明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 4

126.『風呂の後』一日一回(1)――1回~5回


 漱石の中期三部作の第1作『彼岸過迄』全118回は、秋声の『黴』全80回のあとを受けて、明治45年1月から4月まで4ヶ月間連載された。執筆も4、5日先行しているだけのほぼ同時進行。以後死ぬまで続いた1日1回の課業スタイルも、『門』をスタート台として漸く確立されたと見ていい。
 修善寺で一度死んで生き返った漱石が、その復帰第1作でもある『彼岸過迄』で何を書こうとしたか。その中に『三四郎』『それから』『門』では到底書けなかったことが1つでもあったのか。あるいは『猫』『坊っちゃん』『草枕』で書いてしまって、初期三部作では放棄されたもののうち、再び『彼岸過迄』に甦ったものがあるか。それは『行人』『心』においても探求されるべきことであろうが、とりあえずそれらも念頭に置いた上で、第1話『風呂の後』(全12回)から順番に、何が書かれているか検証して行こうと思う。

 

1回 敬太郎ビールを飲む

 就職運動に厭きた田川敬太郎は、飲みたくもない麦酒を2本も飲んだ。翌朝活動を放棄して銭湯に行き、そこでやはり課業を放棄したふうの同宿の勤め人森本と出くわす。
 敬太郎は頑丈な身体であるという。2回では「貴方は好い体格だね」と森本に言われている。
 酒は、7回で「飲めない口なので、時々思い出すように、盃に唇を付けて、付合っている」と書かれるから、敬太郎の酒量は殆ど漱石に近いが(漱石に酒量という語が妥当かどうかは別として)、盃2、3杯、ビールならコップ半分弱が限界の漱石に対し、敬太郎は麦酒を1本2本と飲んだ。三四郎も宗助も漱石のキャパシティを超えて飲酒するシーンが(1回ずつ)描かれるが、漱石もちょっと見栄を張ったのであろう。それに比べると代助は異世界の人間である。姦通に踏み切ろうとするからには、代助は(そこだけ)明らかに漱石とは別の何者かであろう。兄と二人で3合徳利を13本平らげても(そこだけは)構わないのである。

 ところで敬太郎は麦酒を「ポンポン」抜いたが、翌朝無粋な「ボンボン時計」に起こされてしまう。漱石にしては珍しい散文的表現である。湯を「じゃぶじゃぶ」という書き方も繰り返して出現する。2回では森本が自分の腹をやはり「ポンポン」叩く。知らず知らず秋声に影響されてしまったのか。

2回 銭湯における敬太郎と森本

 銭湯や温泉などの共同浴場、あるいは大浴場。『猫』『坊っちゃん』『草枕』でも印象的で、漱石の必須アイテムとも言えるようだ。
 銭湯は、『猫』で苦沙弥先生が大混雑の浴槽で真っ赤になって竦んでいるシーンが忘れられない。『三四郎』は安宿の風呂場の方が有名だが、三四郎と広田先生が銭湯に行って身長を測るシーン(まだ延びるかも知れない)もまた記憶に残る。『それから』はブルジョア家庭に内風呂があるせいで目立たないが、それでも代助が昔銭湯でエジプト人みたいな三助に背中を擦られたとか、平岡と門野が引越の後銭湯に行ったエピソード(門野が平岡の体格の好いのに驚く)が思い出される。『門』のラストシーンも、鶯の鳴き始めという印象的な場景は横丁の銭湯であった。本作『彼岸過迄』の場合は、銭湯がストーリー展開に直接関係して来る稀なケースである。それから、何もなさそうな『道草』でさえ、倫敦で友人と銭湯に行ったことがちゃんと書かれているのは驚きである。
 温泉の方は、『坊っちゃん』道後、『草枕』那古井、『行人』和歌の浦、『明暗』湯河原と、あまりにも有名なシーンばかりで、紹介するのが憚られるくらいである。『虞美人草』でも直接には描かれないものの、甲野と宗近の行った京都の旅館の浴場、井上孤堂と小夜子たちの銭湯通い等、目立たないが随所にそれらは登場する。
 唯一の例外が『心』であろうか。しかし冒頭の先生と私の出会った鎌倉の海が「海水浴場」であったことを思い起こせば、それもまた立派な「大浴場」と言えよう。
 漱石は決して風呂好きではなかったが、風呂なしの小説を書くことはなかった。
 幻の最終作品でも主人公は親友と銭湯に行く場面が描かれるのではないか。

 ところで2回の末尾で、森本が案外な風流人であることが分かる。

「今朝の景色は寝坊の貴方に見せたい様だった。何しろ日がかんかん当ってる癖に靄が一杯なんでしょう。電車を此方から透かして見ると、乗客が丸で障子に映る影画の様に、はっきり一人一人見分けられるんです。それでいて御天道様が向う側にあるんだから其一人一人が何れも是もみんな灰色の化物に見えるんで、頗る奇観でしたよ」(『風呂の後』2回)

 前日降った雨が一夜明けて好天になった町並みを見たのである。その森本は紙屋で巻紙と状袋を買った。何に使うのか。

3回 森本の冒険譚

 森本は「彼はもう三十以上である」と書かれる。敬太郎は夏に大学を卒業したばかりである。三四郎は23歳だったから、卒業した敬太郎は26歳か27歳であろう。6回で森本は、「貴方と僕はそう年も違っていないようだが」と言っているから、森本はこの場合30歳か31歳であろう。結婚歴があると言い、子供は亡くなったとも言う。してみると森本は、境遇としては『それから』の平岡の末裔であったろうか。『門』の坂井の弟(冒険者)、『明暗』の小林であろうか。森本の学歴はまだ何とも書かれていない。

4回 田川の蛸狩

 敬太郎の夢は南洋へ向かっているようである。敬太郎は人に好かれる単純な青年である。三四郎が卒業したら敬太郎になるのか。

5回 新アラビア物語

 漱石カメオ出演の回。『猫』では苦沙弥先生はさておき、「一夜」を書いた送籍、『明暗』では英国人に肩車された猿として登場する。『彼岸過迄』では高等学校の英語教師として、スチーヴンソンの作品について質問した敬太郎に対し、真面目くさって答えている。
 敬太郎は口さえあれば満洲でも朝鮮でも行く気である。敬太郎もまた冒険者の素質があるのか。