明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」心篇 5

218.『心』先生の年表――先生の自裁は38歳


 三四郎以来漱石の主人公の大学入学年次は、23歳と明示もされ、そうでない場合も23歳と想定して自然であった。さきほど引用した志賀直哉も「大学へ入る前の年だから二十三くらいだろうが」(「稲村雑談」)と言っている(志賀直哉は高校で2回落第した)。三四郎、代助・平岡、宗助・安井、市蔵・敬太郎、二郎・三沢、全員23歳帝大入学としてまず問題ない。修業年限は『それから』までが3年、『彼岸過迄』以降は4年である。『門』はおそらく3年の時代であったと思われるが、主人公が揃って中退しているのでは仕方ない。
 おしなべて漱石の主人公は漱石より皆一世代若い。漱石が職業作家になった頃(明治39、40年)を基準にすれば、漱石の若い主人公はおおむねその辺で入学している。あるいは卒業している。『心』で図らずも従来より一廻り年上の主人公が誕生してしまった。いくら『心』の眼目が主人公の書生時代の話であるといっても、漱石は自分の作った伝統を壊したわけである。始めはひとつの短篇としての例外のつもりだったかも知れないが、道を踏み外した漱石は、毒喰わば皿までとばかりに、続けて書いた『道草』では、『心』の先生よりさらに年上の、自分と似たような年代の男を主人公とした。『明暗』で元に戻ったのは読者にとってもめでたいことであったが、幻の最終作では、漱石の王道たる大学卒業前後の男たちの恋愛事件が描かれることになっていたのだろう。
 一方で『心』は(『行人』と同じく)、妻を虐め抜く夫の物語とも言えるが、『道草』でもそれは継続された。『明暗』においてさえ、津田は全篇に渡ってお延を悩ませ続けている。その意味で『行人』『心』『道草』『明暗』は夫による細君虐待のシリーズ物のようでもあるが、幻の最終作ではなぜこんなことになったのかという、漱石なりの謎解きがなされようとしたのではないか。つまり初恋(とは限らないが)が思うような形で成就されなかったが故に、夫は家庭内で妻に辛く当たるというわけである。

 それはともかく、『心』でも先生は23歳入学、年限3年、学生の私は23歳入学、年限4年として問題ない。都合の好いことに御大葬と乃木将軍殉死が描かれるので、暦のお尻は決まる。始まりは曖昧だが、奥さんの側から見ると、日清戦争での夫君の戦死、その後の市ヶ谷の屋敷(厩舎まであった)の始末と小石川への住み替え、その1年後に、大学生になったばかりの先生が下宿生として入るという設定から、まず先生の20歳、上京して高等学校入学の時を明治27年、日清戦争の始まった年として、大した齟齬はないであろう。同い年のKの出来事も併記する。

先生とKの年表 (附:奥さん御嬢さんの年表・私の年表)

明治23年 16歳
 始めて世の中に美しいものがあるという事実を発見した。世界が変わった(1度目)
明治24年 17歳
明治25年 18歳
明治26年 19歳
 このころ腸チブスで父母を相次いで亡くす。叔父にすべてを託して東京に出る決心をする。
 寺の次男坊Kも同じ頃医家の養子になり、養家からの学資で東京で医学を修めるという話になる。2人は同時期に両親から捨てられたとも言える。

明治27年 20歳 奥さん38歳 御嬢さん15歳
 高等学校入学。Kとともに新潟から上京、同じ下宿に暮らす。
 日清戦争始まり奥さんもこの頃夫君を失うことになる。

明治28年 21歳 奥さん39歳 御嬢さん16歳
 高等学校2年。夏休み始めての帰省。叔父から結婚話を言われる。Kは帰省しない。
 奥さんは市ヶ谷の屋敷で夫の1周忌か。

明治29年 22歳 奥さん40歳 御嬢さん17歳
 高等学校3年。夏休み2度目の帰省。叔父から従妹との結婚を勧められるが断る。叔父と気まずくなる。従妹は泣く。
 Kも養家の催促で帰省する。Kは医科に進む気はないが養家には黙っている。
 3回忌を済ませた奥さんは、結婚後ずっと住み慣れた市ヶ谷の屋敷を処分して小石川へ転居。

明治30年 23歳 奥さん41歳 御嬢さん18歳
 潔癖なKは進路について養家に告白して絶縁宣告を受ける。
 卒業。3度目の夏。叔父一家の態度が一変していた。叔父一家の裏切り。財産横領事件。故郷との訣別。世界が変わった(2度目)
 大学入学。Kは実家に復籍したが勘当同然の仕打ちに自活せざるを得ない。
 先生は心機一転奥さんの小石川で下宿生活へ

明治31年 24歳 奥さん42歳 御嬢さん19歳
 大学2年。叔父に騙され故郷を捨てた話を奥さん御嬢さんにして感動を与える。
 三越買物事件。御嬢さんの縁談はなくはないようだ。このとき19歳くらいか。
 御嬢さんへの恋心は確固としたものになるが、一方で奥さん御嬢さんの思う壺に嵌りたくない。こせついた心、猜疑心。小心者。
 Kの夜学校教師で自活しながらの学生生活はここまで一切書かれない。

明治32年 25歳 奥さん43歳 御嬢さん20歳
 2月頃奥さんの反対を押し切ってKを同宿させる
 3月頃火鉢事件(寒いけど火は要らない)。Kの部屋に御嬢さんを見ること2回。
 6月学年試験。あと1年。御嬢さんももう卒業の項。
 夏休み房州旅行。Kを1人下宿に残したくないのと、折を見てKに御嬢さんへの気持ちを告白してしまおうという目論見があった。果たせないまま真っ黒になって帰宅。
 大学3年に進級。10月御嬢さんがKの部屋から逃げ出す事件。
 11月雨の富坂すれ違い事件。いや増す嫉妬心。

明治33年 26歳 奥さん44歳 御嬢さん21歳
 正月歌留多取り事件。1月第1週、奥さん御嬢さんは市ヶ谷の親戚へ出掛けて留守。突然のKの告白。先を越されてしまった。混乱と不安に苛まれ飯も喉を通らない。
 2学期始まる。Kは告白を後悔しているようでもある。進展はない。だが焦りは募るばかり。Kを精神的に追い詰めるような攻撃を仕掛ける。落ち込むK。
 2月。最後の決断。「奥さん、御嬢さんを私に下さい」「下さい、是非下さい」
 1週間後、何も知らない奥さんがKに御嬢さんのことを話す。「何か御祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事が出来ません」
 そして第1の悲劇
 4月。最後の学期。5月兇事の小石川を避けておそらく小日向辺に転居。
 7月卒業。12月御嬢さんと結婚。

明治34年 先生27歳 奥さん(御嬢さん)22歳
明治35年 先生28歳 奥さん23歳
明治36年 先生29歳 奥さん24歳
明治37年 先生30歳 奥さん25歳
 日露戦争開戦。

明治38年 先生31歳 奥さん26歳
 私20歳、高等学校1年。
 日露戦争終戦

明治39年 先生32歳 奥さん27歳
 私21歳、高等学校2年。
 この頃奥さんの母親亡くなる。享年50歳くらいか。

明治40年 先生33歳 奥さん28歳
 私22歳、高等学校3年。

明治41年 先生34歳 奥さん29歳
 私23歳、大学入学。

明治42年 先生35歳 奥さん30歳
 私24歳、大学1年終了後2年へかけての夏休み。鎌倉の海で『心』の物語始まる
 友人が国元へ呼び帰された留守の鎌倉の別荘である。友人は気の向かない結婚を押し付けられそうになっていた。

明治43年 先生36歳 奥さん31歳
 私25歳、大学3年。

明治44年 先生37歳 奥さん32歳
 私26歳、大学4年。
 先生と奥さんの結婚生活は11年が経過した。

明治45年/大正元年 先生38歳 奥さん33歳 (漱石46歳:鏡子36歳)
 私27歳、大学卒業。父親死の床へ。先生との永別。
 7月30日(火)明治天皇崩御
 9月13日(金)御大葬。乃木大将殉死。
 9月15日(日)頃、先生の決心。第2の悲劇
 9月17日(火)頃、奥さんを市ヶ谷の叔母の長期看護に出す。
 9月27日(金)頃、「遺書」136枚(松屋製原稿紙片側12✕24)書き上げて投函。
 9月28日(土)頃、決行(遅くとも翌日までには)。
 9月29日(日)頃、書留便到着。私は東京行の夜行列車に飛び乗って先生の遺書を読む。
 先生の埋葬。私の父親の葬儀。
 この頃奥さんの母親の7回忌。

大正3年 私29歳 奥さん35歳 (漱石48歳:鏡子38歳)
 私29歳、『心』の物語を語る。第3の悲劇は奥さんが突然未亡人になったことである。
 先生の3回忌。私の父親の3回忌。

 このカレンダーの最大の論点は私が先生と鎌倉の海で知り合った時期だろう。これについては後述したい。この年しかない、と今はそれだけを言っておく。

 ちなみに「私」がこの『心』の物語を語っているのは大正元年以降のある年であり、まあリアルタイムで大正3年として差し支えない。先生の奥さんのその後については格別の言及がないが、遠からぬうちに再婚するのではないか。美人でかなりの資産もあり、ややこしい係累もないところから、理想の再婚相手として、もしかしたら子も設け、幸せな後半生を送ったことであろう。奥さんに起きた第3の悲劇は、幸いにも生き通せなかった。
 結果として先生とKは純粋に、相手の女性に関係なく、己れたちだけの問題で互いに悩み傷つき、自らをも害したのである。