明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 45

212.『行人』目次(4)――『塵労』

『塵労』 (全52回)

第1章 お直の来訪(明治45年3月17日)(または『帰ってから』第9章)
    二郎・お直・下宿の下女

第1回 陰刻な冬は彼岸の風に吹き払われた~「風呂かい」「三沢だろう」「いいえ女の方です」~下女の笑い~客は嫂であった
第2回「好く斯んな寒い晩に御出掛でした」「二郎さん、貴方も手を出して御あたりなさいな」「二郎さんは少時会わないうちに、急に改まっちまったのね」
第3回「何故元のようにちょくちょく入らっしゃらないの」「少し仕事の方が忙しいもんですから」二郎は洋行を考えている~「男は気楽なものね」「だって厭になれば何処へでも勝手に飛んで歩けるじゃありませんか」
第4回 珍しく嫂の方から兄との夫婦仲が悪くなる一方であることを打ち明けられる「二郎さん御迷惑でしたろう斯んな厭な話を聞かせて。妾今迄誰にもした事はないのよ、斯んな事。今日自分の宅へ行ってさえ黙ってる位ですもの」
第5回 二郎は兄のことが心配である~お直は兄のことは話そうとしない~お直は愚痴や具体的な不平を訴えに来たのではないようだ~ではなぜ二郎に会いに来たのだろう

第2章 父の来訪と兄のいない家(明治45年3月18日~23日)
    二郎・父・母・お直・お重・芳江・(兄)

第6回 嫂の亡霊~「あの落付、あの品位、あの寡黙、誰が評しても彼女はしっかりし過ぎたものに違いなかった。驚くべく図々しいものでもあった」~父からの突然の電話
第7回 父はとうとう十時頃になって遣って来た~「大方床の中で待ってたんだろう」
第8回 上野の表慶館~精養軒は兄の友人Kの披露宴で貸切~三橋の洋食屋で昼食
第9回「いいから御出よ。自分の宅じゃないか。偶には来るものだ」
第10回 久し振りの家族との会話~兄は友人Kの結婚式の招待を受けていた
第11回 お重の話~兄は心霊術に凝っている~「そんなものに罹るのはコレラに罹るより厭だわ妾」
第12回「変人なんだから、今迄もよく斯んな事があったには有ったんだが、変人丈にすぐ癒ったもんだがね。不思議だよ今度は」~二郎は兄に旅行でも勧めてみることに

第3章 三沢と一緒にHさんを訪ねる(3月24日)
    二郎・三沢・三沢の母・Hさん・(兄)

第13回 三沢の母~三沢の結婚決まる~三沢はあの出帰りの娘さんの油絵(肖像画)を描いていた
第14回 三沢に兄の神経症を相談~三沢とHさんを訪ねる~「兄さんは相変らず勉強ですか。ああ勉強しては不可ないね」
第15回 Hさんは昨日精養軒で兄と一緒だった~Hさんの家で夕食まで共にした~兄の神経衰弱は有名~兄は死後の研究をしている~Hさんに兄を旅行に連れ出すことを依頼

第4章 雅楽所での出来事(4月~5月・6月2日)
    二郎・三沢・(雅楽所に来ていた知人・三沢の知人たち・三沢の婚約者・その兄・婚約者の親友)

第16回 1週間経ってもHさんからは何の通知もない~三沢やってきて兄が旅行を断ったという~三沢は二郎に結婚相手を紹介すると約束~三沢本人の結婚は秋に延期か
第17回 4月から5月へ季節は移る~三沢より雅楽所の招待状~Hさんと兄の旅行は実現しそう~6月2日雅楽所へ出掛ける
第18回 雅楽所で見た織田信長の紋所~N侯爵・坊主頭の丸い小さなK公爵がいた~三沢も来場~三沢の婚約者が来ていると教えられる(6/2日)
第19回 三沢の婚約者の隣にはもう1人の若い女~幕間に茶菓の接待~三沢の婚約者の兄が話に来る~「もう1人の女」はなぜか苦痛の表情を浮かべている(6/2日)
第20回 二郎は「もう1人の女」を観察する~喫煙室~三沢と雅楽所を出る「何うだい、気に入らないかね」(6/2日)

第5章 Hさん再び(6月2日~6月22日)
    二郎・母・三沢・Hさん

第21回 三沢の婚約者は宮内省の役人の娘~もう1人の美しい女はその親友であった~Hさんの旅行の件は母も喜ぶ~二郎は兄の感情の方が気になる~兄は自分をどう思っているのだろうか(6/2日~6/5水~6/12水)
第22回 Hさんを訪ねる~Hさんに旅行中の手紙による報告を依頼~Hさんは後で話を聞きに来れば沢山だと言う(6/13木~6/16日)
第23回 二郎嘘を吐く~両親が心配して兄の日々の動向を知りたがる~Hさんは笑って相手にしない~二郎の舌禍~Hさんの不快~二郎の結婚観(6/16日)
第24回 三沢と会っても女の話が先へ進まない~二郎は事務所を辞めて大阪へ行こうかとも思う~二郎と三沢の嚙み合わない結婚問題~事務所に嫂からの電話~Hさんと兄は今朝新橋を立った(6/16日~6/22土)

第6章 兄のいない家再び(6月22日)
    二郎・嫂・母・お重・芳江

第25回 二郎実家へ行く~実家では冷蔵庫を使い始めた~嫂との会話「だから妾の事なんか何うでも構わないのよ。だから旅に出掛けたのよ」~風呂から上がった母「おや何時来たの」(6/22土)
第26回「もう好い加減に芳江を起さないと又晩に寝ないで困るよ」~外出先から戻ったお重は知人宅で二郎の秘密をすっかり聞いて来たと言う(6/22土)
第27回 お重の暴露する二郎の見合い事件~母の尋問~我不関焉の嫂~日が暮れればすぐ寝かされる習慣の芳江は、昼寝のし過ぎでその日は二郎が帰るまで寝床に入らなかった(6/22土)
第28回 11日目の晩についに届いたHさんの手紙(7/2火~7/3水)(以下第7章「Hさんの手紙」へ続く)

第7章 沼津(6月29日・6月22日~23日)
    (以下人物は一郎とHさんのみ)

第28回 鎌倉着 手紙の書き出し~旅行に出て1週間、だんだん手紙を書く必要性を感じるようになった~一緒に旅行する相手のことをこっそり手紙に書いて報告する反倫理より、手紙を書くべきという感情の方が上回るようになった(6/29土)
第29回 二三日前からこの紅が谷に来ている~知人の小別荘だが、宿屋と違って部屋数があるので自由度が増した~手紙を書き始めた(6/29土)
第30回 沼津1 新橋を出る前の突然の行き先変更~沼津到着~囲碁事件(6/22土)
第31回 囲碁事件つづき~やるも地獄やらぬも地獄~進んでも止まっても怖くて怖くて溜まらない(6/22土)
第32回「人間の不安は科学の発展から来る」~心臓の脈打つ恐ろしさ~「人間全体の不安を自分1人に集めて、そのまた不安を一刻一分の短時間に煮詰めた恐ろしさ」(6/22土)
第33回 沼津2「善悪も損得もない、天然のままの心を天然のまま顔に出す、その刹那人間は尊い」~一郎は早晩宗教へ行くべき人間か(6/23日)
第34回 下賎でも犯罪者でも天然居士が尊い~であれば他にどんな神が要るのか~僕は死んだ神より生きた人間の方が好きだ(6/23日)

第8章 修善寺(6月24日~25日)

第35回 修善寺 興津・清水には行きたくない~修善寺の名前が好き~修善寺は山が迫って窮屈だ~寝られないのは毒~Hさんは寝られないのもまた愉快と言う(6/24月)
第36回 修善寺 山上の垂訓修善寺篇~「あれは僕の所有だ」「自分に誠実でないものは、決して他人に誠実であり得ない」(6/25火)
第37回 一郎の孤独~両親への不満~嫂殴打事件の告白(6/25火)

第9章 小田原・箱根(6月26日~28日)

第38回 小田原1 マラルメ事件~「君の窮屈はマラルメより烈しい」(6/26水)
第39回 小田原2「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか」(6/27木)
第40回 モハメッド事件~「何故山の方へ歩いて行かない」(6/27木)
第41回 小田原宗教問答~神に対する日本人の態度~Hさん殴打事件(後出しジャンケン事件)(6/27木)
第42回 小田原浜辺の彷徨~「山に行こう。もう此処は厭になった」(6/27木)
第43回 箱根1 その晩のうちに箱根入り~隣室はうるさい(請負師か仲買か)~翌日雨の中の大声事件~その晩隣室は静か(6/27木~6/28金)
第44回 箱根2「神は自己だ」「僕は絶対だ」~絶対とは有るような無いような偉大なような微細なような~「根本義は死んでも生きても同じことにならねば、どうしても安心は得られない」(6/28金)
第45回 僕は軽薄才子だ~実行出来ない男だ~一郎の涙~「僕は馬鹿だ」~「二度とこんな所は御免だ」(6/28金)

第10章 鎌倉(6月29日)

第46回 鎌倉1 裏後出しジャンケンとは~Hさんが一郎を敬愛する理由~凡庸な人間に対し頭を下げて涙を流すほど正しい人(6/29土)
第47回 別荘から高い崖の松を見上げる~三度の食事は近所の宿屋から運ばせる~ススキの根を這う蟹を見る(6/29土)
第48回 蟹事件つづき~「忘我」「絶対」「所有」とは~一郎の心を奪うようなものがあればいいが(6/29土)

第11章 鎌倉最後の夜(6月29日~7月1日)

第49回 一昨日の晩の浜散歩~周囲はアベックばかり~お貞さんの結婚の話~西洋人の別荘~ピアノの音(6/29土)
第50回 香厳撃竹の公案(一撃に所知を失う)~一郎は知恵知識思想すべての重荷をおろして楽になりたい(6/29土)
第51回 鎌倉2 昨日朝食時Hさんは一郎の茶碗にご飯をよそう~お貞さんは幸福か~結婚したお貞さんは幸福か~結婚は女をスポイルする~一郎はてこ盛の飯をむしゃむしゃ食う(6/30日)
第52回 鎌倉3「私は旅行に出てから今日に至る迄の兄さんを出来る丈委しく書いた積です」「過去十日間のうち、此手紙に洩れた兄さんは一日もありません」「兄さんが此眠から永久覚めなかったら嘸幸福だろうという気が何処かでします。同時にもし此眠から永久覚めなかったら嘸悲しいだろうという気も何処かでします」(7/1月)