明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」三四郎 外伝1

46. 『三四郎』外伝(1)――森の女と云う題が悪い


 さて「目次」が最後に来てしまったが、前回の45回まででひとまず『三四郎』の回はお終いである。
 次は『それから』になるが、その前にインターバルとして、余計なことをいくつか書くことにする。これはあくまで小論の「番外篇」であって、論者としては(誰でもそうであろうが)最初から、漱石に対して否定的な言辞を弄する気持ちは少しもないことを、あらかじめ断っておきたい。

 まず『三四郎』のエピローグに関連して、三四郎の作中での最後のセリフ「森の女と云う題が悪い」については、その通りであろう。読者としてもその通りであると言わざるを得ない。あの美禰子の、ちゃんと着付けた着物姿の立像である。団扇を翳しているということは日を浴びているということであるから、都会的な画であったとしても、森をイメジさせるものではなかろう。いくらこの森が上野の森だとしても。
(蛇足ながら、漱石の女で森のイメジにふさわしい女は、一人もいない。漱石の女は都会の女である。あるいはせいぜい都会に染まりそうな女である。『草枕』の那美さんも、やはり森というには無理がある。)

 そもそもこの回(第13章)の記述は、全体に何となくおかしい。不出来である。わざとそうしているような感じさえ受ける。その前回の末尾の、

「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」(『三四郎』12ノ7回)

 で、漱石の集中力は途絶えてしまったのか。それとも、非キリスト者たる漱石にして、美禰子を教会に通わせたり詩篇を参照したことによる引け目から、もうそれ以降は漱石を離れたような書きぶりに(わざと)なってしまったのか。

 論者の推理は、(漱石の)原口に対する偏見・蔑視・嫉妬・・・というもの。漱石は原口の意見に諸手を挙げては同調していない。人物としては漱石の嫌う実業家丸出しであるが、芸術家として登場しているので、その分だけ言動は嫌味なものになる。「森の女」の名付け親は原口であろう。漱石は厭々それに従った(ふりをしている)ようである。これがまさに則天去私の行き方であろうか。

 広田先生の「佐々木に買って貰う積だそうだ」も、ちっとも面白くない。広田先生は軽口を言うにしても、こんな無意味なことは言うまい。
 そのあとの「ぽんぽんする画は」云々も(野々宮の「寧ろ意気な画だ」同様)、面白くない。広田先生は泰西の名画にも詳しいのではなかったか。
 与次郎もヘンである。小さんや円遊は分かっても、画のことは額縁の大きさ以外には分からないとでもいうのだろうか。

 美禰子の「夫」も紋切型である。それはいいとしても、夫が画家に礼を言う理由が解らない。画を貰ったのならともかく、自分の細君をモデルにして、ある芸術作品が生まれたとして、作者に礼を言う話ではなかろうという気がする。ましてやこの場合、モデルとなったのは結婚前の細君である。ふつうの男なら嫌な顔か、せいぜい苦笑いするところではないか。
 モナリザが名画だとして、そのモデルが何トカ夫人だとして、その亭主がダヴィンチに礼を言うであろうか。その画を自宅に貰ったわけでもないのに。
 美禰子が礼を言うならまだ解る。美禰子はたっぷりモデル料を受け取ったのだろうか。――どうでもいいが中流階級の子女美禰子は金を貰っていないと推測する。とすれば余計(夫が)礼を言う謂われはない。

 第13章で唯一、いつもと変わらず落ち着いているように見える美禰子にしても、この回の唯一のセリフたる「御蔭さまで」と礼を述べたのは、原口の「いや皆御当人の御好みだから。僕の手柄じゃない」に対応したものであるが、ふだんの美禰子ならこんな曖昧な返事はしないだろう。思うに美禰子もまた、

「嬉しい所なんか始めからないんですから、仕方がありません」(『明暗』10回)

 と言って澄ましているタイプの人間であろうか。

 三四郎も美禰子同様この回ではただ一つのセリフ「森の女と云う題が悪い」しか発していないが、ではどう付ければいいのか。三四郎は勿論分からない。漱石は最後に来て、三四郎だけは本体とブレない書き方を維持している。三四郎となぜかこの回に登場しないよし子、このふたりにだけ、漱石の同情が注がれているようにも取れる。

 ではどう付ければいいのか――。読者の立場でいえば、モネの名画ではないが、「団扇の女」、日本ふうに丁寧に名付ければ、「団扇を翳す女」であろう。そのまま付ければいいのである。