明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 1

123. 誰でもおかしな文章を書く(1)――徳田秋声の場合


 さて漱石ブログ「最後の挨拶」も、『三四郎』『それから』『門』の3部作を了えて、本日からいよいよ『彼岸過迄』であるが、その前に少しだけ寄り道をお許し願いたい。

 論者(筆者のこと。以下同断)は漱石文学の考察の途次で、漱石の書く文章について様々あげつらっても来たが、ここでちょっと立ち止まって振り返って見ても、個性的な文章を書く作家は他にもたくさんある。
 漱石と同時代に活躍した秋声徳田末雄もまた、時折ヘンな文章を書くことで名高い。『三四郎』と同じ年に書かれた名作『新世帯』の終盤、お作が結婚前に奉公していた西片町の屋敷を尋ねるシーンがあるが、その連載回を全文引用してみる。

 門のうちに、綺麗な腕車が一台供待をしていた。
 お作は蓊欝(こんもり)した杜松の陰を脱けて、湯殿の横からコークス殻を敷いた水口へ出た。障子の蔭から竊と台所を窺くと、誰もいなかったが、台所の模様は多少変っていた。瓦斯など引いて、西洋料理の道具などもコテコテ並べてあった。自分の居た頃から見ると、何処か豊そうに見えた。
 奥から子供を愛(あや)している女中の声が洩れて来た。夫人が誰かと話している声も聞えた。客は女らしい、華やかな笑声もするようである。
 少時すると、束髪に花簪を挿して、整然とした姿をした十八九の女が、ツカツカと出て来た。赤い盆を手に持っていたが、お作の姿を見ると、丸い目をクルクルさせて、「誰方?」と低声で訊いた。
「奥様在しゃいますか。」とお作は赤い顔をして言った。
「え、在しゃいますけれど……。」
「別に用はないんですけれど、前におりましたお作が伺ったと、然う仰って……。」
「ハ、然よでございますか。」と女中はジロジロお作の様子を見たが、盆を拭いて、其に小さいコップを二つ載せて、奥へ引っ込んだ。
 少時すると、二歳になる子が、片言交りに何やら言う声がする。咲割れるような、今の女中の笑声が揺れて来る。其笑声には、何の濁りも蟠りもなかった。お作は此の暖かい邸で過した、三年の静かな生活を憶出した。
 奥様は急に出て来なかった。大分経ってから、女中が出て来て、「あの、此方へお上んなさいな。」
 お作は女中部屋へ上った。女中部屋の窓の障子の処に、凸凹の鏡が立懸けてあった。白い前垂や羽織が壁に懸っている。少時すると、夫人が些と顔を出した。痩ぎすな、顔の淋しい女で、此頃殊に毛が抜上ったように思う。お作は平くなってお辞儀をした。
「此頃は如何ですね。商売屋じゃ、随分気骨が折れるだろうね。それに、お前何だか顔色が悪いようじゃないか。病気でもお為かい。」と夫人は詞をかけた。
「え……。」と云ってお作は早産のことなど話そうとしたが、夫人は気忙しそうに、「マア寛り遊んでおいで。」と言い棄てて奥へ入った。
 少時女中と二人で、子供を彼方へ取り此方へ取りして、愛していた。子供は乳色の顔をして、能く肥っていた。先月中小田原の方へ行って居て、自分も伴をしていたことなぞ、お竹は気爽に話出した。話は罪のない事ばかりで、小田原の海が如何だったとか、梅園が恁だとか、何処のお嬢さまが遊びに来て面白かったとか……お作は浮の空で聞いていた。
 外へ出ると、其処らの庭の木立に、夕靄が被っていた。お作は新坂をトボトボと小石川の方へ降りて行った。(徳田秋声『新世帯』36回全文。……部も原文のまま)

 この四百字詰原稿紙3枚程度の回に「少時(しばらく)」「少時すると」が3回も4回も繰り返されることは良しとしよう。それもまた文豪秋声の文章である。ここで言いたいのはそんなことではない。
 太字で示した箇所の、「お竹」という女中の名が突然出現するのに、大抵の読者は面喰うのではないか。
 お竹という女中は小説では当然この回だけの登場である。その名前がお竹であるかないか、作者がいちいち改まって断る話ではない、とは言えよう。しかし1年ぶりかに屋敷を再訪したお作は、新しい女中の顔をこのとき始めて見たのであるから、読者に対していきなり「お竹は……」はないだろう。他に書きようがあるのではないか。その女中の名がお竹であることは間違いないにせよ。

 漱石が長生きしていたなら、いずれノーベル賞を取ったと思われるが(本人が喜ぶか否かは別として)、もう一人ノーベル賞にふさわしいこの時代の作家がいるとすれば、それは秋声であろう。そんなことは余談としても、漱石と秋声は同時代人であることを超えて、その生き方が何となく似ている。