明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」野分篇 34

369.『野分』全50回目次(1)――上篇(第1章~第5章) 本ブログ坊っちゃん篇・草枕篇同様、『野分』全12章にも、新聞連載されたと仮定して、(仮想の)回数分けを行なってみる。回の内容を摘要したものや惹句も、論者が勝手に附けたものであることは言…

漱石「最後の挨拶」野分篇 33

368.『野分』おわりに――会津八一が地獄の入口で詠んだ歌 先に述べた、『野分』は男の小説であるということに関連して、これは突飛な連想でもあろうが、本ブログ野分篇で折角会津八一を持ち出したからには、最後に彼の歌を1首紹介して終わりにしたい。ただ会…

漱石「最後の挨拶」野分篇 32

367.『野分』すべてがこの中にある(11)――最終作品への道 ・『草枕』と『虞美人草』の例外 『草枕』は季節だけを言えば春休みの話である。画工が那古井の温泉宿に滞在する何日かを語っているに過ぎない。画工は教師ではないのだから(那美さんからは先生…

漱石「最後の挨拶」野分篇 31

366.『野分』すべてがこの中にある(10)――漱石と秋(つづき) (前項よりつづき)《例題15 ア、秋(つづき)》・『道草』 『行人』『心』では秋というより夏起点になってしまったようだが、『道草』もスタートはさらに早まって、6月頃と目される。御住…

漱石「最後の挨拶」野分篇 30

365.『野分』すべてがこの中にある(9)――漱石と秋 漱石にとって「生老病死」の話は無限ループに似て、きりがないのでこの辺でやめにしたいが、最後にもう1つ、漱石の全作品の棚卸ついでに、本ブログでもさんざんこだわっている、漱石の小説の「暦」につい…

漱石「最後の挨拶」野分篇 29

364.『野分』すべてがこの中にある(8)――病気をするために生れてきた(つづき) 《例題13 死に至る病》 病気だから死ぬのか、死ぬから病気なのか。病気もまた、漱石の小説に付き物である。「病気をしに生れて来た」漱石らしく、誰かが病気に罹らない漱石…

漱石「最後の挨拶」野分篇 28

363.『野分』すべてがこの中にある(7)――病気をするために生れてきた 漱石に似合わない「酒」の話のあとは、最後に漱石らしい「苦の世界」で終わりたい。「生老病死」と一口に言うが、いずれも自分1人の力ではどうにもならないものの代表である。表向き自…

漱石「最後の挨拶」野分篇 27

362.『野分』すべてがこの中にある(6)――愛だけが欠けていた 旅をすればこそ人は手紙も書く。では人は何のために旅するのか。愉しみのためだけに旅することも勿論あるだろうが、いつの時代でも人は生きるために移動する。漱石作品でも多くの登場人物は仕事…

漱石「最後の挨拶」野分篇 26

361.『野分』すべてがこの中にある(5)――旅する人が手紙を書く 旅する人になくてはならぬものの1つに「手紙」がある。文人漱石にとっては旅の土産品より手紙の方が大切だったのではないか。漱石は多く手紙を書いた人であったが、自分の小説にもまた多く手…

漱石「最後の挨拶」野分篇 25

360.『野分』すべてがこの中にある(4)――西へ西へと移動する(つづき) (前項よりつづき)《例題2 外地・外国・西洋人・洋書》 国内旅行の延長線上に海外旅行がある。現代の我々はそう思いがちであるが、文明開化・富国強兵の明治の人にとっては、どうし…

漱石「最後の挨拶」野分篇 24

359.『野分』すべてがこの中にある(3)――西へ西へと移動する Ⅰ 『野分』にのみあって、他の漱石作品には見られないもの。Ⅱ 『野分』にも他のすべての漱石作品にも、共通してあるもの。Ⅲ 他のすべての漱石作品にあるが、『野分』にだけないもの。(以上再掲…

漱石「最後の挨拶」野分篇 23

358.『野分』すべてがこの中にある(2)――披露宴と演説会 (前項よりつづき)Ⅰ 『野分』にのみあって、他の漱石作品には見られないもの。 前回までのところでは、『野分』の独自性を発揮するような箇所はなかったようである。『野分』にしか使われない部品…

漱石「最後の挨拶」野分篇 22

357.『野分』すべてがこの中にある(1)――オリジナルを求めて 『野分』の基本的な枠組は、前項まで述べて来たような『明暗』への萌芽となる「対決する」人物群の設定であるが、その外に『野分』ならではの独自性が発見できるか、その小説的道具立て(使われ…

漱石「最後の挨拶」野分篇 21

356.『野分』どのような小説か(4)――『明暗』への道 前項で述べた、漱石作品が「いつまでも読まれ続ける」ということで、すぐに思いつくもう1人の作家太宰治について、本ブログ草枕篇(6)でも取り上げた堤重久によって、作家本人の(初会の日の)こんな…

漱石「最後の挨拶」野分篇 20

355.『野分』どのような小説か(3)――道也のアリア 何度も書くように『野分』は、複数主人公が互いに親密な会話を交わす、あるいはバトルを繰り広げるという意味で、通俗小説的であるとも言える。この書き方はそのまま次回作『虞美人草』に引き継がれ、そこ…

漱石「最後の挨拶」野分篇 19

354.『野分』どのような小説か(2)――妹の力 先に(『主人公は誰か』の項目で)夫婦のあり方、兄弟について述べたからには、ここで「妹」について一言触れてみるのも、公平さという観点からは無駄ではあるまい。 末っ子あるいは1人っ子の漱石には当然弟も…

漱石「最後の挨拶」野分篇 18

353.『野分』どのような小説か(1)――男の小説 さて偉そうに言うわけではないが、『野分』の成功しなかったのは、白井道也と高柳周作の怒りが通俗小説的な世界に、バラバラに置き去りにされてしまったためであろうか。 白井道也(の心の裡の怒り)も高柳周…

漱石「最後の挨拶」野分篇 17

352.『野分』何を怒っているのか(3)――職業と道楽 何度も述べるが、道也は子供のないことを除くと周囲の環境が、『猫』の苦沙弥そっくりである。鈴木藤十郎君と金田とのやりとりにこんなのがある。「あの変人ね。そら君の旧友さ。苦沙弥とか何とか云うじゃ…

漱石「最後の挨拶」野分篇 16

351.『野分』何を怒っているのか(2)――友情、分裂する自己、そして自己愛 『野分』の主人公は高柳周作という、卒業したての貧しい文学士であった。もう1人の主人公白井道也も、8年前に卒業した貧しい文学士である。貧は漱石文学のテーマにはならなかった…

漱石「最後の挨拶」野分篇 15

350.『野分』何を怒っているのか(1)――朝日入社と正宗白鳥 『野分』は漱石が12年にわたる教師時代の最後に書いた小説である。同時に白井道也が7年間勤めた中学教師を辞めて生活に困窮する話でもある。道也は教師を辞めて専業の著述家・文士になろうとし…

漱石「最後の挨拶」野分篇 14

349.『野分』主人公は誰か(6)――兄と弟(つづき) 道也の家は市ヶ谷薬王寺前であった。ある日道也の兄が道也の家を訪れると、道也は留守で細君が迎える。 表に案内がある。寒そうな顔を玄関の障子から出すと、道也の兄が立っている。細君は「おや」と云っ…

漱石「最後の挨拶」野分篇 13

348.『野分』主人公は誰か(5)――兄と弟 道也の家は市ヶ谷薬王寺前であった。薬王寺前というと、後の読者が知るように、『道草』の健三の兄が住む場所である。漱石は『道草』を書くときに『野分』の道也夫婦のことを一瞬でも憶い出したりしなかったであろう…

漱石「最後の挨拶」野分篇 12

347.『野分』主人公は誰か(4)――夫婦のあり方(つづき) 子のない夫婦の源流は『野分』であった。結婚して7年、子供が出来ないという記述すらない。前述したが、それを除けば『野分』の夫婦は、外見だけでは苦沙弥夫婦や健三御住夫婦と区別が付かない。 …

漱石「最後の挨拶」野分篇 11

346.『野分』主人公は誰か(3)――夫婦のあり方 「こっち」のおかげで細君まで主役争いに加わった。 この「複数主人公が銘々自分の思いを表出する」という描き方は、次作『虞美人草』に直結するものであるが、後に『門』にも目立たないように一部受け継がれ…

漱石「最後の挨拶」野分篇 10

345.『野分』主人公は誰か(2)――御政のアリア 漱石は御政という道也の細君を描くときに、「こっち」という言葉を2度使用した。その最初の使用例は、本ブログ第5項で、『野分』という小説が風と共にあるということを述べたとき引用した、道也夫婦の描写部…

漱石「最後の挨拶」野分篇 9

344.『野分』主人公は誰か(1)――見分けるコツは「こっち」 さて本題に戻って『野分』の主人公は誰か。 書出しの「白井道也は文学者である。」を見ても、白井道也であるとするのがふつうかも知れない。年齢も先の年表にあるように明治39年で34歳。漱石…

漱石「最後の挨拶」野分篇 8

343.『野分』のカレンダー(3)――式場益平と会津八一は高柳君の同級生 ここで高柳君の年表をもう1度(簡略化して)掲げる。〇高柳君明治14年 新潟県生れ(1歳)明治28年 長岡中学入学(15歳)明治33年 長岡中学卒業 上京、一高入学へ(20歳)明…

漱石「最後の挨拶」野分篇 7

342.『野分』のカレンダー(2)――描かれなかった山陽路 前項冒頭で物語の期間は明治39年10月下旬~12月中旬の2ヶ月間と述べた。もう少し詳しく見てみると、白井道也が借りた百円について、物語の大詰で(名目上の)債権者が道也に返済を迫るシーンが…

漱石「最後の挨拶」野分篇 6

341.『野分』のカレンダー(1)――やはり1年ズレているかも知れない 『野分』は明治39年12月に書かれ、『ホトトギス』明治40年1月号に一括掲載された。物語は概ねその明治39年の終わりの頃の話である。これは白井道也が演説会で「明治の四十年」(…

漱石「最後の挨拶」野分篇 5

340.『野分』式場益平からの手紙(4)――ゴーン・ウィズ・ザ・ウィンド 本文改訂ということで言えばもう1つ、『坊っちゃん』の清のセリフ、「もう御別れになるかも知れません。存分御機嫌よう」(『坊っちゃん』第1章) 論者は先にこの「存分」を「随分」…