明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

彼岸過迄

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 15

137.『彼岸過迄』の章分け――『風呂の後』『停留所』 さてここで、『風呂の後』と『停留所』を振り返って見よう。『三四郎』『それから』『門』ではそれぞれ10いくつなり20いくつなりの章分けが施されてあった。『彼岸過迄』からは短篇形式とはいいながら…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 14

136.『停留所』一日一回(6)――25回~36回 25回 西と東2つの小川町停留所 尾行のミッションは、電車で三田方面から来て小川町で降りる男。市電は小川町(江戸の子漱石はわざわざ「おがわまち」と正しくルビを振っているが、おそらく当時は一般には「…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 13

135.『停留所』一日一回(5)――24回 24回 漱石作品中唯一の策謀「法学協会雑誌」事件 敬太郎は出かけるのに、知らん顔して傘立てから洋杖を抜き取って出ればよい。しかし正直な敬太郎は平静を装うことが出来ない。そもそも漱石のような噓の吐けないタイ…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 12

134.『停留所』一日一回(4)――16回~23回 16回 敬太郎によって語られた浅草の追憶 敬太郎の祖父は子供の頃には浅草にいた。敬太郎の父親は漱石の世代であるから、敬太郎の祖父なら所謂天保老人であろう。敬太郎はその祖父から往時の浅草の話を聞いて…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 11

133.『停留所』一日一回(3)――9回~15回 9回 敬太郎の田口家訪問2回目 前回(8回)の末尾に「是はずっと後になって、須永の口から敬太郎に知れた話であるが」という後日談が語られている。これも漱石の常套であるが、どのタイミングで振り返っている…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 10

132.『停留所』「そんなら」――明治文学史として ・・・ここで余談ついでにちょっと寄り道を。「そんなら」は鷗外の小説にも頻出するので、論者は若い頃は鷗外の口癖と誤解していたくらいだが、鷗外はまさに「そんなら」の大家で、「それなら」の出番は勿論あ…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 9

131.『停留所』一日一回(2)――6回~8回 6回 ヴァガボンドへの返書と玄関の洋杖 敬太郎にとって今や玄関の洋杖が森本そのものである。「何物かを吞もうとして吞まず、吐こうとして吐かず、何時迄も竹の棒の先に、口を開いた儘喰付いている」蛇の頭を毎日…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 8

130.『停留所』一日一回(1)――1回~5回 さて『彼岸過迄』に戻って、第2話『停留所』全36回は、第5話『須永の話』全35話と並んで『彼岸過迄』では最長の「短篇」にあたる。ページ数は『須永の話』の方が少しだけ多いようだ。後半に進むにつれ連載1…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 7

129.『風呂の後』補遺――自画自讃三部作 [漱石「最後の挨拶」番外篇] 『風呂の後』が終ったところで、前項で述べた自画自讃三部作について、前著(『明暗』に向かって)の当該箇所を引用することにより、補足としたい。『明暗』に向かって――59.お秀はい…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 6

128.『風呂の後』一日一回(3)――11回~12回 11回 敬太郎雷獣に怒る 正直な彼は主人の疳違を腹の中で怒った。けれども怒る前に先ず冷たい青大将でも握らせられた様な不気味さを覚えた。此妙に落付払って古風な烟草入から刻みを撮み出しては雁首へ詰め…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 5

127.『風呂の後』一日一回(2)――6回~10回 6回 明治43年か明治44年か 「へえー、近頃は大学を卒業しても、ちょっくら一寸(ちょいと)口が見付(めつ)からないもんですかねえ。余程不景気なんだね。尤も明治も四十何年というんだから、其筈には違ない…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 4

126.『風呂の後』一日一回(1)――1回~5回 漱石の中期三部作の第1作『彼岸過迄』全118回は、秋声の『黴』全80回のあとを受けて、明治45年1月から4月まで4ヶ月間連載された。執筆も4、5日先行しているだけのほぼ同時進行。以後死ぬまで続いた…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 3

125. 誰でもおかしな文章を書く(3)――川端康成の場合(つづき) 川端康成の代表作とも言える『山の音』の書き出しは次の通りである。 尾形信吾は少し眉を寄せ、少し口をあけて、なにか考えている風だった。他人には、考えていると見えないかもしれぬ。悲し…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 2

124. 誰でもおかしな文章を書く(2)――川端康成の場合 そのノーベル賞を現実に受けてしまった川端康成は、ノーベル賞がその対象にするのと同じような意味合いで(作品に対する賞讃度合いで)、漱石より秋声を買っていたようであるが、川端康成もまたその文…

漱石「最後の挨拶」彼岸過迄篇 1

123. 誰でもおかしな文章を書く(1)――徳田秋声の場合 さて漱石ブログ「最後の挨拶」も、『三四郎』『それから』『門』の3部作を了えて、本日からいよいよ『彼岸過迄』であるが、その前に少しだけ寄り道をお許し願いたい。 論者(筆者のこと。以下同断)は…