明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」野分篇 23

358.『野分』すべてがこの中にある(2)――披露宴と演説会


(前項よりつづき)

Ⅰ 『野分』にのみあって、他の漱石作品には見られないもの。

 前回までのところでは、『野分』の独自性を発揮するような箇所はなかったようである。『野分』にしか使われない部品は特に見つからない。雑誌記者という職業がユニークと言っても、『行人』の二郎の設計事務所勤務がユニークなのと同断である。主人公が身過ぎ世過ぎしていることに違いはない。それは高等遊民であっても話は変わらない。
 では引き続き見て行こう。

第9章 中野君の結婚披露(高柳 VS. 中野・婚約者)
章題9 結婚披露宴
 結婚式ではないようだ。園遊会形式での結婚披露パーティ。園遊会自体は『それから』にも描かれたが、結婚披露宴こそ『野分』にあって他の作品に見られない最たるものであろう。
 結婚式でまず連想されるのは、峠を馬で越える『草枕』那美さんの花嫁姿であるが、結婚式そのものが描かれた唯一の作品たる『行人』(お貞さんとオデコの佐野)では、長野一家が全員列席するという、漱石としては大変丁寧な舞台設定となった。読者は漱石夫妻が1度だけ仲人をした遠縁の某女の例を識っている。一方漱石自身の結婚式は形だけのものであったが(披露宴など勿論ない)、『道草』では三々九度の盃の縁が欠けていた(※1)と書かれた。鏡子の『思い出』によると、漱石は忘れていたようだが盃の組合せが(大だか小だか)1つ不足していたのだという。このねじ曲げ方(脚色)も漱石としては珍しい部類に属するだろう。

 美禰子の結婚式、関と清子、津田とお延の結婚式で実際に小説に登場したのは、招待状だけであった。『それから』平岡と三千代、『行人』岡田とお兼さん、『心』の先生と御嬢さんは、それすらない。漱石は三千代の(お兼さんや御嬢さんの)花嫁姿を、読者の脳裏に一片たりとも刻みつけないようにしたかったのだろう。あるいは自分の見なかったことは書かないという方針を、単に貫いただけなのか。『行人』三沢の挙式も、何の理由もほのめかされることすらなく、延期ということで打ち遣られてしまった。

 漱石最初の結婚譚、『猫』寒月の郷里での結婚は、本人の報告だけで済まされた。本命だったはずの金田富子との破談の経緯について、寒月本人による説明にはなぜか虚偽の匂いが付き纏う。金田家が全員で大磯に避暑に行った留守に、博士号取得延期を伝えたというのである。おそらく漱石作品で最も不可解な嘘の1つであろう。万人に愛される漱石の『猫』であるが、このときの寒月の「嘘」を合理的に説明出来る人がいるだろうか。迷亭の駄法螺とは訳が違うのである。「魂の交信」という話では勿論ない。
 話は逸れるが、ことのついでに論者の推測を述べると、寒月は事情の釈明に訪れたが、留守番の者しか残っていなかったため、訪問の趣きを一筆したためて、それで我が事足れりと思ったのであろう。金田家の不在は自分のせいではない。博士号のことはこれで伝えた。伝えたからには自分の中ではもうこの問題は解決済である。金田家とは縁が切れた。博士号にはこだわらないと仮に相手が言い出すなら、また別の展開もあろうが、そもそも寒月はそんな相手側の思惑など、始めから気にかけていない。坊っちゃんは辞表を校長宛に投函して松山の地を去った。辞表不受理の可能性にまったく関心がなかったのである。(受取った相手のことを少しも考えなかったのである。校長が辞表の受取りを拒否して、坊っちゃんを懲戒免職処分にしても不思議ではなかったのに。)

 そしてこの話には、「結婚の話は始めからなかった。こちらから申込んだ事実はない」という、寒月による妙に漱石風のオチがついている。だから寒月としては正式には他の誰にも断ることなく、郷里で新妻を迎えたというのである。吾妻橋はーい返事事件はどこへ行ったのか。富子が譫言に寒月の名を呼んだという博士夫人の作話は何だったのか。(寒月に言わせると、だから留守宅にわざわざ置手紙までしたのである。自分と金田家が決着すれば、あとは他人の容喙すべき話ではない。)
 これは『行人』三沢が出帰りの娘さんの三回忌のとき、二郎と交わした「何故そんなら始めから僕に遣ろうと云わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当にして」「一体君は貰いたいと申し込んだ事でもあるのか」「ないさ」という、驚ろきのやりとりに先鞭をつけるものであると同時に、このときの三沢の心情に一筋、理解の光明を与えるものになっている。

第10章 道也と細君生計のピンチ(道也 VS. 細君、細君 VS. 兄)
章題10 道也の留守に兄が来る・借金に関する兄の策略

 この小説で道也と兄が顔を合わせないのは、珍しいことに兄もまた漱石の分身ではないかとは、前に述べた。主人公の留守に人が来るというのも漱石のしばしば書くところである。時代のせいもあるが、漱石は偏屈のようでいて、末っ子らしい尻の軽さも見せ、わりとこまめに人の家を訪ねる方である。苦沙弥は細君に(「俺がなんで重い」)「重いじゃありませんか」と言われるが、「わはは、ザヴェジチーだ(※2)」と言われていきなりステッキを持って表へ飛び出したり、ボールが庭に投げ込まれただけで即座に生徒を捕獲する敏捷さも見せる。漱石は器械体操が得意だし、坊っちゃんはすばしっこいのである。
 いたずらに毛が生えたような「策謀」もまた、漱石のよくするところ。少し行き過ぎると、『心』の先生のように取り返しのつかないことになる。逆に策略の対極にいる人物、馬鹿正直の見本のような坊っちゃんは、策略はおろか嘘さえ吐けそうにないが、人に騙されたふりをするのも策略の1つかも知れない。『門』の宗助も『心』の先生も、叔父に騙されない工夫はいくらもあったはずである。土地や墓や穢い家など、始めから要らないから騙されたふりをしたのであろうか。

第11章 道也の演説会(道也 VS. 細君、高柳 VS. 道也演説)
章題11 演説会
 これも『野分』のみに見られるもの。唯一近いと思われるのが、『三四郎』の同級生親睦会における「演説」(ダーターファブラ)であろうか。この「我々は」(諸君!と同義)と呼び掛ける弁士はその後落ちぶれて、『門』と『明暗』に見える放浪紳士(風船ダルマ売りと玉子の手品)となった。演説は広い意味で教師の講義にも似ているが、長い講義歴が巧みな講演につながったのは想像に難くない。ということは(漱石の中では)広義には教師もまた人を騙す(誤魔化す)仕事であるということであろう。漱石が教師を辞めたくて困っていたわけは、自由な時間が欲しいというより、教師という職業に半分自責の念を感じていたからに他ならない。もっとも小説家という職業にそれを感じなかったわけでもないだろうが。

第12章 道也の『人格論』を百円で買う(高柳 VS. 中野、道也 VS. 債権者、高柳 VS. 道也)
章題12 大金の移動・貸し借り

 金が動く動かないという話は漱石の定番である。『門』『心』の財産横領事件は金額が1桁違うから置いておくとして、最高額は『坊っちゃん』の600円(プラス清へ50円)。『それから』の500円(実働200円)がこれに次ぎ、『野分』の「100円」は、『行人』(女景清、拒絶された後年の見舞金)、『道草』にも引き継がれた。(『野分』もそうだが、坊っちゃんも代助も「兄から弟への財産の移動」である。これは兄の子から見れば「叔父に家の財産をかすめ取られた」ということで、宗助や『心』の先生と微妙に繋がるものである。突飛なようだが、『行人』では財産がお直(嫂)の貞操という厄介なモノに置き換えられ、『道草』の場合はそれがより込み入った話になっている。――健三の養育費の追加精算金であれば、それは本来父もしくは父の相続人に持ち込むべき話であろう。)
 以下『三四郎』競馬で摩った与次郎に貸した20円(広田先生の立替えた野々宮家のヴァイオリン代)、美禰子に借りた30円(臨時の仕送りで返す)、『門』抱一の屛風35円(冬用に外套と靴を買ったもよう。坂井の買値は80円)、『明暗』小林への餞別30円(内10円が画学生原に渡る)。ある程度の金額だと、当然小説の中でも書きっ放しというわけにはいかないらしく、その金の出処進退については、漱石は几帳面に説明している。とくに『明暗』ではそれが激しさを増す。(たかだか津田の臨時の小遣いのために『心』や『道草』1冊分くらい、主人公たちが言い合いをするのである。)

 『猫』では浮世離れした高等遊民たちが吹きまくる法螺に似て、大部の小説に実際にお金の姿を拝むことはないが、金の話自体は飽くことなく繰り返される。話が必要以上に細かくなるにつれて滑稽味も増すというのは喜劇の鉄則らしく、泥棒に盗られた品々が落語ネタ付きで、帯6円、羽織15円、山の芋12円50銭と披露される。(山芋が1本7万円とか10万円というのである。細君は呆れるが苦沙弥先生はどこがヘンなのか分からない。)
 『虞美人草』もまた『猫』と同じく、実際にお金の映像の映らない小説であるが、こちらはそれが故に(『猫』と違って反対に)、リアリティを欠くことにつながってしまったようである。作品の雰囲気というものは、(評価や売れ行きと同じく)作者の予期し得ないものの1つである。漱石は始めての新聞小説虞美人草』に対して、ある覚悟を抱いていたとは思われるが、他の作品ととくに違った書き方をしたわけではないだろう。しかしその他の漱石作品すべてに、実物のお金(お札や小銭)が飛び交うことを思えば、『虞美人草』の悔やまれる失点であろうか。(金の話自体は当然ながら『虞美人草』にもいくつも出てくる。物語の最後に小野さんは浅井に10円貸すのであるが、――ここでの議論は、例え1回でもその紙幣現物が、他の小説のようには描かれなかったということである、――でもこれが結末の大活劇の糸口となった。転んでも只起きないとはこのことか。)

 『草枕』は反対に金額は明かされないが、那美さんは野武士に財布ごと金を遣る。そのシーンは夢のように美しい(※3)。金高が書かれないのは、『それから』代助から三千代への2度目の援助(財布から旅行用に誂えた紙幣をそのまま抜いて、50円くらいか)、『彼岸過迄』森本に踏倒された半年分の下宿料(100円はくだるまい)、『心』で先生に立て替えてもらった旅費(奥さんはそれを白い半紙の上へ鄭寧に重ねた、と書かれるから、まあ5円札で15円か20円であろう)。『明暗』で紙爆弾のように往来する小切手も同じ。こちらも額面は50円くらいか。
 
 金については話の尽きることはないが、以上結局、項目(『野分』にだけあって他の作品にないもの)としては、

・章題9 結婚披露宴
・章題11 演説会


 の2つのアイテムが挙げられよう。この2つに限って漱石の小説らしくないと言うべきか、『野分』らしいと言うべきか。

※注1)我々の生は縁を欠いている
 前々項(本ブログ第21項)で、最後の作品が未完のままに終わった(漱石太宰治のような)作家について、「我々の生は縁を欠いている」というヴィトゲンシュタイン論理哲学論考』の中の言葉を引用したが、これはもちろん、健三と御住の祝言の盃のように、「茶碗の縁が欠けている」という意味合いで「欠いている」と言っているのではない。
 ヴィトゲンシュタインは、生は死によって区切られるようなシロモノではない、生の行き着く先に死があるのではなく、生はその中に死を含まない、独立した何物かである、という意味で「人の生にはフチがない」「人の生には果てがない」「人の生には終わりがない」と言っているのである。
 フチがない、果てがないということは、ダラダラとどこまでも続いているという意味にも取れる。境界線があるわけではない。それは川の流れにも似て、(漱石が若い頃英訳した)『方丈記』にあるように、そこを通り過ぎる水には限りがないように見える。1ヶ所を見つめていると、始めも終りもない。(このことをヴィトゲンシュタインは、「現在を生きる者は永遠に生きる」と言った。)
 死はナイアガラの滝のように生の流れを区切るものではない。それはダムのように川を堰き止めるものでもなければ、地理学の言う川の終り(河口)でもない。生と死の狭間にあるものについては、我々は言い得ないのである。(そのことをヴィトゲンシュタインは、「語り得ぬものについては、人は沈黙していなければならない」と、『論理哲学論考』の末尾の大命題に、1行だけ記した。)
 漱石もまた文豪として生涯を賭けて生と死の問題を追及したと言ってよい。文豪とは偉大な哲学者の謂いであった。なら20世紀最大の哲学者ヴィトゲンシュタインを持ち出しても、互いに相手に不足はあるまい。
 ここでもう1度、『論理哲学論考』の該当部分を引用してみる。(愚訳の表現を少し変えている。)

6- 4311 私の死は、私の人生の1イベントではない。私は、私の死を経験しない。私の死は、私の経験するものの範囲を超えた、何物かである。(人は死を経験・・することが出来ない。)
 永遠を、終わりのない無限に続く時間の連続としてでなく、「非時間」と解するなら、今の瞬間を生きる「私」はまた、(瞬間という時間は認識し得ないのだから、)永遠の中に生きると言えるだろう。
 我々の視野に境界線がないように、我々の生もまた、奇妙なことに、縁(ふち)を欠いている

6- 4311 Death is not an event of life. Death is not lived through.
    If by eternity is understood not endless temporal duration but timelessness, then he lives eternally who lives in the present.
    Our life is endless in the way that our visual field is without limit.

Ludwig Wittgenstein ‘’ TRACTATUS  LOGICO – PHILOSOPHICUS ’’
Translated by Charles Kay Ogden ( Dover Publications, INC. , New York 1999 )

6- 4311 Death is not an event in life: we do not live to experience death.
    If we take eternity to mean not infinite temporal duration but timelessness, then eternal life belongs to those who live in the present.
    Our life has no end in just the way in which our visual field has no limits.

Ludwig Wittgenstein ‘’ TRACTATUS  LOGICO – PHILOSOPHICUS ’’
Translated by D. F. Pears & B. F. McGuinness ( Routledge & Kegan Paul , London 1974 )

 人の生に神秘を見るヴィトゲンシュタインは、自分の「生」を分からない物・知りえない物・「奇妙なもの」と見做していたことは間違いない。(「死」はまた別の意味で不可知のものであろう。)より詳しくは本ブログ坊っちゃん篇(15~17)を参照されたい。

※注2)わははザヴェジチーだ
「わはは、ザヴェジチーだ」というのは『猫』の中で最も小さんの笑いに近いものであろう。それは本ブログ草枕篇(4)でも述べた、マクベスの対照の妙にもつながる話で、マクベス門番の 「 Nock!」(叩く)は恐怖との対照であるが、『猫』の俥屋の「 Savage tea 」は、滑稽との対照で、そこに更なるおかしみが発生する。何より言葉の意味を知りようもない俥屋に「わはは、ザヴェジチーだ」と言わせているところに2重のおかしさがある。

※注3)那美さん野武士に金を遣る
 するりと抜け出たのは、九寸五分かと思いの外、財布の様な包み物である。差し出した白い手の下から、長い紐がふらふらと春風に揺れる。
  片足を前に、腰から上を少しそらして、差し出した、白い手頸に、紫の包。此丈の姿勢で充分画にはなろう。
  紫で一寸切れた図面が、二三寸の間隔をとって、振り返る男の体のこなし具合で、うまい按排につながれている。不即不離とは此刹那の有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後えに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれても居らん。両者の縁は紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。
  二人の姿勢が此の如く美妙な調和を保って居ると同時に、両者の顔と、衣服には飽迄の対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。(『草枕』12章)

 全体が1枚の美しい画であるのは言うまでもないとして、那美さんの紫色の財布に幾通りにも光が当てられる。財布には小遣い程度ではなく、何かの資金になるような、かなりまとまった額の金が入っているのではないか。同時に九寸五分の恋が紫ですかという『虞美人草』藤尾のセリフも、この部分の記述を参照しているようである。そして少し上体をそらすという、『三四郎』美禰子の(病院の玄関での)決めポーズも、その起源は那美さんであったことが分かる。

  男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧みに平均を保ちつつあった二人の位置は忽ち崩れる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成する上に、斯程の影響を与えようとは、画家ながら、今迄気がつかなかった。(『草枕』12章)

 漱石は絵画も小説も、要点は同じであると言いたげである。