明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 19

141. 誤りは生き続けるだろう――錯誤の文学史


 またまた寄り道ついでに、なぜこの所謂『つゆのあとさき』事件の錯誤が訂正されないか、それについて考えてみたい。

 これはやはり著者の鏡子夫人と松岡譲の不人気が原因しているとしか思えない。不人気というのは、ここでは読者一般というより、漱石周辺の人物の、とくに弟子と称する人たちの責めに帰す。
 彼らの言い分は何となく分かる。(夫人の指摘する)漱石の異常性は、当時の常識から見ても、許容範囲を超えていたのかも知れない。漱石教の信者にとって、夫人の方にその責任をなすりつけたい気持ちは分からないでもない。しかし常識は時とともに移り変わる。現代の読者で鏡子の『思い出』を読んだからといって、漱石の人格(の異常性)に疑問を呈する者がいようか。読者はごく普通に(正当に)、漱石のアブノーマルを受容するのではないか。それによって被った家族の被害は、他人の容喙すべきところでない。
 それを言うならむしろ、漱石の弟子たちは木曜会に何回も何回も出ていたのであるから、座談の上手いと言われる漱石の談話筆記録の類が、1日分でも2日分でも、なぜに残っていないのであろうか。1時間でも2時間でもよい。Q&Aの形で、100頁、200頁、いや数十頁でよい、残す者がなぜいなかったのであろうか。返す返すも残念である。

 著作は公平に見て、漱石全集の他の『言行録』と較べても、抜きん出て情報量が多く、しかも面白い。このような価値ある作物に、漱石自身が仰天するような誤植があるのは信じられないことであるが、鏡子と松岡の著作物に直接利害関係を持つ者など、もういない筈である。『漱石の思い出』という作品だけを考えても、すみやかに修正されるべきであろう。

 では誤植はさておき、漱石の作品自体に錯誤されているものはないかというと、それは残念ながら甚だ心許ない結果になりそうである。たとえば国文学史上最も有名な動物たる珍野家の猫もまた、今だに大きな誤解の中に棲息している。

 其翌日余は例の如く椽側に出て心持善く昼寝をして居たら主人が例になく書斎から出て来て余の後ろで何かしきりにやって居る。不図眼が覚めて何をして居るかと一分許り細目に眼をあけて見ると彼は余念もなくアンドレア、デル、サルトを極め込んで居る。余は此有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。彼は彼の友に揶揄せられたる結果として先ず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。我輩は既に十分寝た。欠伸がしたくて堪らない。然し切角主人が熱心に筆を執って居るのを動いては気の毒だと思うてじっと辛棒して居った。彼は今我輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩って居る。我輩は自白する。我輩は猫として決して上乗の出来ではない。背といい毛並といい顔の造作といい敢て他の猫に勝るとは決して思って居らん。然しいくら不器量の吾輩でも、今我輩の主人に描き出されつつある様な妙な姿とはどうしても思われない。第一色が違う。我輩は波斯産の猫の如く黄を含める淡灰色に漆の如き斑入りの皮膚を有して居る。是丈は誰が見ても疑うべからざる事実と思う。然るに今主人の彩色を見ると黄でもなければ黒でもない灰色でもなければ褐色でもない去ればとて是等を交ぜた色でもない。只一種の色であるというより外に評し方のない色である。其上不思議な事は眼がない。尤も是は寝て居る所を写生したのだから無理もないが眼らしい所さえ見えないから盲猫だか寝て居る猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア、デル、サルトでも是では仕様がないと思った。・・・(『猫』1)

 余・我輩・吾輩の書き分けは原文(初出)通り。本ブログでの引用はいつもと同じ岩波版漱石全集(初版1993年12月)・定本漱石全集(初版2016年12月)に拠る。現代仮名遣いに直したのも、ルビをおおむね省略したのも、従前通り。だいたい「原文」だの「歴史的仮名遣い」だのと威張っても、現代のデザイナーなりコンピュータの作った(あるいは合成した)フォント・活字を使う以上、所詮五十歩百歩なのである。旧仮名・旧漢字のまま引用すべき作品があるとすれば(文語文は別として)、私見では太宰治くらいであろう。太宰治は文章の外見(印刷された活字の、見映えというか文字映りみたいなもの)まで気にして、小説を書いているからである。話は逸れるがその意味で太宰治の外国語訳は、子供がゴッホの絵をクレヨンで模写するようなもので、何が描いてあるかは分かっても、元の絵のタッチが分からない以上、それは始めから「鑑賞」の対象とはならないのである。

 漱石は慥かに黒一色に見える猫の画を書いたことがある。吾輩のモデルたる猫が黒っぽく見えるのは事実であろう。鏡子の『思い出』にも、「全身黒ずんだ灰色の中に虎斑がありまして、一見黒猫に見える」(『漱石の思い出』23猫の家)とある。
 しかし断るまでもないが、実際の夏目家の飼猫がたとえ黒猫であったにせよ、作品に「黄色混じりの淡灰色に漆(漆黒)の斑(ふ)が入った色」と書かれている以上、ほかに解釈の余地はないではないか。遠目に黒く見えるからといって、(黒でない色を使っているのに)黒猫と呼んで差し支えないのは、ファンゴッホのドービニーの庭を横切る瘦せ猫だけであろう(バーゼル美術館にあるオリジナルのほう――画題の書込みのあるほう)。
 ちなみに論者は、ひろしま美術館にある『ドービニーの庭』の「黒猫」を消したのは、画家自身であるという説の方を信じる。描いて(10年後でなく)すぐに消しているように見えるからである。フィンセントはテオに出した最後の手紙で、この画布を「生れて始めてある意図を以って描いた(*)」と言っている。これは通常の意味における作画の意図などというものとは別の、ある種の策略のもとに描いた絵ということだろう。黒猫を(勢いよく、あるいは雑に)消したのは、その策略の一環である。漱石と関係ない話なのでこれ以上は触れないが。どちらもあまりにも有名な猫なのでつい、ということで脱線をお許し願いたい。

 話を戻して、議論を放棄するわけではないが、苦沙弥先生の猫が斑猫なのに黒猫として流布されている理由は、一作家の真実よりも、それを取り囲む大衆のパワーの方が格段に強いということであろうか。坊っちゃんとマドンナがカップルのように描かれるモニュメントの類いはご愛嬌としても。

(*)1890年7月23日付 テオ宛書簡。

Perhaps you will look at this sketch of Daubigny’s garden. It is one of my most purposeful canvases. ( 651 )

“THE COMPLETE LETTERS OF VINCENT VAN GOGH”
New York Graphic Society ; 1959 ( 2nd edition )

Perhaps you’ll see this croquis of Daubigny’s garden. – It’s one of my most deliberate canvases – … ( 902 )

“VINCENT VAN GOGH – THE LETTERS”
Van Gogh Museum ; 2010

 なおこの(ドービニーの)猫は英語版では(とちらも)、’ a black cat ‘ と書かれている。黒猫はまさしく画家自身の命名による。