明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」野分篇 12

347.『野分』主人公は誰か(4)――夫婦のあり方(つづき)


 子のない夫婦の源流は『野分』であった。結婚して7年、子供が出来ないという記述すらない。前述したが、それを除けば『野分』の夫婦は、外見だけでは苦沙弥夫婦や健三御住夫婦と区別が付かない。
 彼らが現実の漱石鏡子夫妻を模したものである以上、これは当り前のことだと思われるかも知れないが、(『猫』はさておくとしても)『野分』から9年後の『道草』まで、漱石のキャリアのほぼすべてが費やされていることを考えると、漱石はその間道也御政夫婦を封印していたとも言える。満を持して、とまでは思わなかったにせよ、『道草』で自分たち夫婦を書いたということは、そこに漱石のある覚悟が覗われるのではないか。
 修善寺で一度死んでいるから言うわけではないが、兄2人が若死にしていることもあり、漱石でなくとも「人間五十年」は当時こそ人々に汎く行き渡っていたはずである。苦沙弥も細君に「貴方のような胃病でそんなに永く生きられるもんですか」と極めつけられている。

 つまりちょっと先走るようで気が引けるが、漱石は『心』から(『硝子戸の中』を経て)『道草』に至る前後の頃には、ある種の身仕舞いに取り掛かろうとしていたのではないか。
「則天去私」は吾子の譬え(ある朝盲いた娘)が有名だが、夫婦についてもまさに同じことが言えよう。晩期3部作で夫婦の問題を書くことにしたのも、自身の生き方と夫婦としての生き方が、まったく別物にしてかつ不即不離の関係にあることを、「則天去私」のお題目の下に証明しようとしたものであろう。
 漱石ほど「自分(私)の生き方」にこだわった人もおるまい。人生を左右するような大きな局面でも、どうでもいいような些細なことがらに対してでも、漱石は常に自分の流儀を通す。自分の人生態度を1ミリも変えない。これが傍からはとてつもなく強情・頑固・意地っ張り・天邪鬼・無鉄砲・堅物・変人に見える。自分はそれでいい。自分で生きる分には人がどう思おうが知ったことでない。しかし夫婦は別である。自分の生き方が妻の生き方になる(場合がある)。夫婦に関しては、(愛情で結ばれたと考うべき)男と女に関しては、私を去ってより巨きな道にしたがうのが自然の法則ではないか。それを漱石は則天去私と言った。漱石にしてはずいぶんと妥協したつもりだったのだろう。あるいは細君ほど手に負えないものはないと、つくづく身に沁みたのか。
 則天去私のテーマはさておくとしても、『野分』の夫婦、少なくとも『野分』の細君がそのまま『道草』に移行したということだけは、言って差し支えないと思う。鏡子夫人は『野分』のあと9年間「雌伏」して、『道草』で不死鳥のごとく蘇った。(そして次の『明暗』で、吉川夫人の身体を借りて、「最後の挨拶」をするのである。)

 頭脳明晰な漱石は鏡子夫人の考えていることくらいは分かる。その中には、誰にあっても絶対認めるわけには行かない(因循で俗情に凝り固まったと漱石が信じた)女特有の考え方がある。それは漱石を苦しめたが、夫人もまた漱石と対峙することによってどこまでも泣かされた。
 ただし鏡子夫人の涙に対しても、漱石は理解しなかったわけではない。その釈明のようなものについては、早くから『猫』に一部(冗談めかして)書かれたが、『野分』では前の項で長々と引用した細君の愚痴めいたかきくどきになった。
 それは漱石にしては思い切って類型化されたものであるが、――一葉を思わせるのも、それがためであろう。漱石の文章はオリジナルに過ぎて、一瞬でも他の作家を連想させる箇所は滅多にないのだが、道也の細君の独白シーンには、さすがに初期作品らしいところが垣間見える。つまり漱石は所謂「毛脛丸出しで」女を描くには、この時あまりにすれっからしとは遠い位置にいたということであろうか。

 漱石は続く『虞美人草』でもう一度チャレンジして失敗したあと、この「女を装うこと」をいったん放棄した。美禰子・三千代・御米の前期3部作、千代子・お直・静の中期3部作において、漱石は「女を装うこと」「女の立場に立とうとすること」をやめて、傍観者(語り手)の立場に徹した。そしてその描き方・語り方は、万人が認める通り稀有の成功を収めた。とくにそれぞれの3部作の前2者、美禰子・三千代、千代子・お直の4人の女は、漱石ファンにとって忘れ難い存在となった。(直球、直球と投げて、最後は変化球。ファンへのインパクトは当然直球の方が強い。喩えはよくないが。)
 名人芸に胡坐をかくことを拒否する漱石は、最後の3部作で再チャレンジする。人形遣いの所有物でない、生身に生きる女を描くことにした。漱石の意のままにならない女。漱石に悩み方を訓えられるのではなく、自分で自分の悩みを悩む女。『野分』の進化した子孫たる御住とお延。――3作目は少し目先を変えてくるはずであるから、御住でもないお延でもない、漱石好みの女らしい女。それでいていつでも崖から飛び込みそうな思い切りの良さを見せる女――。

 幻の最終作の話をいくら続けても実りは期待できないが、『野分』のもう1人の若い女、あるいは『野分』に書かれた唯一の若い女である中野君の婚約者は、「漱石の女」の仲間たりうるか。それとも金田富子のチームメイトに過ぎないのだろうか。
 その中野君の婚約者の初登場シーンは少し芝居がかっている。道也が中野君の談話記事を取りに行って、その帰りがけの玄関。

「あなたは、もしや高柳周作と云う男を御存じじゃないですか」と念晴らしの為め聞いて見る。
「高柳? どうも知らん様です」と沓脱から片足をタタキへ卸して、高い背を半分後ろへ捩じ向けた。
「ことし大学を卒業した……」
「それじゃ知らん訳だ」と両足ともタタキの上へ運んだ。
 中野君はまだ何か云おうとした時、敷石をがらがらと車の軋る音がして梶棒は硝子の扉の前にとまった。①道也先生が扉を開く途端に車上の人はひらり厚い雪駄を御影の上に落した。②五色の雲がわが眼を掠めて過ぎた心持ちで往来へ出る。
 時計はもう四時過ぎである。深い碧りの上へ薄いセピヤを流した空のなかに、はっきりせぬ鳶が一羽舞っている。雁はまだ渡って来ぬ。向から袴の股立ちを取った小供が唱歌を謡いながら愉快そうにあるいて来た。肩に担いだ笹の枝には草の穂で作った梟が踊りながらぶら下がって行く。大方雑子ヶ谷へでも行ったのだろう。軒の深い菓物屋の奥の方に柿許りがあかるく見える。夕暮に近づくと何となくうそ寒い。
 ③薬王寺に来たのは、帽子の庇の下から往来の人の顔がしかと見分けのつかぬ頃である。④三十三所と彫ってある石標を右に見て、紺屋の横町を半丁程西へ這入るとわが家の門口へ出る。家のなかは暗い。
「おや御帰り」と、細君が台所で云う。台所も玄関も大した相違のない程小さな家である。
「下女はどっかへ行ったのか」と二畳の玄関から、六畳の座敷へ通る。
「一寸、柳町迄使に行きました」と細君は又台所へ引き返す。(『野分』第3章)

 登場人物を描くのに足から(足だけ)映すという技法は昔からあったようだ(①)。中野君の婚約者はとりあえず②の「五色の雲」という1語のみで形容されるが、華美な登場の仕方は金田富子・マドンナ・那美さんに続くヒロインの資格充分である。この「五色の雲」が中野君の婚約者であることは後刻、先にも少し引用した高柳君の郷里に触れた箇所で明かされる。

「御国は一体どこなの」
「国は新潟県です」
「遠い所なのね。新潟県は御米の出来る所でしょう。矢っ張り御百姓なの」
「農、なんでしょう。――ああ新潟県で思い出した。此間あなたが御出のとき行き違に出て行った男があるでしょう」
「ええ、あの長い顔の髭を生やした。あれはなに、⑤わたしあの人の下駄を見て吃驚したわ。随分薄っぺらなのね。丸で草履よ
「あれで泰然たるものですよ。そうして些とも愛嬌のない男でね。こっちから何か話しかけても、何にも応答をしない」
「夫で何しに来たの」
「江湖雑誌の記者と云うんで、談話の筆記に来たんです」
「あなたの? 何か話して御遣りになって?」
「ええ、あの雑誌を送って来ているからあとで見せましょう。――夫であの男について妙な話しがあるんです。⑥高柳が国の中学に居た時分あの人に習ったんです――あれで文学士ですよ」
「あれで? まあ」
「所が⑦高柳なんぞが、色々な、いたずらをして、苛めて追い出して仕舞ったんです」
「あの人を? ひどい事をするのね」
「夫で⑧高柳は今となって自分が生活に困難しているものだから、後悔して、嘸先生も追い出された為めに難義をしたろう、逢ったら謝罪するって云ってましたよ」(『野分』第7章)

 女は道也の薄っぺらい草履のような下駄を覚えていた(⑤)。これは女を始めて描いたときの厚い雪駄(①)との対照の効果を狙ったものであろうが、そんな小細工に気が差すのか漱石は、道也の住まいを後にも先にもないような丁寧さで描く。道也の家は市ヶ谷の薬王寺前であったが、どの家屋か特定できるような異例の描き方である(③と④)。
 そして女が中野君の婚約者と判明したときには、⑥⑦⑧というこの小説の骨子を、改めて中野君の口から復唱させている。

 中野君の婚約者の役割は何か。この無個性で(漱石の嫌う)紋切型の令嬢は、いったい何のために登場したのだろう。
 道也の借家(薬王寺前)を紹介する先導役か。(シェイクスピア劇のように)あらすじを再確認する賑やかしに引っ張り出されたのか。それとも物語の終わりで高柳君の転地に資金提供を発案するという、取って付けたような役目のためだけの存在か。単に地味な小説に彩りを添えるため、中野君と(女っ気のない)高柳君を際立たせるため、あるいは道也の細君との対照の妙を狙ったものか。まるで画にハイライトの絵筆を入れるように。
 中野君の婚約者には(道也の兄同様)名前がない。渾名さえない。短篇も含めて前後の作品を見ても、セリフのある若い女には名前が付けられるのが普通である。名前のないことが彼女の存在感を削いだのか。名前はあっても呼びようが難しかったので、つい書きそびれたのか。

 この漱石らしくないばたばたした書き方を見ると、若い女を登場させるというので緊張しているとも取れるし、気を遣っているとも取れる。自然でないとも言えるし、ぎこちないとも言える。照れる歳でもないが、漱石は何か言い訳をしたかったのだろうか。この癖・構えを、漱石は形を変えながら意図して永く残した。『行人』で二郎は、帰ったあとのお直に、

「だって反っ繰り返ってるじゃありませんか」(『塵労』5回)

 と言われたことを回想している。
 女の側からすると、もっとふつうの男のように振舞ってほしいということだろうか。でもそれをすると漱石漱石でなくなってしまう。