明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」門篇 8

94.『門』年表確定――宗助御米の結婚生活は6年


 漱石が6年と書いた、宗助と御米の二人暮した年月について、これまでの議論をまとめると、

①京大入学年度
・6年8ヶ月説=明治34年9月
5年8ヶ月説=明治35年9月(『それから』代助と同じ)

②二人の棲む場所(都市)と歳月
6年8ヶ月説=広島2年・福岡2年・東京2年8ヶ月
・5年8ヶ月説=広島1年4ヶ月・福岡1年10ヶ月・東京2年6ヶ月

 明治42年10月31日に宗助によって呟かれた「そりゃ5、6年前のことだ」という贅沢の誡めは、それを明治36年~37年のことと解釈すると、

③明治36年~37年の出来事
・6年8ヶ月説=36年宗助御米の大風事件・広島行・父死亡~37年家屋横領・腸チフス事件
5年8ヶ月説=36年宗助安井御米3人の蜜月時代~37年宗助御米の大風事件・広島行・父死亡

 また京大入学時に宗助23歳・小六13歳であったとして、

④『門』スタート時の物語年代(明治42年)における宗助の年齢
・6年8ヶ月説=宗助31歳
5年8ヶ月説=宗助30歳(『それから』代助と同じ)

 論者にとってより自然と思われる方を太字で示した。論者はもちろん5年8ヶ月説を採る。両説の最大の分岐点は、傍線で強調した広島時代の月日の書き方をどう解釈するかであろう。しかし問題はそれだけに留まらない。

 そもそも漱石が「6年」と書くからには、常識的には5年8ヶ月説を採らざるを得ないのであるが、漱石の(大雑把な)理屈では、広島2年・福岡2年・東京2年という頭があったのではないか。
 福岡で苦闘の2年間を過ごして久しぶりに東京へ舞い戻ったとき、小六は高等学校へ入る間際であった。その小六が今秋3年生になったのだから、東京生活もまた2年であると、漱石は思ったのかも知れない。小説が始まって、登場人物たちは11月・12月を生きているが、語り手たる漱石の頭の中は、あるいは漱石の軸足は、物語の始まりである小六の学資打切り問題を一歩も出ていないと仮定すれば、語り手の回想も9月を基準としていた可能性がある。漱石が6年強を6年と書いた可能性は大いにあるのである。

 宗助御米の夫婦生活の出発点は、京都というより広島であろう。その広島時代に解釈の余地が残ってしまうのは残念だが、『三四郎』でも漱石は女の顔の色(白さ)以外山陽線の描写を一切しなかった。縁あって訪れたことのある岡山も、小説やエッセイに書かれることはなかった。そもそも長く住んだ熊本ですら、(鏡子に比べても)漱石は懐かしんだ形跡がない。『坊っちゃん』に書かれた松山も、当初は中国辺のある町というつもりもあったようだから、要するにそういう趣味はないのである。幼少期の体験のように、自分(の存在)に直接働きかけてくるような記憶は別として、ふつうの体験は漱石にとって身に染みるようなものではなかったのだろう。それがゆえに(川端康成みたいな)観察眼が行き届いたような小説の叙述が可能になったのかも知れない。

 それはともかく、ここで再度、論者の確定版たる『門』の年表を掲げてみたい。『それから篇』13(第76項『それから』なぜ年次を間違えるのか)
漱石「最後の挨拶」それから篇 13 - 明石吟平の漱石ブログ

の再録になるが、広島の暦に少し手を入れてみた。その部分は傍線で示した。

『門』年表(明治35年スタート版)(改訂版)

明治35年(京都1)宗助23歳 小六13歳
9月 京大入学

明治36年(京都2)宗助24歳 小六14歳
8月 宗助、最初(で最後)の暑中休暇帰省
9月 京大2年 安井、御米と家を持つ
秋 宗助、安井・御米と親しく交際
冬 安井、インフルエンザ

明治37年(広島1)宗助25歳 小六15歳
1月 安井・御米、須磨明石で保養(宗助も最後に合流)
2月~4月 宗助と御米のインシデント
4月 宗助・安井のスピンアウト
5月初め 広島行
10月 父死亡

明治38年(広島2)宗助26歳 小六16歳
3月 東京の父の家売却
6月 宗助、風邪から腸チフス
9月 福岡行
冬 小六名義の神田の新築家屋焼失

明治39年(福岡1)宗助27歳 小六17歳
(福岡 苦闘の2年間)

明治40年(福岡2)宗助28歳 小六18歳
6月 旧友杉原の世話で東京へ転勤
7月 小六、中学を出て高等学校(寄宿舎生活)へ

明治41年(東京1)宗助29歳 小六19歳
夏 佐伯の叔父急死
9月 小六、高等学校2年生

明治42年(東京2)宗助30歳 小六20歳
7月 佐伯の息子安之助、大学卒業
8月 小六、房州旅行~小六、佐伯より学資の提供困難を宣告される
9月 小六、高等学校3年生(しかし休学を考えざるを得ない)
10月26日(火) 伊藤博文暗殺
10月31日(日) 物語の始まり~宗助御米の日曜日~小六の来訪
11月 回想/宗助のこれまで
    安之助のカツオ船石油発動機
    宗助歯医者へ
    抱一屏風事件
    泥棒事件
    小六の寄宿舎引揚と休学届
    坂井との交際始まる
12月 安之助のオフセット印刷
    小六の飲酒癖
    安之助の結婚話は春まで延期
    御米の病気
    甲府の織屋
    回想/御米の流産
    回想/御米の占い
    回想/宗助と御米の大風吹倒事件
    大晦日の野中家

明治43年(東京3)宗助31歳 小六21歳
1月 坂井家の正月と冒険者
   坂井から小六を書生にという提案
   安井の影に怯える宗助10日間の参禅
   坂井から安井たちの満洲へ帰ったことを聞く
2月 小六が坂井の書生へ出る
   役人の淘汰月間
3月 宗助の増給決まる
   お祝いのごちそう(書生に出ていた小六も呼んだ)
   鶯の鳴き始め