明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 39

161.『松本の話』(3)――真っ白な腹の中


第2章 暴露(全3回)

5回 何事も秘密には出来ない正直な性格

 是は単に僕の一族内の事で、君とは全く利害の交渉を有たない話だから、君が市蔵のために折角心配して呉れた親切に対する、前からの行掛さえなければ、打ち明けない筈だったが、実を云うと、市蔵の太陽は彼の生れた日からすでに曇っているのである。(『松本の話』5回)

 松本の論理も負けていない。「打ち明けない筈だった」というのは、誰に対してもそのはずである。そもそも誰に対しても喋るべきでない。それでも喋ってしまう理由というのは、敬太郎が市蔵に親切にしてくれた、親切に心配してくれた、という感謝の気持ちであると言う。
 再度で恐縮だが、読者は『硝子戸の中』の、本当の親を教えてくれた下女の逸話を思い出す。

 私は其時ただ「誰にも云わないよ」と云ったぎりだったが、心の中では大変嬉しかった。そうして其嬉しさは事実を教えて呉たからの嬉しさではなくって、単に下女が私に親切だったからの嬉しさであった。不思議にも私はそれ程嬉しく思った下女の名も顔も丸で忘れてしまった。覚えているのはただ其人の親切丈である。(『硝子戸の中』29)

 親切の方が嬉しい。真の親が分かっても、それよりは嬉しくない。つまり自分の親より他人の親切の方が大事ということであろう。しかし漱石の親に対する冷淡さをひとまず置いて考えると、これらのエピソードは、「正しいことを言うことは、誰からも排斥されない、誰の反対も受けないでいい」という漱石の不断の主張を体現するものであろう。

 ところで誰もが知る市蔵の秘密のくだり、松本の述べるところを改めて読み返してみると、何か変である。何度も引用して(後半部分は)気が引けるが、もう一度だけ読んでみよう。

 僕は其時の問答を一々繰り返して今君に告げる勇気に乏しい。僕には固より夫程の大事件とも始から見えず、又成る可く平気を装う必要から、詰り何でもない事の様に話したのだが、市蔵は夫を命懸の報知として、必死の緊張の下に受けたからである。唯前の続きとして、事実丈を一口に約めて云うと、彼は姉の子でなくって、小間使の腹から生れたのである。僕自身の家に起った事でない上に、二十五年以上も経った昔の話だから、僕も詳しい顛末は知ろう筈がないが、何しろ其小間使が須永の種を宿した時、姉は相当の金を遣って彼女に暇を取らしたのだそうである。夫から宿へ下った妊婦が男の子を生んだという報知を待って、又子供丈引き取って表向自分の子として養育したのだそうである。是は姉が須永に対する義理からでもあろうが、一つは自分に子のできないのを苦にしていた矢先だから、本気に吾子として愛しむ考も無論手伝ったに違ない。(『松本の話』5回再掲)――「三十年近く」は漱石の意を体して「二十五年以上」に改めた。

 引用部分前半の記述は自己矛盾しているようである。松本にとっては平気な話でも市蔵にとっては驚天動地の事実である。高等遊民にとっては自然主義丸出しのこの逸話は、もとより大した話ではなかったのかも知れないが、須永の家としてはやはり大事件である。正直な松本は何も飾らず、自分の思うところをそのまましゃべっている。
 それはいいとしても、この市蔵がなぜ須永家に引き取られたかという重大な話の中に、父親の意向についての言及は一切ない。そもそも松本の話に須永の父はまったく出て来ない。唯一参照されるのが上記引用文の、2ヶ所の下線部分のみである。須永の父は早死にしたのであるが、このときはまだ健在である。しかるにすべては須永の母の差配で行われたように読める。須永の父はその時どこで何をしていたのだろうか。それとも父の意向を当然のこととして、松本の話は単に主格を省略したに過ぎないのであろうか。それにしては、「姉が」「姉は」とはっきり書いているのであるから、「須永」だけを省略した文章とも思えない。
 もちろん『彼岸過迄』の人物に、須永の父のキャラクタをなるべく持ち込まないという漱石の方針は分かる。市蔵を(血の繋がらない)母や叔父と関連させて描くという試みも、良しとしよう。しかしそれとこれとは話が違う。松本は市蔵の人生の最重要時の(10行ばかりの)話に、なぜ市蔵の父親を抹消したのであろうか。

①塩原に養子にやられた体験を思い出したくない。(金之助の父親が当然それを決めたのだから)
②単に父親に関心が無い。
③自分で決断したくない、責任を取りたくないという漱石の心情の表われ。

 この事件の起こる前後、松本はまだ15、6歳の少年であった。須永の父の亡くなる頃も、松本はせいぜい学校を出るか出ないかの年齢だったろう。であればなおさら、松本は須永の記憶が薄らぐというよりはむしろ、義兄の薫陶を受けてもおかしくない立場にあったのではないか。その伏線は作品にちゃんと張ってある。松本は田口にシンパシィは感じないが市蔵とは性格が似ているのである。
 まあ高等遊民たる松本は、貨殖の道に明るいという須永の父とは(田口同様)あまり親しみを感じなかったのかも知れない。松本に似た市蔵の性格は、(姉の血を引いていない以上)小間使いの方の血から来た、と漱石は言いたかったのかも知れない。
 しかしどちらにせよ市蔵を須永家に入れるという大事な問題に、家長が存在感を示さないとう話はあり得ないから、このくだりは上記①②③の可否にかかわらず、漱石の心情が正直に出たと見て差し支えないのではないか。「正直者漱石」が正直に思った通りを書く。それが百年の命脈を保つ主因となる。真似しようとしても(代作しようとしても)、誰も「正直者漱石」になれない以上、それは無理なのである。

6回 母の死因と墓所

「御母さんより外に知ってるものは無いでしょうか」
「まあ有るまいね」
「じゃ分らないでも宣ござんす」(『松本の話』6回)

 市蔵には母の妹を訪ねるという発想はなかった。それは市蔵と田口家、あるいは市蔵と田口の叔母の距離だったかも知れず、田口の叔母が母に注進に及ぶ危険を考えたかも知れない。須永家の菩提寺に行ってみるという選択肢は当然ある。それは旅行から帰ってからの話であり、次作以降の課題でもある。『趣味の遺伝』でさわりだけ語られた墓地のシーンは、『心』でも少し出て来るが、本命は幻の最終作であろうか。
 まあこんなことは言っても始まらないのであるが、何事も突き詰めて考えたい市蔵であれば、母の菩提所を突き止めるための努力は惜しまない。卒業しても宮仕えしないのであるから時間はたっぷりある。たぶん目的は達成したことだろう。