明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」それから篇 15

78.『それから』父と子――金がなければ役立たず


 先に『それから』では父が(例外的に)活動すると述べたが、漱石にとって人生では苦々しい存在でしかなかった父親が、作品でどのように描かれたか、例によって順に見てみよう。

『猫』 吾輩の父親は当然ながら不詳。三毛子も飼い主に男の気配はない。苦沙弥はもう両親はいない年齢であろう。若い寒月も、父親が登場することはない。

坊っちゃん 母が先に亡くなり、最終学歴の前に父が死ぬ。親子の交情は皆無。しかし兄に貰った(遺産の)600円で物理学校に行った。親爺が小遣いをくれないのに閉口したという恨みがましい一文が妙に印象に残る。

草枕 画工の両親は描かれない。那美さんの父親は生きているがただの隠居の風流人である。

虞美人草 小野さんは私生児の噂さえある。そのため小野さんは井上孤堂の世話になり、当然起こる「恩」と「返済」のしがらみに悩まされる。甲野さんの父親は物語の始まる直前に欧州で客死した。甲野さんには残された財産が却って災いする。宗近家では最後まで健在であるが、宗近は俗物一家ではある。

三四郎 三四郎の父親も早くに亡くなっているようである。里見家も同じ。野々宮の父親は触れられることすらない(母親は登場しても)。

『それから』 珍しくしっかり描かれてはいる。代助の庇護者にして無理解者。自らの資金源のために代助を利用しようとする俗物としても描かれる。

『門』 宗助の人生最大の試練の最中に死んでしまう。宗助の不始末に憤死したのか。父の死んだことにより残された家屋敷は叔父に利用されてしまった。

彼岸過迄 須永の父は早くに亡くなり、ほとんど母一人に育てられる。

『行人』 珍しく健在。しかし存在感は薄い。家を出た二郎と実家の家族(母親・一郎・嫂・妹)の取り持ち役のようですらある。

『心』 先生の父親は『門』と同じ。肝心なときに死んでかえって災いをなす。私の父親はある意味では漱石の父親に一番近い。平凡であるが、じきに死ぬ。あるいはいつ死のうがどうでもいい。

『道草』 漱石の父親に同じ。養父として登場した島田は、残念な描かれ方をした。モデルたる実在の塩原老人は、小説の描写をほぼ全否定している。兄として登場した人物も、もし論者が漱石の兄なら絶縁しただろう。実際には兄は長く夏目家と交際したが、作品を読んでいなかったに違いない。(腹違いの)姉とその亭主も同じ。姉はともかく義兄は、いくら従兄とはいえ、ひどい書かれようではある。

『明暗』 京都にいて津田の仕送り役としてのみ登場。たまたま仕送りを拒否することにより津田に馬鹿にされる。

 漱石の「父親」はおおむね金の苦情とともに描かれるようである。『それから』の長井の父親は見合い話で代助を困らせるが、この余計なお世話のおかげで、代助の(漱石の)とんでもない性格が浮き彫りになる。

 其所へ親爺が甚だ因念の深いある候補者を見付けて、旅行先から帰った。梅子は代助の来る二三日前に、其話を親爺から聞かされたので、今日の会談は必ずそれだろうと推したのである。然し代助は実際老人から結婚問題に付いては、此日何にも聞かなかったのである。老人は或はそれを披露する気で、呼んだのかも知れないが、代助の態度を見て、もう少し控えて置く方が得策だという了見を起した結果、故意と話題を避けたとも取れる。
 此候補者に対して代助は一種特殊な関係を有っていた。候補者の姓は知っている。けれども名は知らない。年齢、容貌、教育、性質に至っては全く知らない。何故その女が候補者に立ったと云う因念になると又能く知って居る。(『それから』3ノ6回末尾)

 この見合い話は「父と子」というテーマとは直接関係ないので、これ以上掘り下げないが、強調部分の不思議な記述を読むと、美禰子が「責任を取りたがらない人」と言うわけがよく分かる。代助は(漱石は)全能の神にして実際に行動し給わぬ神である。