明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 5

127.『風呂の後』一日一回(2)――6回~10回


6回 明治43年か明治44年か

「へえー、近頃は大学を卒業しても、ちょっくら一寸(ちょいと)口が見付(めつ)からないもんですかねえ。余程不景気なんだね。尤も明治も四十何年というんだから、其筈には違ないが」(『風呂の後』6回)

 森本は学校出ではないようだ。物語の暦も、ドテラ(9回)、ドテラ姿(10回)とあるから、秋としても11月以降であろうし、4回で言及された児玉音松の『朝日新聞』の冒険談(明治43年6月)や『冒険世界』掲載「海賊戦争と大章魚」(明治43年7月)から、直近の明治44年か明治43年に限定される。敬太郎の物語が今後とも時系列で発展して行くようなら明治43年で確定、敬太郎が以後年を取らないなら明治44年もありうる。

「貴方の室から見た景色は相変らず好うがすね、ことに今日は好い。あの洗い落したような空の裾に、色づいた樹が、所々暖たかく塊まっている間から赤い煉瓦が見える様子は、慥かに画になりそうですね」(同6回)

 森本はまた、盆栽、金魚、画も描くという趣味の人でもあった。ちなみにこの敬太郎の部屋は下宿の3階であることが、次の『停留所』で判明する。森本の部屋も同じ3階であるような書き方がされている。

7回 森本の気焔

 森本を呼んで敬太郎の部屋で酒付きの午飯。森本の主張。「学士だろうが博士だろうが、実地を踏んでいる自分の方が強い」
 学問だけいくら積んでも実社会での経験に如かない。しかし経験を重ねても学問の裏打ちのない者はただそれだけの者である。解脱できない。変化・向上しない。

 食後敬太郎は森本に、一番楽しかった経験は何かと尋ねる。森本は少し困惑したようで、目をぱちぱちさせるという平岡・小林と同じ癖を見せる。『門』の宗助もまた、この癖がある。

8回 森本の冒険譚~北海道測量篇

 森本は15、6年前、技手として一人で、北海道の内陸を測量して回っていたことがあるという。してみると彼はまんざら学問に縁の無い男でもないようだ。坊っちゃんみたいに物理学校くらいは出ていてもいい。
 この体験談の提供者で木曜会に来ていた鈴木春吉は、後年朝日の記者になったくらいであるから、やはり森本を学術との対照で世俗の選手として設定したのは無理があったのではないか。
 そもそも森本が30歳くらいだとすると、15、6年前というのは測量技師としていかにも幼な過ぎよう。まったくの法螺話の主として、森本の学歴コンプレックスを重ねて言いたかったのか。
 それとも森本は30代の後半だったとでもいうのか。であれば26、7歳と36、7歳。このとき漱石46歳として、やはり「そう年も違っていない」と森本に言わせているのは不自然であろう。
 論者の推測は漱石の書き間違い、勘違いである。『彼岸過迄』はその意味でも初期三部作を正統に引き継いでいるのである。

 それはいいとして、森本は講義の途中で昼の酒に酔ったのか、小用に行ったついでに自室でそのまま寝てしまう。

 ・・・「森本さん、森本さん」と二三度呼んで見たが、中々動きそうにないので、流石の敬太郎も勃(むっ)として、いきなり室に這入り込むや否や、森本の首筋を攫んで強く揺振った。森本は不意に蜂にでも螫されたように、あっと云って半ば跳ね起きた。(同8回)

 敬太郎は三四郎並みに癇癪持ちである。その場合の行動には迷いがない。何物にも忖度することが無い。それが巧まざるユーモアを生む。正確な観察と文章化。平凡に見えて名文。これは何度強調してもし過ぎることが無い。

 ところでこの回の森本の体験談は、「森本の呑気生活というのは、今から十五六年前彼が技手に雇われて、北海道の内地を測量して歩いた時の話であった」という一文で始められるが、北海道は(朝鮮満洲台湾とともに)大日本帝国にとっては「外地」であるから、北海道の内地という書き方は「内地」にダブルミーニングを与えることになってしまう。(内地を云々するなら、沖縄こそ内地である。)漱石はそういうことに敏感であるから、誰かが注意すれば「内陸」とか「奥地」に変えていたことと思われる。

9回 森本の神託と失踪

 その年に人から聞いたばかりの話をすぐ小説に取り込んで違和感がない。寺田寅彦の科学の話しかり、時事政事問題もしかり、森田草平と平塚明子の煤煙事件でさえ平気でそのまま書いている。例えば大江健三郎が「自分の小説」に伊丹十三の本や映画の題名をそのまま・・・・書き込むということがあり得るだろうか。タケちゃんという名の人さえ、使うとは思えない。
 小説家はジャーナリストではないと、発表当時は嫌う人もいたのかも知れないが、五十年百年経って、読者も世間も違和感を持たなくなった、のだろうか。
 そこは論者には分からないが、たとえ漱石の小説に多少風変わりな箇所があるとしても、藤村に比べれば物の数ではないとは言える。

 それはともかく、この回の後半、森本は「貴方のは位置がなくって有る。僕のは位置が有って無い。それ丈が違うんです」(同9回)と禅家のようなご託宣を敬太郎に与える。これが『風呂の後』と第2話『停留所』を繋ぐおまじないのような言葉になる。
 森本は去って言葉と洋杖(ステッキ)を残す。9回末尾、森本の失踪は森本の洋杖によって沈黙のうちに語られた。思うにこの回が第1話のハイライトであろう。

10回 下宿の主人雷獣登場

 森本は下宿代を踏み倒して逐電したのであった。主人は敬太郎が何か知っていないかと、単純に訊ねにやって来た。主人には雷獣という渾名があるが、外見の描写はそれ以上にはない。その代わり銀のキセルを器用に操る。敬太郎は(漱石は)その様子をじっと見ている。これもまた漱石作品の成果実であろう。作中のある副人物に金時計でも金縁眼鏡でもいいが、何か象徴的な小道具を持たせて、それが自然な効果を生む。たくらんで出来ることではない。

 主人の云う所によると、森本は下宿代が此家に六ヶ月許滞っているのだそうである。が、三年越しいる客ではあるし、遊んでいる人じゃなし、此年の末には何うかするからという当人の言訳を信用して、別段催促もしなかった所へ、今度の旅行になった。家のものは固より出張と許り信じていたが、其日限が過ぎていくら待っても帰らないのみか、何処からも何の音信も来ないので、仕舞にとうとう不審を起した。夫で一方に本人の室を調べると共に、一方に新橋へ行って出張先を聞き合せた。ところが室の方は荷物も其儘で、彼の居った時分と何の変りもなかったが、新橋の答は又案外であった。出張したと許思っていた森本は、先月限り罷められていたそうである。(同10回)

 森本の退職もしくは罷免が10月末であれば、物語の今現在は11月中旬である。敬太郎と森本の「風呂場の出会い」はまさに森本の退職する前後ということになる。森本は退職願いを書くために巻紙を買ったのか。
 もう1ヶ月遅い可能性もある。その場合年の瀬を控えて少しあわただしくなるが、いずれにせよ森本は年内には逃げなければならないので、ぎりぎり引っ張ったと考えれば、11月末退職説もありうることである。