明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」野分篇 17

352.『野分』何を怒っているのか(3)――職業と道楽


 何度も述べるが、道也は子供のないことを除くと周囲の環境が、『猫』の苦沙弥そっくりである。鈴木藤十郎君と金田とのやりとりにこんなのがある。

「あの変人ね。そら君の旧友さ。苦沙弥とか何とか云うじゃないか」
「ええ苦沙弥がどうかしましたか」
「いえ、どうもせんがね。あの事件以来胸糞がわるくってね」
「御尤もで、全く苦沙弥は剛慢ですから……少しは自分の社会上の地位を考えて居るといいのですけれども、丸で一人天下ですから」
「そこさ。金に頭はさげん、実業家なんぞ――とか何とか、色々小生意気な事を云うから、そんなら実業家の腕前を見せてやろう、と思ってね。此間から大分弱らして居るんだが、矢っ張り頑張って居るんだ。どうも剛情な奴だ。驚ろいたよ」
「どうも損得と云う観念の乏しい奴ですから無暗に痩我慢を張るんでしょう。昔からああ云う癖のある男で、つまり自分の損になる事に気が付かないんですから度し難いです」
「あはははほんとに度し難い。色々手を易え品を易えてやって見るんだがね。とうとう仕舞に学校の生徒にやらした
「そいつは妙案ですな。利目が御座いましたか」
「これにゃあ、奴も大分困った様だ。もう遠からず落城するに極っている」
「そりゃ結構です。いくら威張っても多勢に無勢ですからな」
「そうさ、一人じゃあ仕方がねえ。それで大分弱った様だが、まあどんな様子か君に行って見て来てもらおうと云うのさ」
「はあ、そうですか。なに訳はありません。すぐ行って見ましょう。容子は帰りがけに御報知を致す事にして。面白いでしょう、あの頑固なのが意気銷沈して居る所は、屹度見物ですよ」
「ああ、それじゃ帰りに御寄り、待っているから」
「それでは御免蒙ります」(『猫』第8篇)

 これは俥屋一家や金田の茶坊主ピン助キシャゴの嫌がらせ、落雲館中学の吶喊事件・ボール投擲事件のことを指すが(『坊っちゃん』でもバッタ事件・吶喊事件は起こった)、『野分』のサイドストーリーとして読んで何の違和感もない。苦沙弥を道也と置き換えて何の問題もない。現に道也は中学を3度も追い出された。
 しかしこれらのエピソードは、滑稽味のために分かりにくくなっているが、
「損得勘定(感情)抜きで世間に立ち向かおうとする人間に対する、世間側からの報復」
 と見れば、表面的な類似の蔭に、漱石の常日頃の主張が見え隠れするようである。
 それは一言で言うと、
「金を稼ぐには嫌なことをしなければならない」
 という、ありふれた、それでいてあまり根拠のはっきりしない考え方である。

 職業と道楽というのは漱石文学の隠れた「永遠のテーマ」であるが、そこには金に対する漱石独特の考え方がある。
 金は嫌なことをする、その対価だというのである。もちろん誰でも金はもっと欲しい。しかしそれには嫌なことをもっとしなければならない。
 侍の血筋を引く漱石は、(侍でも進んで農業はしただろうに)農林漁業の喜び(苦しみ)を知らなかった。勤労の喜びと辛さは頭では理解したかも知れないが、実際に経験することはなかったと言っていい。だからこそ学者になったのであろうが、学者という職業にも教師という職業にも、嫌悪感以外の感情を抱いたことはなかったと思われる。漱石は教師という職業の喜びを知らなかった。あるいは漱石は小説家という職業に対してさえ、心からの歓びを抱いたことは一度もなかったのではないか。
 それは上に述べたような妙に潔癖な、強迫的とも言える倫理観に根差すものであった。漱石は何かに強制されて自らの働く歓びを禁じているようにすら見える。と言って働かないわけにはいかない。漱石のような勤勉な人間にとって、所謂3年寝太郎的発想はない。毎日休まず几帳面に働く。ただし金の顔(つら)は見たくない。それは嫌なことをした対価である。自分の恥に対するご褒美である。自然生き方としては金の貯まらない方へ奔る。これはある意味無頼派(戦後の)生き方に似ているが、漱石の場合は社会環境に関係なく、完全に個人の事情のみでそれを実行したところが変わっている。
 それが家族の目から見ると、

・夫 自分の主義と趣味を通すことに急で、世間と折り合わず、金を稼ごうとしない。
・妻 困り抜く。

 ということになる。

 漱石は家庭にいて当然それには気付いている。家族の困惑は知っている。漱石の性格からすると、知っていて知らぬ顔は出来ない。漱石は嘘は吐けない。
 ではどうすればいいか。勿論生き方を変えることはできない。現実にはどうすることもできないのである。
 最初から金があれば、こんなことにならなかった。世襲財産があれば、こんなにあくせく無駄なことをせずに済んだのに。
 すべてはそこから発している。あるいはすべてはそこに行き着くというべきか。

 本ブログ第13項でも述べたように、漱石はこの世襲財産の相続問題について書き続けた。
 『坊っちゃん』では兄は親の家を処分して坊っちゃんに600円、清に50円くれた。兄が遺産を折半したのでないことだけは確かである。(他人が口を挟むことではないが)最低でも5千円くらいは、兄は手にしたのだろう。
 しかし九州へ行った兄に子供が出来るとして、その子が将来叔父に財産(の一部)を奪われたと言い出さないだろうか。坊っちゃんは清から借りた金さえ返さないのであるから、兄から「貰った」600円を返す気遣いはさらにない。

 『草枕』でも那美さんは那古井の宿の女あるじのようであり、自分の金をしっかり持っているように見える。出帰り、母の死去、父の隠居、独り本宅に暮らす兄と仲が悪いとなると、那美さんの立場からは「那古井村一番の物持ち」志保田家の土地や財産が気になってしまう。那美さんは一度嫁に行った身でそれらを相続できるのだろうか。那美さんが相続できるのなら藤尾は死ぬ必要はなかったのではないか。
 そして『野分』でも兄弟の間で(倫理的にどちらかの責めに帰すかも知れないことが)何かあったというのは、先述した通り。道也は無一文で薬王寺前の借家に住まわっているが、兄は(早稲田に)自分の家を持っているようである。

 信じ難いことだが相続トラブルはその後も絶えることなく続いた。
 『虞美人草』は(父親の客死を受けて)甲野欽吾が相続財産を放棄して藤尾に呉れてやろうかという話であるし、小野清三と井上孤堂の間には、相続の逆パタンたる養育費の清算あるいは「婿入り」という問題があった。
 そもそも藤尾の問題は、後妻に入って藤尾を産んだ母親(一家の主婦)が、甲野家において(不思議なことに)何の権利も有しなかったことにある。
 甲野欽吾27歳、藤尾24歳。おそらく欽吾を産んですぐ逝ってしまったであろう母親に代わって、新しい母親が来る。じきに藤尾が生まれる。欽吾4歳、藤尾1歳。爾後20余年。欽吾はふつうなら継母を実の母と思うところ。その父親は『虞美人草』の物語の始まる直前まで生きていたのである。仮に欽吾が早くから事情を知っていたとしても、欽吾にとって藤尾の母は「謎の女」ではなくただの「自分の母」であろう。しかし漱石が藤尾母娘を、甲野家の資産の簒奪者になりうると見ていたのは確かである。

 『それから』の長井家は珍しく家長がいて金に不自由しないが、代助の生活は遺産の前渡し(遣い込み)のようでもあり、代助に起きた事件はその解消の話でもある。佐川の令嬢との見合い話は事実上の婿養子の話でもあろう。代助が資産家の子息でなければ『それから』の物語は何一つ生起しない。したとしても随分違った物語になるはずである――それはちょうど論者の謂う幻の最終作品の筋立てを暗示するような話でもあろうか。
 そして武者小路実篤が「それから論」だけを書いたのも、元々生活に困らない人たちの身に起こった事件に対する反応と分かれば、語るに落ちるとはこのことか。
 その代助にしても本来相続権はないのであるから、父や兄の金をふんだんに遣った贅沢三昧の暮しに対して、これまた将来甥の誠太郎からクレームを付けられる危険は去らない。それと知ってか代助は中学生になった誠太郎に対し

「到底人間として生存する為には、人間から嫌われると云う運命に到着するに違ない」
「その時彼
(誠太郎を指す)は穏やかに人の目に着かない服装をして、乞食の如く、何物をか求めつつ人の市を彷徨いて歩くだろう」(『それから』11章)

 と(頼まれもしないのに)予言している。「乞食の如く」さまよわなければならないのは当の代助の方であろう。漱石はなぜ長井家の正統な相続人たる誠太郎に対して、こんなもの言いをしたのだろうか。『それから』は『長井家の人々』ではないはずである。

 『門』は論ずるまでもなくストレートに「叔父による財産横領」と書かれ、『彼岸過迄』の市蔵は、出生の秘密が暴かれてみれば、本来相続権のない者が須永家を相続する(かも知れない)という、つまりは長男のような非嫡出子のような養子のような、漱石にとって身につまされるような話とも取れる。
 元来弟は相続出来ない時代ではあるが、兄弟による財産分割の話を、手の込んだ筋書きで攪乱しようとしたのが、『行人』の長野一郎と二郎であろう。両親とも健在であるという(漱石作品としては)異例の設定のもと、財産問題の代わりに、お直の貞操という(遠いようで近いとも言える)別の問題について、兄弟が煩悶することになる。そもそもこの物語に父親(老人)の存在は必要ない。和歌山旅行にも父親は(理由をまったく語られないまま)参加していない。女景清の逸話を紹介するためだけに出てきたとも思えないから、やはり相続の問題から目を逸らすために配置されたものであろう。

 『心』もまた『門』の事件が露骨に蒸し返され、あまつさえ先生は学生の私に(兄がいることを知って)、貰える財産があれば今のうちに貰っておけと、高等遊民らしからぬことを言う。
 『道草』は出帰った養子の話であるとともに、『虞美人草』の小野さんと同じ養育費の清算の話である。養育費が問題になるのは、要するに相続すべき財産がないということである。財産も貰えないのなら老親といえども世話をする必要はない、という興醒めの論理である。金の問題ではないと「育ての恩」を持ち出すなら、これはもう道徳の世界であり、文学の出張る余地はない。しかし一般に人が親に対して(世俗を満足させるような)愛情を感じるかどうかは、これはこれで道徳(自然法)とはまた別箇の問題であろう。だから(道徳の名を借りて)教え込む必要がある。生物界を見渡しても、長じた子が親を世話したり愛情を示したりするケースはないようだ。詳しく調べたわけではないが。

 『明暗』も遺産や財産などと騒ぐくらいなら、生きているうちに貰いたいものだという、子の側の尤もでかつ身勝手な理屈が全篇を覆っている。津田由雄とお延の夫婦が「世間並みの常識」に辿り着く運命にあるのか、またそもそもそんな必要があるのかというのが、この小説が読者に問い掛けていることであろう。吉川夫人は自分の力でそれを達成して見せると豪語するが、小説『明暗』を象徴する無駄な宣言であった。

「私がお延さんをもっと奥さんらしい奥さんにきっと育て上げて見せる」(『明暗』142回)

 というのは、赤シャツが坊っちゃんを「もっと教師らしい教師にして見せる」と言うようなもので、そんなことが出来れば苦労はないわけである。漱石は何のために胃に孔が穿くような小説を1ダースも書き連ねたのか。