明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 14

100.『門』コントのあとは主役の失踪(3)――小六の変身


 宗助も御米も小さな問題は探せば見つかるようであるが、小六もまた漱石ふうの大雑把なようで細かい性格は別として、一回だけ失踪事件を起こしている。
 11月いっぱいで寄宿舎を引き払い、宗助夫婦の家で同居を始めた小六であるが、行き先も告げずに出かけてしまうという漱石丸出しの我儘を見せることもあった。たいていは学友か佐伯の従兄弟の処へ行くのであるが、それも休学によって家にいることが増えたようである。そのため(と思わざるを得ない)御米の体調は悪化する。その御米の病気を描く第11章で、御米は小六の昼飯の世話も出来ず寝込んでしまった。

 小六は六畳から出て来て、一寸襖を開けて、御米の姿を覗き込んだが、御米が半ば床の間の方を向いて、眼を塞いでいたので、寝付いたとでも思ったものか、一言の口も利かずに、又そっと襖を閉めた。そうして、たった一人大きな食卓を専領して、始めからさらさらと茶漬を掻き込む音をさせた。(11ノ2回再掲)

 そのあと御米は何とか持ちこたえて、夜9時を過ぎてから大騒ぎになるのだが、小六は行方不明である。部屋にいるともいないとも、出かけたともどこへ行ったとも、何も書かれない。前の章でちょくちょく夕餉の時間を外してとか酒気を帯びるとか書かれるから、読者は一応安之助のところへでも行ったのだろうと想像はする。しかし暮れの20日過ぎである。休学して金もない小六が今日もまた午後から外出したのであれば、それは読者が苦情を言う話ではないが、帰宅した宗助が一応小六の在否を確かめてもバチは当たらない。

 清はすぐ立って茶の間の時計を見て、
「九時十五分で御座います」と云いながら、それなり勝手口へ回って、ごそごそ下駄を探している所へ、旨い具合に外から小六が帰って来た。例の通り兄には挨拶もしないで、自分の部屋へ這入ろうとするのを、宗助はおい小六と烈しく呼び止めた。小六は茶の間で少し躊躇していたが、兄から又二声程続けざまに大きな声を掛けられたので、已を得ず低い返事をして、襖から顔を出した。其顔は酒気のまだ醒めない赤い色を眼の縁に帯びていた。部屋の中を覗き込んで、始めて吃驚した様子で、
「何うかなすったんですか」と酔が一時に去った様な表情をした。(11ノ3回再掲)

 小六がうまい具合に帰宅したのは事実であろうが、宗助が小六の存在を意に介していなかったこともまた事実である。一人二役がいかに難しいか、というような話でもないから、結局漱石は小六の出処進退に関心がないということだろう。
 小六は後日、「晦日の夜の景色を見て来る」(15ノ2回)と断って出掛けているし、宗助が鎌倉から帰って来たときには「図書館に行って留守だった」(22ノ1回)と書かれるから、もう黙って出掛けることをしなくなったようにも読める。小六の変身の理由は何か。
 坂井の書生にという話が持ち上がったのは正月であるし、実際に坂井へ出たのは宗助が鎌倉から帰った後である。たぶん1月末から2月前半までのどこかであろう。それが恐らく3月初め、宗助の増給が決まって御馳走に呼ばれたとき、ごく自然に「勝手から」入って来たのは、坂井の教育の賜物であると読者は思いがちであるが、その前に小六が変身していたとすれば、それは御米の病気が原因していたと考えられないだろうか。宗助は小六を傍観しているだけであったが、御米は結果として小六の教育にも一定の役割を果たしていたのである。

 ところで宗助は小六の書生話の件でも自分からは動かなかったようだ。それが典型的に表れているのが、宗助が帰京したときの次のセリフである。

「坂井さんからは其後何とも云って来ないかい」
「いいえ何とも」
「小六の事も」
「いいえ」
 其小六は図書館へ行って留守だった。宗助は手拭と石鹸を持って外へ出た。(22ノ1回)

 安井のことで奥歯に物の挟まったような言い方になるのは仕様がないにしても、小六を書生に出すのは宗助の方から頭を下げて頼み込むのが筋であろう。小六にとっては一生の一大事でもある。漱石はわざと書いているのか。つまり頼るに値しない男として、わざと宗助を描いているのか。それともごくふつうの会話として上の数行は書かれているのか。つまり漱石の地の出た数行であろうか。

 それはともかく、物語末尾、大団円のキーワードたる「勝手口」であるが、宗助は坂井宅を何度となく訪れているが、そのうち3度勝手口から入ったと、なぜかはっきり書かれている。(玄関から入ったであろうときに玄関から入ったとは、漱石は一度も書いていない。)

①盗まれた手文庫を届けに行った。玄関のベルを押したが鳴らなかったので勝手口へ廻った。(7ノ5回)
②大晦日挨拶方々家賃を持参した。いつもは清が持って行くのだが、坂井と懇意になっていることもあり、自分で持って行った。ただし用向きの性格上勝手口から入った。(15ノ1回)
③鎌倉から帰って始めての訪問。玄関で冒険者たちとの鉢合わせの可能性も考え、一応勝手口で下女に来客の有無を確認した。(22ノ2回)

 3回ともそれぞれ異なった事情のため宗助は勝手口から入っている。漱石は明らかにこだわって書いている。それは『門』の掉尾をかざる、ある一文のために用意されたと言って過言でない。

 翌日の晩宗助はわが膳の上に頭つきの魚の、尾を皿の外に躍らす態を眺めた。小豆の色に染まった飯の香を嗅いだ。御米はわざわざ清を遣って、坂井の家に引き移った小六を招いた。
 小六は、
「やあ御馳走だなあ」と云って勝手から入って来た。(23ノ1回再掲)

 先の項(『門』の間取り図)でも述べたが、つい数ヶ月前まで、玄関で靴を脱ぎっ放しにしていた小六としては、考えられない成長ぶりである。小六の行為は変身か教育によるものか。様々な組み合わせに起因する数多くの可能性がある。これまた何度読んでも厭きないわけである。考えて容易に解るものでもないが、厭きることのないことだけは慥かである。