明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 28

30.『三四郎』のカレンダー(7)―― 教会の前の分かれ道 それはともかく、ここでようやく前項②③④⑤(7ノ1回~7ノ6回)、第7章の暦の推定が可能になる。 第7章。広田先生を訪ねる。与次郎は前の日から帰っていない。広田先生の御談義。偽善者と露悪家。…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 27

29.『三四郎』のカレンダー(6)―― 母からの手紙 漱石は日にちをはっきり書いているわけではないので、菊人形の日曜日の次の土曜日が運動会であると仮定して、(日にちの齟齬は与次郎のそそっかしさのせいにして)、とりあえずカレンダーの続きはこうなる(…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 26

28.『三四郎』のカレンダー(5)―― 破綻はあるか 第6章の暦は以下の通り。①「僕等が菊細工を見に行く時書いていたのは、是か」「いや、ありや、たった二三日前じゃないか。そう早く活版になって堪るものか。・・・」(『三四郎』6ノ1回) ②「今晩出席す…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 25

27.『三四郎』のカレンダー(4)―― 菊人形への道 続く第4章の暦は一部先の天長節の項と重なるが、① 三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞える。わるくすると肝要な事を書き落とす。甚しい時は他人の耳を損料で借りている様な気がする…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 24

26.『三四郎』のカレンダー(3)―― 小さんと円遊 では明治39年を念頭に置いて、改めて第3章からの三四郎のスケジュールを追ってみる。① 学年は九月十一日に始まった。(『三四郎』3ノ1回冒頭) ② 翌日は正八時に学校へ行った。(3ノ1回) ③ けれども…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 23

25.『三四郎』のカレンダー(2)―― 天長節の呪縛 しかるにその11月の初旬、広田先生の引越騒動が描かれる第4章で、読者は肩透かしを喰わされる。引越の日は三四郎が里見美禰子と正式に知り合う日であり、それは天長節の日だと漱石は何度も書いているから…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 22

24.『三四郎』のカレンダー(1)―― 旅順と大連 前述したように『三四郎』全117回は明治41年8月~9月の2ヶ月間に書かれた。新聞連載は9月から12月までの4ヶ月間。物語の暦もおおむね連載とリンクして、8月末から12月冬休みの直前まで。エピロ…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 21

23.『三四郎』汽車の女(9)―― 三四郎の無罪判決 いずれにせよ三四郎は最初の難事件をなんなくやり過ごした、――ように小説は読める。三四郎は後から何度も顔を赫らめるが、それだけのことである。女に対して気の毒に思う、女や女の家族に対して済まなく思う…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 20

22.『三四郎』汽車の女(8)―― 汽車の女「同衾事件」 三四郎の「同衾事件」については、三四郎を責める向きもあろう。あるいはその反対に、三四郎を単なる被害者として、善悪の問題から超越させる見方もあるかも知れない。漱石は倫理の人であったが、漱石の…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 19

21.『三四郎』汽車の女(7)―― 東海道線と髭の男 桃を食べながら二人の会話、というより髭の男(広田先生)の講義は、だんだん哲学的になっていく。広田先生は桃の食べかすを新聞紙に包んで窓から放り出す。 ここまでの記述で確かなことは次の三つである。①…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 18

20.『三四郎』汽車の女(6)―― 消えた山陽鉄道 ストップウォッチや懐中時計とは対照的な話になるが、三四郎の京都までの旅程は、小説の中ではあっさり省略された。福岡県の田舎を出発した三四郎は、明治40年頃であれば下関から鉄路で東上したはずである。…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 17

19.『三四郎』汽車の女(5)―― 分刻みの恋(つづき) とりあえず(『三四郎』より前の作品では)『坊っちゃん』と『草枕』に、この傍証となる記述が見られる。 今日は、清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。然し毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 16

18.『三四郎』汽車の女(4)―― 分刻みの恋 (前項末尾の宿題について)結論だけ言うと、漱石はいつもこんな書き方をする。several minutes のとき、「一二分」から「五六分」まで幾通りにも書く。ただし「数分」とは絶対に書かない。潔癖症というのだろうか…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 15

17.『三四郎』汽車の女(3)―― 漱石の相対性理論 汽車の女のシーンについて、『三四郎』冒頭をもう1度引用したい。① うとうととして目が覚めると女は何時の間にか、隣りの爺さんと話を始めている。この爺さんは慥かに前の前の駅から乗った田舎者である。発…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 14

16.『三四郎』汽車の女(2)―― 暗夜行路の山陽線(つづき) 〔番外篇3〕 ここで前項でふれた『暗夜行路』の当該部分を引用する。(時任謙作が三角巾で頬被りしているのは中耳炎に罹ったため。) 支度は早かった。隣りの老夫婦も手伝って一時間たらずで総て…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 13

15.『三四郎』汽車の女(1)―― 暗夜行路の山陽線 さて気を取り直して『三四郎』に戻ると、どうしても冒頭の汽車の女について考察しないわけには行かない。① うとうととして目が覚めると女は何時の間にか、隣りの爺さんと話を始めている。この爺さんは慥かに…

漱石最大の誤植 鏡子の『思い出』2

14. 漱石最大の誤植(2)―― 鏡子『思い出』と雛子の死(つづき) 〔番外篇2〕 漱石の五女雛子が夕食中に急死したのが明治44年11月29日。漱石はそのとき書斎で、元朝日にいたこともある中村古峡と面談中だった。 漱石が雛子の骨を拾ったのが12月3…

漱石最大の誤植 鏡子の『思い出』1

13. 漱石最大の誤植(1)―― 鏡子『思い出』と雛子の死 〔番外篇1〕 ここまで論者の書きぶりから、論者は主に漱石本の誤植について論じているのではないかと思われる向きもあるかも知れない。しかし誤植や誤記がいくらあったからといって、それは研究に値す…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 12

12.『三四郎』ドアノブ事件―― 描き残された画布 愚挙・余談ついでに言っておくと、編集(校正)が丁寧になされていないという意味で、『三四郎』には一ヶ所おかしなところがある。三四郎が始めて野々宮よし子に会うシーンで、「此中にいる人が、野々宮君の妹…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 11

11.『三四郎』会話行方不明事件(3)―― 本文を捏造(でつぞう)してみた 美禰子の台詞は二つ続いていた。それがそのまま印刷に付されてしまったのは、この美禰子の二つの台詞は、当初漱石の地の文によって分割されていたためである、と前項でも述べた。ここで…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 10

10.『三四郎』会話行方不明事件(2)―― 美禰子の生意気の起源 美禰子は「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかも知れません。――我慢しなければ、死ぬ許ですもの」としゃべった。 ダーシは入れなくてもいいかも知れないが、後述するように最初の…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 9

9. 『三四郎』会話行方不明事件(1)―― 空中飛行器事件 さて文章が少しおかしいということで、『三四郎』には昔からよく知られるくだりがある。それは『三四郎』第5章の中の、空中飛行器をめぐる野々宮と美禰子の言い争いで、男と女の会話が逆転したように…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 8

8. 『三四郎』幽体離脱の秘技(5)―― 眠狂四郎 前項②(野々宮の知らんぷり)について、もう少し補足すると、その最後の部分、 「野々宮さんは何とも云わなかった。くるりと後ろを向いた。」 という記述によって、このシーンには漱石らしい決着が付けられて…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 7

7. 『三四郎』幽体離脱の秘技(4)―― 美禰子の私語 引用部分本来の面目たる「改行事件」に話を戻すと、漱石が(改行しないで)一つの塊りとして、手早くまとめたかったのは次の2つのシーンである。①野々宮の姿を認めた美禰子は、三四郎の耳元に近寄り何事…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 6

6. 『三四郎』幽体離脱の秘技(3)―― こっちと向こう 前回の話(幽体離脱)で、漱石という人はよくそういう書き方をするよ、という漱石ファンの声が聞こえてきそうである。確かにそれはそうであろう。美禰子は女主人公である。三四郎は主人公(主人物)では…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 5

5. 『三四郎』幽体離脱の秘技(2)―― 三四郎は自分の方を見ていない(つづき) 三四郎は自分の方を見ていない。 何という大胆な叙述の変更だろう。それまで三四郎と行動を共にしていた作者が、なぜか三四郎を脱け出して、羽化する油蝉のように、幽体離脱の…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 4

4. 『三四郎』幽体離脱の秘技(1)―― 三四郎は自分の方を見ていない 『三四郎』全117回の新聞連載は、明治41年9月から12月までの4ヶ月間。執筆はおおむね8月と9月の2ヶ月間。子供も5人出来て働き盛りの41歳、諸事多忙で休む日もあったようだ…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 3

3. 『三四郎』112年目の本文改訂(3)―― 則天去私 ところで前回までの引用本文は、(青色で示した)文章自体は概ね、原稿準拠と称する岩波書店版の漱石全集(初版1994年4月)・定本漱石全集(初版2017年4月)に拠ったものであるが(ただし現代仮名遣いに…

漱石「最後の挨拶」三四郎篇 2

2. 『三四郎』112年目の本文改訂(2)―― 改行してはいけない では漱石の指示に従って、その「正しい」本文をもう一度示すと、「違うんですか」「一人と思って入らしったの」「ええ」と云って、呆やりしている。やがて二人が顔を見合した。そうして一度に…