明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 10

132.『停留所』「そんなら」――明治文学史として


 ・・・ここで余談ついでにちょっと寄り道を。

「そんなら」は鷗外の小説にも頻出するので、論者は若い頃は鷗外の口癖と誤解していたくらいだが、鷗外はまさに「そんなら」の大家で、「それなら」の出番は勿論あることはあるが、極端に少なくなる。「そんなら」の出て来ない鷗外作品は、ごく短い作品か翻訳くらいのものであろう。
 藤村もこれにやや近い。藤村も「そんなら」派である。「それなら」と混在というか同じ作品の中で見事に書き分けられているのが『破戒』であるが、藤村の場合これは例外であろう。
 漱石も、あえて言えば「そんなら」派であろう。『三四郎』以降はとくにそうだが、漱石の場合前項で述べたように、独特の偏りを見せている。
 独歩もどちらかと言えば、こちらに近い。
 鏡花も同じ仲間に入るかも知れないが、鏡花はそもそも「そんなら」「それなら」ともに、使用例が少ない作家の方に分類されよう。

 この反対に、「そんなら」をあまり使わず、むしろ「それなら」を使おうとする作家もいる。その代表格が秋声であろう。秋声の主要な作品で「そんなら」の出て来る作品は『爛』と『縮図』くらいのものである。秋声の文章は明らかに藤村や鷗外とは違う(漱石とはやや似ている)。
 この一派の2番手は間違いなく荷風露伴であろう。荷風露伴も使うとすれば「それなら」である。あるいはふたりとも鏡花みたいに使用例が少ない部類に属すると言った方が適切か。唯一の例外が『つゆのあとさき』である。『破戒』同様きちんと書き分けられて並存している。
 秋声の文章の風格、そして秋声とは違った意味で風格のある露伴荷風の文章。荷風は鷗外を師と仰いでおり、露伴も鷗外とは戦友である。しかし(当然ながら)異なる趣味もある。

 そして風格を超えて国民的人気のある漱石・藤村・鷗外。「そんなら」は慥かに庶民的な言葉であるかも知れない。紅葉も一葉も「そんなら」「それなら」を混在させて使う。漱石の前期作品もほとんどが混在である。親しみのある文章の秘訣が「そんなら」であるのか。

 芥川龍之介以降はもう、「そんなら」の世代ではない、と前項に書いたが、菊池寛もまた(『屋上の狂人』のような例外はあるものの)、その作品はほとんど「そんなら」「それなら」と無縁である。
 ところが文学的功績を成し遂げたあとの、いわゆる彼の通俗小説の文章には、「それなら」という語が頻出する。真の偉大な大正文学たる菊池寛の、珠玉の短篇に無くて、『真珠夫人』『貞操問答』等の長篇小説に山ほど出て来る、「それなら」という一語。
 時代のせいと言えなくもないが、やはり一部代作と見るのが合理的ではないか。平叙文は真似出来ても、会話文はどうしても作者の(喋り方という)癖が出る。菊池寛の文章は平易である。会話文にも、漱石のテヨダワ言葉や「~じゃありませんか」という、時代の言葉さえない。
 その中で、「それなら」というような没個性的な、翻訳不能あるいは翻訳不要とも言える、どうでもいいような語について、ある作品群にのみ大量に出現するという現象は、どう判断すればよいのか。やはり別の人間の手によるものと考えた方が理屈に合う。

 翻訳不能といえば、海外の小説が日本語に訳されるとき、例えばその1ワードなりが「そんなら」のような純和風の表現に収斂するとは、ふつう誰も思わないだろう。事実「そんなら」のチャンピオン鷗外の翻訳作品の中に、「そんなら」の語は出て来ない。と思って『ファウスト』を読み返してみると、何と「そんなら」のオンパレードである。むきになって調べると、シュニッツラーの『みれん』と、英語版からの重訳らしい『モルグ街の殺人』に、「そんなら」「それなら」は確認された。鷗外は「意訳」しているわけではないようだ。しかし論者は独逸語をまったく解しないので、今はこれ以上言わない。そもそも鷗外の翻訳文の深淵は凡百の知恵の及ぶところでない。
 ちなみに『即興詩人』には「そんなら」は見当たらないようである。だからどうだというわけではないが。