明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 26

112.『門』一日一回(4)――『門』目次第7章~第9章(ドラフト版)


第7章 手文庫事件
明治42年11月25日(木)~11月26日(金)
(宗助・御米・清・坂井の下女・仲働・坂井の女の子・坂井)
1回 店子の話~本多という老夫婦~大家の話~ピアノとブランコ
2回 御米の行動~夜中に目覚めて家中を見廻り~物音で再度目覚める~貴方貴方
3回 宗助の行動~御米に起こされ雨戸の外を覗く~御前の夢だろう~朝自ら再調査
4回 投げ出された手文庫~泥棒の証拠~妙な顔をして宗助から手文庫を受け取る清
5回 宗助手文庫を坂井へ届ける~坂井の下女と仲働~坂井の女の子たち
6回 高等遊民坂井との対面~出勤時刻に気を揉む御米

1回
 家のブランコに乗せないのに、屋根瓦や垣根の修理はすぐしてくれる。家主は吝嗇か鷹揚か、矛盾している。宗助はそう考えるが、読者はふつうそうは考えまい。自分の家を修理するのは自分の財産を守る普通の行為だからである。当時の家主と店子の関係は現代のそれとは大きく異なるだろうが、漱石は借家にもかかわらず庭は(ある程度)自分の趣味を活かして手を加えた。必要なら野菜や果物も植えたであろう。「原状回復」という発想のなかった時代である。水道や電気を引くときは、さすがに大家と(経費負担について)相談したのであろうが。

2回
 記憶すべき泥棒事件の発端の回である。漱石はほぼ自分の体験を書いている。それはいいが、始めてこのくだりを読む者は、泥棒は宗助の家に入ったとつい思ってしまう。しかし実際はそうでなかった。では御米は深更なぜ起き出したのか。隣地の崖を何かが滑落した音に気付いたのは、御米が再度の眠りについた後のことである。御米は先ずはじめに、近所(坂井家)に起こりつつある異変を察知したという書き方である。宗助はその間ずっと横で就寝していた(と御米は証言している)。小六は寄宿舎暮らしである。御米には予知能力があったのだろうか。坂井家に侵入した者と御米の間に、何か意識下の交流を想像させるものがあったのだろうか。鏡子の『思い出』には、漱石が女にそのような(呪術的な)能力が備わっていると信じていたらしいことが書いてある。

3回
 宗助は御米の気のせいと呑気に構える。神経がどうかしているとさえ言う。しかしなぜか朝になって、起こされもせぬうちに自分で思い立って、もう一度縁側から外を見てみる。そして御米が夢を見ていたのではないことに気付く。

4回
 泥棒の所謂御馳走は漱石の実体験であるが、漱石の家では他に物品(衣類)を盗まれていた。宗助は抛り出された手文庫だけでは事情が飲み込めない筈であるが、残された御馳走が動かぬ証拠となった。さらに文庫にあった坂井宛の手紙。しかし一般的に考えて泥棒でない可能性もぎりぎり残る。そこで末尾の夫婦の不思議な会話。坂井では他に何か盗られただろうかと言う御米。ことによるとまだ何かやられたねと返す宗助。かくして天から降った手文庫は窃盗事件と定まった。結果として夫婦は正解に到達していたわけだが、それに到る過程は曖昧で、(コナンドイルみたいに)ちょっと手前勝手に過ぎるようである。

5回
 腰は重いが尻は軽い。腰が重いのは塩原の養家で跡取り坊っちゃんとして育てられたせい。尻が軽いのは夏目家の末っ子のせい。漱石は気の毒にも人生の始めから分裂しているのである。放擲された文凾など下女に届けさせてもいいし、もちろん自分で持って行くのもいいかも知れない。宗助の性分がどちらに近いかは、傍からは判断しづらい。しかし漱石がそう書いているからには、宗助は律儀な所があるのであろう。論者はそうでなく、また別な魂胆があってのことと(余計な)推理をしてみたが、だからといって何事かが解決したわけではない。

6回
 この小説で宗助と坂井が対峙する始めての回である。坂井は年齢や家族構成からも、『三四郎』の広田先生に次いで登場した、漱石度合いの高い人物である。もともと大人しい性格の宗助は、坂井の前ではいっそう無口になる。
 漱石は自分の若い頃をモデルに主人公をしつらえることが多いが、自分と同年輩の男を副人物として配することも目立つ。副人物のおやじはたいてい雄弁で、これに対する若い主人公は多くの場合謹聴するのみである。漱石の、人生の長い時間を過ごした教場でのやりとりが、抜け切らないのであろうか。これについては後述したい。

第8章 障子貼替
明治42年12月6日(月)
(御米・小六)
1回 小六は今月から宗助の家に引き移って来た
2回 御米は小六といると気ぶっせいでもある
3回 御米は諸物価値上りが悩みの種~小六は兄の増俸が気になる

1回
 手文庫事件は第7章と第9章に描かれる。間に挟まれたこの第8章は、本来第9章の後に配置されて然るべきである。暦の上からも、第7章-第9章-第8章の順である。なぜこんな入り繰りが生じたのか。漱石は何のためにこの章の順番を変えたのか。手文庫事件に関連して、その途中でどうしても書きたいことが、この第8章の中にあるのだろうか。

2回
 第8章は障子貼替の章にして御米と小六だけの章である。好いか悪いかは別として、『門』ならではの効果が発揮される。子供(や猫)がいないから、障子の損耗は少ないという御米。宗助の失言に涙した御米のセリフとも思えない。宗助に対する漱石の補償であろうか。御米と小六に、両性に由来する何事も想起されることはないと漱石は書くが、子供がいないからという御米の発言は、漱石の記述にふくらみを持たせるような、深みをあたえるような、考えさせられる設定ではある。

3回
 障子を貼り終えた小六は、坂井から届けられた菓子を食う。坂井から菓子折りが届いたのは第9章に入ってすぐ描かれる。その第9章第1回は泥棒事件の後日譚でもある。しかし第9章は全体としては屏風事件の後日譚でもある。泥棒事件と屏風事件は直接関係はない。坂井の菓子を食ったことを、そんなに急いで書く必要があるのだろうか。編集ミスではないか。でなければ読者にあることを訴えようとしているのか。興味のある人は本ブログ門篇16(通し回102.『門』泥棒事件の謎2ーーホームズ登場)をご覧いただきたい。
漱石「最後の挨拶」門篇 16 - 明石吟平の漱石ブログ

第9章 坂井という男
明治42年11月26日(金)~12月5日(日)
(宗助・御米・小六・坂井・道具屋・坂井の下女・坂井の子たち)
1回 坂井からの菓子折~坂井の来訪~金時計が泥棒から送り返されて来た
2回 道具屋は坂井の幼馴染み~坂井はつい最近道具屋から抱一の屏風を買った
3回 同居の始まっていた小六の約1ヶ月ぶりの登場~屏風の話題
4回 御米の不調~小六の尻が落ち着かない~宗助、坂井家を訪問する~雛飾り
5回 宗助、坂井と坂井の子供たちに会う
6回 宗助、坂井に屏風の由来を打ち明ける

1回
 夫婦が東京に住み始めたころ、家主とは殆ど往き来がなかったが、家主は髭のない男という認識であった。2年半経ってひょんな事件から、第7章で、手文庫を届けた宗助が坂井と話す機会が訪れた。坂井には鼻の下にチョビ髭があった。この2年半の間に生やし始めたのかも知れない。それはどうでもいいが、この日の午後、現場検証で刑事と共に宗助の家の裏手にやって来た坂井を見て、御米もまた坂井の髭に気が付いた。ところが夕方役所から帰った宗助に、御米は坂井に髭のあったことを報告したのはどういうことか。
「貴方、坂井さんはやっぱり髭を生やしていてよ」
 宗助は朝坂井と面談して髭を確認済である。もう少し別の言い方があったのではないか。御米にしては考えにくい記憶違いである。しかしこれはおそらく漱石の失念であろう。

2回
 宗助が坂井と親しくなる経緯の巧みさには何人も感心せざるを得ない。漱石ストーリーテラーでないというのが定評であるが、そうではあるまい。他の作品ではとかくぎこちなさの目立つ「一人二役」(宗助が半分漱石、坂井が半分以上漱石という意味)であるが、もちろんこの場合もほぼ坂井の一方的な講義に終始する関係ではあるが、宗助サイドに抱一のネタがあることも相俟って、ぎくしゃくしない、平穏な交情が描かれる。

3回
「宗助は始めて自分の家に小六のいる事に気が付いた」
 これまた不可思議な記述であるが、これが第8章を先に配置した理由であろうか。これには抱一の売却問題が絡んでいる。それも単に1エピソードにとどまらず、小六の学資問題から佐伯の叔父の財産横領事件、宗助と御米の倫理的事件と、『門』の根幹をなす物語に繋がってゆく。ストーリーテラーたるゆえんである。

4回
 この回で、『門』のサブストーリーたる主役3名の事件(①小六の引越、②御米の病気、③宗助の参禅)のうち、①は既出として、②と③の伏線が出揃う。御米の体調不良は小六の同居も半分原因している。そして交際嫌いのはずの宗助が坂井に接近していく姿、夭折した妹の逸話も印象深い。
 ところでこの妹の逝去は、ちょうど小六の生まれた頃にあたる。年次の特定は困難であるが、小六がこの妹より年下であることは間違いない。すると第4章3回冒頭の、「宗助と小六の間には、まだ二人ほど男の子が挟まっていたが、いずれも早世してしまったので、兄弟とはいいながら、年は十ばかり違っている」という文章の下線部は、正確を期すなら、「二人の男の子と一人の女の子」であろう。いずれにせよ小六は末っ子であった。

5回
 坂井の子たちは漱石の家族を模していようが、女の子はともかく、男の子は躾が行き届いていないようなところが漱石の男の子を彷彿させる。やっと出来た男子だから可愛さのあまり甘やかしたわけではあるまい。漱石に自己愛の念が薄かったのと同様、子供にもむやみに愛情を降り注ぐタイプではなかった。良く言えば子供の自主性に任せた、悪く言えば無関心、まるで自分の著作に対するように接している。公平無私ともとれるし、自分が一番大事ともとれる。漱石自身はこの態度を則天去私と名付けた。

6回
 宗助夫婦が35円で売った抱一を坂井が80円で買った。宗助と坂井は以後親しくなったと漱石は書く。人と人との関係に必ずお金の話が登場する。例外がない。このように書く作家は漱石以外にいない(筈である)。漱石は(絵画の巨匠のように)技巧を発揮して人間関係に金銭譚を附着させているわけではあるまい。強迫観念のように、ついつい金の話になってしまうのだろう。人を書くとき、性格・思想・環境・容姿より、金の話に関心が行く。金銭は漱石にとって一つのスタンダードである。もちろん金が問題なのではない。その多寡は尚更問題でない。金そのものに価値はない。だから平気で金の話ばかり書くのだろう。公平といえばこれほど公平なことはない。