明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」野分篇 11

346.『野分』主人公は誰か(3)――夫婦のあり方


「こっち」のおかげで細君まで主役争いに加わった。
 この「複数主人公が銘々自分の思いを表出する」という描き方は、次作『虞美人草』に直結するものであるが、後に『門』にも目立たないように一部受け継がれた。久しぶりに登場した「主人公の細君」(御米――『野分』以来4年ぶり)に、漱石がつい同情してしまったのか。
 しかし真に『野分』の御政の後継者と言えるのは、『道草』の御住だけである。漱石は御住の内面に踏み込むのに、まったく躊躇するところがない。漱石は作者として御住に同情も言い訳もしない代わりに、御住の心の中を(男の視点ではあるが)誰にはばかることなく書きつらねた。
 『道草』だけでは気が済まなかったと見えて、『明暗』ではお延を(津田と並んで)、「自分の意思を持ち、自分の考えで行動する」男と同格の(と漱石は考えた)、女主人公に仕立て上げてしまった。つまりお延が次に起こすアクションは、お延自身に聞けというのである。これが則天去私ということであろう。『明暗』がいつまでも終わらなかったわけである。

 論者の謂う漱石の晩期3部作(『道草』『明暗』と幻の最終作品)の通奏低音となっているのは、この「物語の成行は自然に順う」という「則天去私」の考え方であろうが、御住・お延の描き方を見ると、幻の最終作品もヒロインは、自ずと自らの悩みを悩むように「直接」(主人公の眼を通さずに)描かれるのではないか。二番煎じを嫌う漱石としては、お延と同じような(完全に独立独歩する)書き方はしないだろうが、少なくとも御住程度にはヒロインの心の裡は語られるのであろう。
 まあそれは先の話としても、この晩期3部作の共通テーマは、細君の内面に漱石の筆が降りて行くということから、それを敷衍した「夫婦のあり方」ではないか。その萌芽が早くも『野分』にあったということである。

 話はさらに飛ぶが、3部作の共通テーマという観点から見ると、それは

 前期3部作(青春3部作) 愛の行方。
 中期3部作 つがう(番う)ことの難しさと苦しみ。
 晩期3部作 夫婦のあり方。

 というふうに言えないだろうか。からを貫く思想は「愛とは何か」ということであろが、これが太宰治が(漱石同様)いつまでも読み継がれる理由であると思われる。そこまで大袈裟に考えなくても、からにかけて、テーマとして段々成長して行く(ように見える)ところがミソ。書かれた小説とともに、テーマの難解度合も読者の意識も昂まって来る。漱石の読者がなぜ途絶えないか、その答えの1つがここにあると思う。
 そして晩期3部作の最終作(書かれなかった幻の最終作品)は、テーマとしてのスタート作品(『三四郎』)の、そのまた前に戻るのかも知れない。つまり初恋の成就という、漱石にとって禁断の、かつ永遠のテーマであるが、これらが混然一体となった「愛の研究」という構築物が漱石の文学世界であるとは言える。
 この壮大な3部作群の構成だけでも稀有のことであるが、漱石の場合はもう1つおまけに、『猫』上中下3部作、さらに「怒りの明治39年3部作」(『坊っちゃん』『草枕』『野分』)が(別棟として)屹立する。これらは朝日入社以前の、まさに歴史的建造物であろう。漱石が建築家志望であったから言うわけではないが。

 ところでこの「幻の最終作品」とはいかなるものであるか、前著(『明暗』に向かって)及び本ブログ草枕篇(8・9)に述べたことではあるが、話の行きがかり上ここでもう一度概略のみ紹介しておきたい。

 漱石の最晩年に使っていた手帳にこんな記述がある。

〇二人して一人の女を思う。一人は消極、sad, noble, shy, religious, 一人は active, social. 後者遂に女を得。前者女を得られて急に淋しさを強く感ずる。居たたまれなくなる。life  の meaning を疑う。遂に女を口説く。女(実は其人をひそかに愛している事を発見して戦慄しながら)時期後れたるを諭す。男聴かず。生活の真の意義を論ず。女は姦通か。自殺か。男を排斥するかの三方法を有つ。女自殺すると仮定す。男惘然として自殺せんとして能わず。僧になる。又還俗す。或所で彼女の夫と会す。(岩波書店版定本漱石全集第20巻『日記・断片下』大正5年断片71B末尾)

《幻の最終作品目録》
①初恋の人との出会いと別れ。
②未練そして再会。
③最初で最後の告白。
④驚き同時に喜ぶ女。
⑤始めて自分の力で勝ち取った至福。
⑥運命による復讐と女の死。
⑦贖罪の日。
⑧友との邂逅と最後の会話。
⑨救いと復活(があるかないか)。

 まるで9つの楽章を持つオラトリオのように奏されるであろう、この漱石最後の作品を以って、
『道草』『明暗』『〇〇』
 という「晩期3部作(則天去私3部作)」は完成されるはずであった。

 夫婦のあり方ということに着目して論述を続けると、その晩期3部作において、『道草』では夫婦関係はかなり煮詰まっていて、それなりに光明(あるいは諦観)さえ見えるようである。『明暗』は結婚して半年の、不確かな夫婦関係がこれから先どうなって行くかを描いた物語であろう。奇妙なことに(僅か半年しか経験がなくても)お延もまた、御住と同じような光明と諦観を見出すのではないか。そして「幻の最終作品」は女を獲得した(獲得された)あとの、夫婦関係が築かれてゆく、あるいはそれが築かれない前に起きるであろう悲劇という想定である。女は中途で退場してしまうので、光明と諦観は男に引き継がれる。あるいは断ち切られてしまう。

 子供が出て来るのは『道草』だけであるが(3番目の女の子の出産シーンが印象的)、これは自伝だから当然、あるいは『猫』(トン子・スン子・坊ば)の時期を書いたものだから当然、と言えば言えようが、それだけの理由でもない。例の3部作理論によると、漱石は3部作に1作ずつ、子供のいる(いた)主人公夫婦を描いていた。

 前期3部作『それから』または『門』 三千代の「生れた子供はじき死んだ」。残っていた赤いネルの着物。御米の育たなかった3人の嬰児の話は哀れを誘う。1人目の流産はともかく、2人目の児は未熟児で1週間だけ生きた。位牌もある。3人目は「臍帯纏絡」まあ死産であろう。この児にも位牌はあった。三千代と御米、どちらかでもぎりぎり「子供がいた」夫婦に該当しないだろうか。
 中期3部作『行人』 長野一郎お直の1人娘芳江。
 晩期3部作『道草』 名前のない3人の女の子。長女、次女、赤ん坊、と漱石は書いている。

 この子供付きの夫婦のルーツはもちろん『猫』である。反対に漱石は「子供のいない」主人公夫婦も、3部作の内に1作ずつ描いた。それが『野分』から発していることは言わずもがな。

 前期3部作『それから』または『門』 三千代も御米も「子供のいない夫婦」といってよいが、上記の裏返しで、該当はどちらか一方だけにできないか。
 中期3部作『心』 先生は望む結婚をしたにもかかわらず、始めから子供を設けるつもりがなかったようだ。小説の中で、先生の(妻と子に対する)罪と罰は明白に書かれる。
 晩期3部作「幻の最終作品」 女に襲いかかる悲劇まで、結婚後1年か2年の年数を経過していることが想定される。子供は当然産まれない。子供がないからこそ女は「決意」するのであろう。いっぽう『明暗』はまだ結婚半年であるから、(悪阻の症状の書かれない以上)津田とお延に子供のいない夫婦という言い方は当たらないのではないか。

 ちなみにお延が妊娠する(かも知れない)という話は、『明暗』が最後まで書かれたとしても、披露されないと論者には思われる。お延が(鏡子夫人のように初子を)流産してしまうという話も、読者には受け容れやすい展開であるが、初子を流産してしまうという話は、(鏡子=キヨ=清という聯想から)清子で既に使われている。お延まで流産したのでは、『明暗』は「流産小説」になってしまう。流産ということでは(ここではこれ以上追求しないが)、物語の副人物吉川夫人にもその(濃厚な)疑惑がある――吉川正夫・吉川奈津・直之助という創作メモが無言のうちにそれを伝えている。吉川夫人が清子の庇護者になるのは、それも原因しているのだろう。しかしお延までもが流産によってその仲間に加わるという話は、流石に便宜的に過ぎよう。

 夫婦の形に子の存在はその有無にかかわらず影響する。夫婦や子供と無縁に見える『三四郎』でさえ、汽車の女の子供の玩具、菊人形の迷子の女の子に加え、丁寧にも物語の大詰で三四郎を子供の葬列に遭遇させている。『心/先生と私』(8回)の「子供でもあると好いんですがね」「一人貰って遣ろうか」「貰ッ子じゃ、ねえあなた」も印象深いが、してみると『彼岸過迄/雨の降る日』も、たまたま起こったアクシデントを(供養のために)流用したのではないという気がする。もしも雛子の事故がなかったら、敬太郎が電車で遇った赤ん坊連れの蛇の目傘の女の描き方が違ったものになっていた可能性が高い(『彼岸過迄/風呂の後』11回)。子供のあるなしはいつでも漱石の気にかかっていたのである。