったのであるから、何も知らない坂井が事前に情報を与えてくれたのは、宗助にとって天啓でもあった。前の回で、「そこで辞して帰ればよかったのである」というのは、後から考えると、そこで辞して帰らなくて本当に良かったと、宗助も漱石もつくづく思ったことであろう。

第17章 安井の幻影
明治43年1月7日(金)~1月9日(日)
(宗助・御米・小六・安井)
1回 回想の安井~満洲で元気になったらしい~宗助の宗教心の芽生え
2回 帰宅した宗助はショックで蒲団に直行~生まれて始めて吐いた嘘
3回 「翌日」宗助は仕事が手につかない~娘義太夫を聞きに行く
4回 「そのまた翌日」宗助不安去らず~神田で牛肉店に立ち寄り酒を飲む
5回 帰途も安井の幻影は消えない~不安で圧し潰されそうな心を救うものはあるか
6回 「もう飯は食わないよ」「留守に坂井さんから迎いに来なかったかい」

1回
 安井の具体的な回想としてはほとんど最後の回にあたる。そもそも安井の初登場は第14章である。物語の半ば以上経過した、重要人物としてはずいぶん晩い初登場である。それで漱石は佐伯の長男に安之助という名前を(わざと)付けて、小説の前半から宗助御米に「安さん」と呼ばせることにより、安井の雰囲気を『門』全体に(香水のように)振り撒いておいた。論者は昔から、夫婦が「安さん」と口に出して、なぜ平気でいられるのか、永く悩んできたが、軽率という語とは無縁の漱石は、ある意図を以って「安」の一文字を小説全体にちりばめておいた、と考えれば考えられなくもない。小心の漱石は、安井という言葉が突然出現する恐怖に耐えられなかったのではないか。乱暴な推理ではあるが。

2回
 坂井の口から思いもかけない人の名が飛び出して、帰宅した宗助は「少し具合が悪いからすぐ寝よう」と言う。しかし宗助は前章16ノ4回で書かれるように、「帰ればただ寝るより外に用のない身体」なのであるから、御米の驚きは大袈裟過ぎるのではないか。もちろん夫の顔色が悪いといって心配しない細君はおるまいが、熱や咳・嘔吐や出血もないのに枕元を離れないというのは、新婚でもない限りちとやり過ぎであろう。漱石は宗助夫婦を意識してそのような仲の好い夫婦として描いているが、驚くには驚くだけの理由がなければならない。宗助だけが知る原因に御米が気付いていない以上、御米の驚きを正当化するにはその理由も必要である。

3回
 宗助の精神的疾いは一向に緩解しそうにない。義太夫の寄席に行っても少しも楽しくない。いかに予知能力に長けた御米といえども、宗助が原因を教えないのでは解らないのは当然であるが、宗助の方でも二心なく高座を見つめている御米の横顔に、宗助の彼岸にいる、自分(の苦悩)と縁のない他人の面影を見る。これは夫婦の間の心の問題であろうか。そういう見方から夫婦を解釈しようとすれば、『行人』『道草』の無間地獄に行き着くかも知れないし、少なくとも『心』『明暗』の夫婦に吹く隙間風には結び付けられよう。つまり夫が独りで勝手に悩んでいることに当然ながら気付かない妻を見て、夫がさらに独りで傷つくという、漱石ならではの設定である。
 一般的な話として言い換えると、男が女のことで悩むとして、女はそのことを知らない。男はそんな女を見て、それでは自分の悩み・考えを打ち明けて問題解決を図ろうとするかというと、決してそんなことをする気遣いはない。さらに深く女の心情について悩むだけである。男は女に(母のように)何も言わなくても察して欲しいと言いたげである。自分では自分の欲求らしきものは一切口にしない。ただ自分独りの悩みを悩むだけである。人はこれをストイックといい、また身勝手という。

4回
 前章16ノ2回のメモでも述べたが、1月7日から9日まで、宗助は3日連続で役所へ出勤しているようである。7日はともかく、8日と9日ははっきり役所へ出たと書かれる。漱石の勘違いないしうっかりミス以外の何者でもないが、フィクションである以上実際のカレンダーと一致しなくて何の問題もない、というのが漱石の言い分であろう。漱石は(厳然と存在する)物の名称等の書き誤りにはすぐ反応するが、(読者の)理屈の上で生じる疑念の類いに関心はない。極論すれば、倫理上の問題には降参するが、論理的な問題は受け付けない。およそ凡人と正反対の態度であろう。それにしては小官吏宗助にとっての曜日や休暇の書き方が、教師丸出しになるのがおかしい。しかしそのことは小説の瑕疵ではなく、むしろ香気につながる。これもまた漱石の人徳であろうか。

5回
 悩める宗助は(丸の内か大手町の)役所帰りに神田で途中下車して牛肉店に上った。酒を飲んでも気が晴れないのは、もともと酒を飲まない人間にとって当たり前である。再び電車に乗るところを、宗助は江戸川橋まで歩いて帰った。思うに電車は漱石には喜劇名詞だったのであろう。御米も電車に乗らなかった宗助を肯定した。小説はどんどん暗くなる。本章の始めに宗助は御米に宗教心について問いかけをしているが、今や自分自身でもその問いに答えるときがやって来たようだ。

6回
 第16章(冒険者)は喜劇。その末尾から異変が起こり、第17章(安井の幻影)の前半まで悲劇、後半は喜劇か。それで『門』は一応の決着に到達したかに見える。本章で『門』が終わってもおかしくはない。終わってもいいがここで終わらないのが漱石である。そこが自然主義と違うところであろう。宗助の悩みが消えないままで終わらない。それならいっそ悩む前に終える。『それから』の代助も、真の悩み(生活上の悩み)を悩む前に退場している。
 ところで本章(第17章)の全体を喜劇と見る見方も可能であろう。本章全体が喜劇なら、続く参禅の章は無用の章になる。鎌倉参禅が解決篇ないし解決模索篇になるためには、本章は悲劇で終わらなければならない。とりあえずここでは悲劇としておくが、どんでん返しがあるかも知れない。