明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 9

95.『門』最大の謎――宗助はなぜ小六を残したまま家を出たのか


 先にも述べたが『門』で最も不思議なのは、宗助が自宅に小六のいる間に(御米を残したまま)鎌倉へ10日間出かけてしまったことであろう。宗助が気にしないのはいい。宗助は自分が何らかの意思を発揮して、その帰結として安井から御米を、(厭な言い方だが)寝取ったという意識は、たぶん皆無である。宗助は、代助の言い方を借りれば、自然に従っただけなのである。良く言えば無私。悪く言えば責任放棄。(何度も繰り返して恐縮だが、これを人は誠実といい、あるいは自分のことしか考えないという。)
 したがって宗助は、自分の留守の間に御米が小六に奪われるかも知れないと心配することはない。御米が小六に心を移すことは、宗助が心配するしないに関係なく、自然(必然・運命)という観点からはありえないからである。

 しかし漱石は別である。漱石はそういうことは人一倍気にするタイプである。
 前著でも述べたことだが、『明暗』でお延が津田と一緒に温泉へ行きたいと言い出したとき、津田は家が不用心になるという理由をつけて防戦する。誰か留守番を頼めばいいと言うお延に対し津田は珍しく断乎として自分の考えを通す。

「若い男は駄目だよ。時と二人ぎり置く訳にゃ行かないからね」
 お延は笑い出した。
「まさか。――間違なんか起りっこないわ、僅かの間ですもの」
「左右は行かないよ。決して左右は行かないよ」(『明暗』151回)

 漱石自身も同じようなシチュエーションで似たようなことを言っている。糖尿病由来の神経痛に悩まされた漱石が大正5年1月、二度目の湯河原行きの際、鏡子はついて行きたいのだが子供が沢山いてそれも難しい。

 ・・・代りに看護婦でもお連れになってはと申しますと、考えておりましたが、まあ、よそうよと申します。なぜですかと訊ねますと、とにかく男一人女一人なんてのはいけないからということに、ではなるべく年寄りの看護婦をお連れになったらと言いますと、自分ではこの爺さんに間違いはないとは思うが、しかし人間には「はずみ」という奴があって、いつどんなことをしないものでもないからなどいって、とうとう一人で行ってしまいました。(夏目鏡子漱石の思い出』57/糖尿病)

 潔癖な漱石は自分ではその恐れはなかったのだろうが、そういう世間の思う壺のようなものに嵌り込むこと自体を忌避したのだろう。そういう興醒めなエクスキューズを書かないで大団円を迎えたところに『門』の良さはあるのであろうが、しかしなぜという疑問は一筋残る。
 漱石は次回作『彼岸過迄』でもう一度この状況をわざわざ作り出して、読者に対してそういうゲスの勘繰りは不要であると念を押しているが、その(市蔵が独り鎌倉から引き揚げてお作と二人きりになるという)筋書きは、あろうことか市蔵その人が、父が小間使いに生ませた子であったという設定の前に、どこかへ吹き飛んでしまったのではないか、というのが前著の中の一項「漱石作品最大の謎」で論者が主張したことである。

 それは誤解であると漱石は言うであろうか。誤解するのはした方が悪いと漱石は言うのであろうが、漱石が読者を誤解させるように書いていることもまた事実である。