明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 38

160.『松本の話』(2)――後出しジャンケン

 

第1章 叔父と甥の対決(全4回)

 

1回 息子が実業向きでないのは叔父のせい

 夫から市蔵と千代子の間が何うなったか僕は知らない。別に何うにもならないんだろう。少なくとも傍で見ていると、二人の関係は昔から今日に至る迄全く変わらない様だ。(『松本の話』1回)

 

 新しい話に移って一番知りたいのは、前話の後日譚であろう。市蔵と千代子の喧嘩が市蔵にとって(新しい)ニュースでなかったように、2人のその後も松本によってあっさり片付けられた。
 千代子も何事もなかったかのように平気で須永の家に出入りしている(『風呂の後』)。骨上げのときの焼却釜の鍵事件の際も、市さん、貴方本当に悪らしい方ね」「貴方の様な不人情な人は斯んな時は一層来ない方が可いわ」(『雨の降る日』7回)と相変わらず言いたい放題である。
 千代子は生来口は悪いのであるが、市蔵の血筋についての真相は知らされていないようである。もし知れば話の展開は大きく変わったと思われる。市蔵にもっとストレートに求愛するかも知れない。その前にふつうであれば田口の父母がそれを忌避して、須永家の血の秘密を子供たちにも打ち明け、交際に一定の歯止めをかけるのではないか。世間一般では須永の父の行状は糾弾されよう。漱石の小説が気持がいいのは、そういう俗世間の常識を超えていることにもよる。

2回 高等遊民にも種類がある

 先にも少し触れたが、咲子の部屋にあった雑誌の口絵の美人画事件で、市蔵は写真に眺め入っただけで女の名前と住所に関心を示さなかった。松本は「細君として申し受ける事も不可能でない」から、まずそれがどこの誰か知ることが先決と思う。時代が異なるとはいえ、現代の読者には想像もつかない事象であろう。ただし漱石は近所の乾物屋のおかみさんにも興味を持つのであるから、名前の特定に向かう派であろう。

3回 その研究癖が人に嫌われる

 市蔵は(漱石のように)自分は人に嫌われると思い込んでいる。早い話が神経質で癇癪持ちなので周囲から鬱陶しがられるということである。そう書くとミもフタもないので、『明暗』の吉川夫人のように、「一体貴方はあんまり研究家だから駄目ね。学問をするには研究が必要かも知れないけれども、交際に研究は禁物よ。あなたが其癖を已めると、もっと人好のする好い男になれるんだけれども」(『明暗』11回)と言われてしまう。
 この場合の研究とは、対象に好奇心を持つという積極的な意味ではなく、何でも気にしてぐずぐず煮え切らないという碌でもない意味である。松本はそれを「内へとぐろを捲き込む」(『松本の話』1回)と表現した。

 そして明治44年4月のある水曜日午前、市蔵の秘密暴露に直接繋がることになる、須永の母と松本の会見がなされる。

 僕は女に理窟を聞かせるのを、男の恥のように思う癖があるので、六ずかしい事はなるべく控えたが、何しろこういう問題について、できるだけ本人の自由を許さないのは親の義務に背くのも同然だという意味を、昔風の彼女の腑に落ちるように砕いて説明した。(『松本の話』3回)

「六ずかしい事」という言葉も漱石の頻出語であるが、学問的に複雑に込み入って難解、という意味ではなく、漱石の場合は単に「理屈を言う」という代わりに使われることが多いようである。したがってその内容が語られない場合も、そんなに「難しく」考える必要はない。上記の場合は珍しく内容が明らかであるが、この場合はほぼそのまま、「本人の自由意思に任せよう、それが親の務めではないか」と述べたのであろう。「自由」「責務」という硬い言葉・発想を使わずにそれを述べたのであろう。

4回 驚愕の後出しジャンケン事件

 4日後の日曜日、松本は市蔵を呼び出す。『三四郎』以来、論者は物語のカレンダーについて、さまざまに検証してきたが、それはひとつには漱石がそのように日付曜日をいちいち記述しているためである。漱石が強迫観念のようにそのような書き方にこだわるから、読者としてもつい「三四郎の日記」「代助の回想録」・・・といったふうにリライトしてみたくもなる。するとそこには必ず落とし穴のように、齟齬が生じているのが見つかってしまうのである。

「じゃ誰が御前を嫌っているかい」
「現にそういう叔父さんからして僕を嫌っているじゃありませんか」
「おれが何で御前を悪む必要があるかね・・・」(同3回)

 松本は市蔵に、「おれは御前の叔父だよ。何処の国に甥を憎む叔父があるかい」(同4回冒頭)と言う。叔父に世襲財産を簒奪される話に慣れ親しんだ後代の読者は、この松本の言葉に同意しない。市蔵もそれを知っているかのように松本を頑なに拒む。
 しかし市蔵の切り返しは、そんないきさつもぶっ飛ぶようなエキセントリックなものであった。

「そりゃ広い世の中だから、敵同志の親子もあるだろうし、命を危め合う夫婦も居ないとは限らないさ。然しまあ一般に云えば、兄弟とか叔父甥とかの名で繋がっている以上は、繋がっている丈の親しみは何処かにあろうじゃないか。御前は相応の教育もあり、相応の頭もある癖に、何だか妙に一種の僻みがあるよ。それが御前の弱点だ。是非直さなくっちゃ不可ない。傍から見ていても不愉快だ
だから叔父さん迄僕を嫌っていると云うのです
 僕は返事に窮した。自分で気の付かない自分の矛盾を今市蔵から指摘された様な心持もした。(同4回)

 論者の小学校時代の記憶に、先生が不在か何かで、黙読なり自習を課せられ、無駄なおしゃべりをしないよう係りの者が教壇へ出て見張りをするというようなことがあった。しばらく(当然乍ら)皆黙って教科書を読むかしていたが、突然その沈黙を破って前に立つ委員(男子)が、
「〇〇さん、しゃべらないで下さい」と言った。
 その〇〇さん(女子)というのは、優等生ではなくて、ちょっとお転婆な、男子とも平気で喧嘩するようなタイプの子であった。彼女は即座に反撥して叫んだ。
「いつしゃべったいね!」
 委員はすかさず言った。「今しゃべった」
 教室の者は皆下を向いたまま、苦笑いをかみ殺していた。

 まあこれほどひどくはないにせよ、市蔵の論理は無茶苦茶である。この場合はたまたま松本が反応したから、かえって破綻しなかったが、もし松本がいつまでも穏やかに否定し続けたら、市蔵の立場はなくなる。矛盾が指摘されるべきなのは少なくとも松本ではなかろう。

 それでもこんな議論でも何かの役に立つことがある。松本のごく自然な反論に対し、市蔵は取り乱して泣きながら逆襲する。「僕は是から生涯の敵として貴方を呪います」とまで言われては、叔父も甥もない。松本は長く封印していた市蔵出生の秘密をしゃべる決心をする。いきがかり上仕方ないとはいえ、つくづく漱石とは喧嘩するものでないと読者は思わざるを得ない。