明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」行人篇 36

203.『塵労』1日1回(5)――滞る日々


第4章 雅楽所での出来事(4月~5月・6月2日)
    二郎・三沢・(雅楽所に来ていた知人・三沢の知人たち・三沢の婚約者・その兄・婚約者の親友)

第16回 1週間経ってもHさんからは何の通知もない~三沢やってきて兄が旅行を断ったという~三沢は二郎に結婚相手を紹介すると約束~三沢本人の結婚は秋に延期か
第17回 4月から5月へ季節は移る~三沢より雅楽所の招待状~Hさんと兄の旅行は実現しそう~6月2日雅楽所へ出掛ける
第18回 雅楽所で見た織田信長の紋所~N侯爵・坊主頭の丸い小さなK公爵がいた~三沢も来場~三沢の婚約者が来ていると教えられる(6/2日)
第19回 三沢の婚約者の隣にはもう1人の若い女~幕間に茶菓の接待~三沢の婚約者の兄が話に来る~「もう1人の女」はなぜか苦痛の表情を浮かべている(6/2日)
第20回 二郎は「もう1人の女」を観察する~喫煙室~三沢と雅楽所を出る「何うだい、気に入らないかね」(6/2日)

 雅楽稽古所の音楽演習会は6月2日であるという。明治45年6月2日は日曜である。『行人』の物語の想定暦に戻っているとして、ここからはまた日付の特定も復活させたい。というのは、漱石の記述に「それから二三日」「また二三日経った」等の、暦を数える記述が多くなり、明日の講義の準備とか二郎が事務所帰りであるとか、当然曜日を限定させるような書き方も目立っているからである。漱石がわざわざそういう書き方をする以上、我々もそれを等閑視するわけにいくまい。

第5章 Hさん再び(6月2日~6月22日)
    二郎・母・三沢・Hさん

第21回 三沢の婚約者は宮内省の役人の娘~もう1人の美しい女はその親友であった~Hさんの旅行の件は母も喜ぶ~二郎は兄の感情の方が気になる~兄は自分をどう思っているのだろうか(6/2日~6/5水~6/12水)
第22回 Hさんを訪ねる~Hさんに旅行中の手紙による報告を依頼~Hさんは後で話を聞きに来れば沢山だと言う(6/13木~6/16日)
第23回 二郎嘘を吐く~両親が心配して兄の日々の動向を知りたがる~Hさんは笑って相手にしない~二郎の舌禍~Hさんの不快~二郎の結婚観(6/16日)
第24回 三沢と会っても女の話が先へ進まない~二郎は事務所を辞めて大阪へ行こうかとも思う~二郎と三沢の嚙み合わない結婚問題~事務所に嫂からの電話~Hさんと兄は今朝新橋を立った(6/16日~6/22土)

 Hさんに旅行中の兄の様子を逐一知らせてくれと頼むのは、いかにも常識外れである。二郎は嫂との関係を言いたくないので、両親の存在を持ち出して嘘を吐く。漱石の小説では登場人物が嘘を吐くとたいていすみやかに罰せられるが、このあと二郎は温厚なHさんを怒らせてしまったようである。しかしこんなことは漱石に言わせれば罰でも何でもない。Hさんは二郎の嘘にはとりあえず笑っている。

 しばらく世間話をした後で、自分は暗くならないうちに席を立とうとした。
「①君の縁談は何うなりました。此間三沢が来て、②好いのを見付けて遣ったって得意になっていましたよ」
「ええ③三沢も随分世話好ですから
「所が万更世話好許で遣ってるんでもないようですよ。だから④君も好い加減に貰っちまったら好いじゃありませんか。器量は悪かないって話じゃないか。⑤君には気に入らんのかね
「⑥気に入らんのじゃありません
 Hさんは「はあ矢っ張気に入ったのかい」と云って笑い出した。自分はHさんの門を出て、あの事も早く何うかしなければ、三沢に対して義理が悪いと考えた。然し⑦兄の問題が一段落でも片付いて呉れない以上、到底其方へ向ける心の余裕は出なかった
 ⑧いっそ一思いにあの女の方から惚れ込んで呉れたならなどと思っても見た。(『塵労』23回末尾)

 ただ紹介されただけで二郎が結婚へ猛進することはない。お兼さんとお貞さんの例でそれは繰り返し語られている。しかし二郎には慥かに結婚願望がある。それを妨げるものは嫂の存在であろう。二郎は兄の(心の)健康の方が心配だと問題をすり替える(⑦)。それはいいが、事が結婚に及ぶときの主人公の現実逃避は、ここでもあからさまである。
 Hさんの質問は端的には①と④であろう。質問というより「早く結婚せよ」という当時では当たり前の親切心・お節介である。②と⑤は話が露骨にならないための緩衝材・付けたりのようなものである。
 しかるに二郎ははぐらかしてまともに答えようとしない。③はオマケの②を半分否定しているようなものである。⑥は一見⑤に答えているように見えるが、やはり回答拒否していると取られても仕方ない。

 そして⑧の驚きの「責任回避」ぶりは永遠に不滅であろう。漱石文学は世界に誇れるものだと思うが、この1句だけは誤解なしには読まれないだろう。
 この二郎の独白は先に挙げた三沢の、

「何故そんなら始めから僕に遣ろうと云わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当にして……」
「一体君は貰いたいと申し込んだ事でもあるのか」
ないさ」(『帰ってから』31回)

 と双璧をなすびっくり発言である。

 漱石に寄り添う読者なら、⑧は何かきっかけがないと先へ進めないという、不器用な二郎の表象と思うかも知れない。ふつうに読めばこれは自分で決断したくない、自分で責任を取りたくないという、卑怯な心根の表われであろう。しかし漱石の辞書に卑怯という語はない。漱石は結婚に際しても個人の恣意のレベルでない、もっと普遍的・必然的な理由を欲するのである。どこへ出しても自分の判断が間違ってないと主張できるだけの根拠が要るのである。と大きく構えなくても、この場合は例えば三沢なりHさんが相手方の意を体して、「貰ってくれ」と依頼してくるだけでもいいのである。漱石はどこまでも論理的な正しさを追求しているのであって、これを卑怯とか狡いとか評しても、少なくとも漱石には伝わらない。