明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 21

107.『門』人物一覧(3)――『門』目次第13章~第17章


第13章 贖罪
     明治42年12月30日(木)
1回 宗助・――・――・坂井・細君・長女・次女
2回 宗助・――・――・坂井・細君・織屋
3回 宗助・御米・――・坂井・細君・織屋
4回 宗助御米・――
5回 宗助・御米・――
   回想(明治37年・明治39年)
6回 宗助・御米・――
   回想(明治41年)
7回 宗助・御米・――
   回想(明治41年)
8回 宗助・御米・――・易者
   回想(明治41年)

 前半が甲府の織屋の滑稽譚、後半が御米の哀しい過去。

第14章 宗助と御米の過去
     明治42年12月30日(木)
1回 宗助・御米・――
2回 宗助・――・――・安井
   回想(明治35年)
3回 宗助・――・――・安井
   回想(明治36年)
4回 宗助・――・――・父
   回想(明治36年)
5回 宗助・――・――・安井
   回想(明治36年)
6回 宗助・御米・――・安井
   回想(明治36年)
7回 宗助・御米・――・安井
   回想(明治36年)
8回 宗助・御米・――・安井
   回想(明治36年)
9回 宗助・御米・――・安井
   回想(明治36年~明治37年)
10回 宗助・御米・――・安井
    回想(明治37年)

 この章の回想シーンが宗助と御米の大風事件である。若い男女の愉しい日々が、突然地獄の業火に焼き尽される。この程度のことでなぜ、と言っても始まらない。安井と御米は籍を入れていなかったと思われるから、(代助のときには吹いたとされる)業火だの大風だのが、果たして吹くだろうか、単なる三角関係ではないか、と言っても始まらない。
 まあ実際にはよくある、ボヤ程度の話であろうが、そんな話を書いてそれがなぜ百年の命脈を保つことが出来るのか。材料ではない。書き方(だけ)でもあるまい。悩み方(困り方)の問題であろうか。落語の世界では人物(主人物)が困れば困るほど客は喜ぶのであるが。

第15章 大晦日の風景
     明治42年12月31日(金)
1回 宗助・御米・小六・清・坂井
2回 宗助・御米・小六・清

第16章 冒険者
     明治43年1月1日(土)~1月7日(金)
1回 宗助・御米・小六・坂井の下女
   明治43年1月1日(土)~1月3日(月)
2回 宗助・――・――・坂井
   明治43年1月7日(金)
3回 宗助・――・――・坂井
   明治43年1月7日(金)
4回 宗助・――・――・坂井・坂井の弟
   明治43年1月7日(金)
5回 宗助・――・――・坂井・坂井の弟・安井
   明治43年1月7日(金)

 第15章が大晦日、第16章が正月の、平和な風景である。正月1日、2日、3日、7日、漱石は几帳面に日付を記している。そして7日の日にまた宗助が坂井に呼ばれたのはいいが、その夜坂井の口から思いもよらぬ安井の名が飛び出し、宗助は真っ蒼になる。

第17章 安井の幻影
     明治43年1月7日(金)~1月9日(日)
1回 宗助・御米・――・安井
   回想(明治36年~明治37年)
2回 宗助・御米・――
   明治43年1月7日(金)
3回 宗助・御米・――
   明治43年1月8日(土)
4回 宗助・御米・小六
   明治43年1月9日(日)
5回 宗助・――・――
   明治43年1月9日(日)
6回 宗助・御米・――
   明治43年1月9日(日)

 ①1月7日の夜、坂井の家から帰宅した宗助は、恐怖心からいっそのこと御米に、坂井から聞いた冒険者のことをすべて打ち明けようかとも思う。苦しみを分かち合うためである。硬くなって夜具を被った宗助は御米を呼ぶ。しかし、

「熱い湯を一杯貰おう」
 宗助はとうとう言おうとした事を言い切る勇気を失って、嘘を吐いて誤魔化した。(17ノ2回末尾)

 漱石は嘘の吐けない人であるが、漱石の主人公がここまで露骨に嘘吐き呼ばわりされることは稀有のことである。その中身は、世間的にはまあ嘘の範疇には入るまい。気が弱くて安井のことを言い出せず、つい湯を所望しただけである。しかし嘘の吐けない漱石にとって、欲しくもない飲み物を要求することは、あってはならぬことであった。
 ②翌日、役所を休んだらという御米を振り切って電車に乗るが、役所でも仕事が手に着かない。漸く時間が来て家へ帰った宗助は、御米を誘って寄席(娘義太夫)に行く。高座は人でいっぱいだった。

 翌日になっても宗助の心に落付が来なかった事は、略(ほぼ)前の日と同じであった。役所が退けて、例の通り電車へ乗ったが、今夜自分と前後して、安井が坂井の家へ客に来ると云う事を想像すると、何うしても、わざわざ其人と接近するために、こんな速力で、家へ帰って行くのが不合理に思われた。……
 坂井が④一昨日の晩、自分の弟を評して、一口に「冒険者(アドヴェンチュアラー)と云った、その音が今宗助の耳に高く響き渡った。(17ノ4回)

 ①1月7日(金)、②1月8日(土)と来れば、③は1月9日(日)である。④で念を押しているように、1月9日の一昨日は1月7日である。このくだりで漱石の叙述に飛躍や省略等があるわけではない。つまり宗助はまさしく日曜日に役所へ出たことになる。
 それが災いしたのか、宗助は帰り道に神田で降りて牛肉店で酒を(3本も)飲んでいる。盃二三杯がやっとの宗助(漱石)にしては、気が狂ったような飲みぶりである。まさか曜日を間違えて自棄を起こしたわけでもあるまい。

 作中のカレンダーについて、詳しく書けば書くほど齟齬が生じるのが漱石である、と前にも書いたが、漱石全集『三四郎』『それから』『門』で、そのいくつかある「日にちや曜日の書き誤り」を指摘したものはこれまでなかった(と思う)。ところが不思議なことに、没後百年を経た「定本漱石全集」に始めて、上記『門』の、明治43年1月9日(日)の箇所の矛盾が湧出したようである。定本漱石全集の『門』の注解に、この日曜出勤の指摘が(さらりとだが)ある。

 漱石は何と言うであろうか。『門』はフィクションであるから、物語の今現在が明治何年でも苦しくない。1月某日が何曜日でも構わない。己は日曜日のときには日曜日と書く。
 おっしゃる通りではある。読者もまた、漱石先生明治43年1月9日は日曜日でしたと言うだけである。そして論者はおせっかいにも、宗助がはっきりと(17ノ2回で)嘘を吐いたのであるから、漱石も負けずにそれに合わせて(17ノ4回で)嘘を吐き返したのであろう、と推測するだけである。