明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 27

323.『草枕』目次(14)第10章――こっそり迎えたクライマックス


第10章 鏡が池で写生をしていると岩の上に (全4回)

1回 鏡が池で思索にふける
(P118-2/鏡が池へ来て見る。観海寺の裏道を、杉の間から谷へ降りて、向うの山へ登らぬうちに、路は二股に岐れて、おのずから鏡が池の周囲となる。池の縁には熊笹が多い。ある所は、左右から生い重なって、殆んど音を立てずには通れない。)
探偵は掏摸の親分~菫の花は帝王の権威に対峙しているという中学程度の観想~鏡が池の水草は水死美人の黒髪か

2回 那美さんの顔には憐れの情が足りない
(P120-12/二間余りを爪先上がりに登る。頭の上には大きな樹がかぶさって、身体が急に寒くなる。向う岸の暗い所に椿が咲いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向で見ても、軽快な感じはない。)
赫い深山椿は嫣然たる妖女~水死美人には那美さんの顔が一番似合う~那美さんの表情には憐れが足りない

 ・・・矢張御那美さんの顔が一番似合う様だ。然し何だか物足らない。物足らないと迄は気が付くが、どこが物足らないかが、吾ながら不明である。従って自己の想像でいい加減に作り易える訳に行かない。あれに嫉妬を加えたら、どうだろう。嫉妬では不安の感が多過ぎる。憎悪はどうだろう。憎悪は烈げし過ぎる。怒? 怒では全然調和を破る。恨? 恨でも春恨とか云う、詩的のものならば格別、只の恨では余り俗である。色々に考えた末、仕舞に漸くこれだと気が付いた。多くある情緒のうちで、憐れと云う字のあるのを忘れて居た。憐れは神の知らぬ情で、しかも神に尤も近き人間の情である。御那美さんの表情のうちには此憐れの念が少しもあらわれて居らぬ。そこが物足らぬのである。ある咄嗟の衝動で、此情があの女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。然し――何時それが見られるか解らない。あの女の顔に普段充満して居るものは、人を馬鹿にする微笑と、勝とう、勝とうと焦る八の字のみである。あれ丈では、とても物にならない。

3回 源兵衛の語る鏡が池の名の由来
(P123-14/がさりがさりと足音がする。胸裏の図案は三分二で崩れた。見ると、筒袖を着た男が、背へ薪を載せて、熊笹のなかを観海寺の方へわたってくる。隣りの山からおりて来たのだろう。「よい御天気で」と手拭をとって挨拶する。)
再会した馬子の源兵衛は四十男~源兵衛が語る志保田の嬢様の黒い血筋~昔梵論児に懸想した志保田の嬢様が1枚の鏡を懐にして身を投げたことがある

4回 岩の上に立つ那美さんはひらりと身をひねる
(P126-13/「へええ。じゃ、もう身を投げたものがあるんだね」「まことに怪しからん事で御座んす」「何代位前の事かい。それは」「なんでも余っ程昔の事で御座んすそうな。夫から――これはここ限りの話だが、旦那さん」「何だい」「あの志保田の家には、代々気狂が出来ます」「へええ」「全く祟りで御座んす。今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆が囃します」)
去年亡くなった母親も少し変であった~池の向こう側は大岩が突き出している~その上に那美さんが立っていた~驚きの跳躍

「①全く祟りで御座んす。②今の嬢様も、近頃は少し変だ云うて、皆が囃します
「ハハハハ③そんな事はなかろう
「御座んせんかな。④然しあの御袋様が矢張り少し変でな
「⑤うちにいるのかい
「いいえ、⑥去年亡くなりました
「ふん」と余は煙草の吸殻から細い烟の立つのを見て、口を閉じた。源兵衛は薪を背にして去る。

 源兵衛による那美さんの健康状態に関する最後の論評(②)。そして源兵衛はさらに那美さんの母親についても余計なことを喋っている(④)。女の系譜はふつう遺伝とか血脈と無関係のはずだが、漱石は『趣味の遺伝』でも半ば強引に女を仲間に引き込んでいる。これを①のように祟りと言われれば、那美さんも立場がないだろう。
 画工もそれを③のようにうわべでは否定するが、実際には煽っているようにも見える。⑤の「うちにいるのかい」と受けるのは、先に第4章での女中との会話、
「ありゃ何だい」
「若い奥様でござんす」
「あのほかにまだ年寄の奥様がいるのかい」
「去年御亡くなりました」
 を失念していたと思えば不自然でもないが、画工も(漱石も)返答に窮したというのが実相ではないか。そのためというわけではないだろうが、

「去年御亡くなりました(女中――第4章)
「⑥去年亡くなりました」(源兵衛――第10章)

 女中の言葉遣いが少し変であったことに、ここへきて改めて気付かされる。女中は山出しではない。前述したが(了念と同じく)したたかなところがあるように書かれる小女郎である。もしかしたら東京か京都にも帯同していたかも知れない。それを検証させるかのような⑥の源さんの言葉と、これらのやりとりを締め括った⑦のやや作為の目立つ画工の仕草。

⑦「ふん」と余は煙草の吸殻から細い烟の立つのを見て、口を閉じた。

 この何でもないように見える動作は、漱石にあってはどちらかといえば珍しい部類に属する描写である。漱石はふつうこんなありきたりなことは書かない。何か心にやましいことがあると人は余計な仕草をする。女中の「御亡くなりました」というセリフも、犯人が現場につい痕跡を残すように、小女郎によって故意に齎されたメッセージかも知れない。やはり那美さんの一家は母親からしておかしかったのか。東京、京都の漫遊はそれがためだったのか。

 緑りの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を彩どる中に、楚然として織り出されたる女の顔は、――花下に余を驚かし、まぼろしに余を驚ろかし、振袖に余を驚かし、風呂場に余を驚かしたる女の顔である。
 余が視線は、蒼白き女の顔の真中にぐさと釘付けにされたぎり動かない。女もしなやかなる体躯を伸せる丈伸して、高い巌の上に一指も動かさずに立っている。此一刹那!
 余は覚えず飛び上った。女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、既に向うへ飛び下りた。夕日は樹梢を掠めて、幽かに松の幹を染むる。熊笹は愈青い。
 又驚かされた。(本章末尾)

 9回目にあたる那美さんの登場は、(7回目の風呂場のシーンと竝ぶ)篇中最もショッキングなものとなった。吾妻橋の欄干から(川の中でなく橋の床板の上へ)飛び降りた寒月のように、ただ岩の上から池の反対側へジャンプしただけであるが、常に死と隣り合うように描かれる那美さんであれば、画工でなくとも驚ろかざるを得ない。那美さんが入水すれば(本章末尾へ至る文がなければ)、この小説は終わってしまう。

 しかしその前に本項で引用した(第10章、論者の謂う第2回の)一文で、小説としての『草枕』は実質的にも終わったと見ていいだろう。
 画工の目的はミレーのオフェリアに匹敵する水死美人像である。画工はそのモデルを那美さんに求めたが、何か足りない。それが「憐れみの表情」であると気付き、那美さんの表情にそれが出れば自分の画は成就すると言い切ったのである。すなわち作者の主張はここで結論に達しており、『草枕』の物語で作者の言いたいことは第10章で尽きたと言っていい。
 『趣味の遺伝』は作者が自分の書きたいことを書き終わった瞬間、小説は閉じられた。幕は開いたままで小説だけ終わってしまったかのようであった。漱石は『坊っちゃん』を注意深く書き了えたあと、『草枕』で『趣味の遺伝』の反省点を踏まえて、新しい小説の構成を採用した。10章で話を語り終えて、そのあとどのように小説を結ぶかということに注力した。結びの一句へ無理なく繫げることにのみ主眼を置いて、残りの3章は篆刻された。

 この行き方は新聞小説にある手応えを感じた3作目、意図的な書き方をした『三四郎』にそのまま引き継がれた。『三四郎』全13章のうちの第10章で、突然美禰子の婚約者が出現する。三四郎の物語は(『草枕』同様)ここでいったん幕を閉じた。あとの3章(第11章~第13章)はそれにどうケリをつけるかである。美禰子はもう以前の美禰子でなくなった。三四郎はどうか。漱石三四郎をわざわざインフルエンザに罹らせるが、生気を失ったでく人形の三四郎は、病気になろうがなるまいが、漱石の中ではもう出番を終えた(一丁上りの)役者であった。
 次の『それから』では、美禰子に比するべく三千代の(魂の)出処進退のみが踏襲された。美禰子は全10回の登場シーンのうち、8回目で婚約(裏切り――野々宮と三四郎ばかりでなく、自身に対する裏切りでもある)という頂きを究め、9回目と10回目は病み上がりのような、蝉の抜け殻のような、ある意味で三四郎とフェーズを合わせたような描き方がなされる。三千代も全10回の登場シーンの第8回が代助の「告白」であり、あとの2回、終末に向かって転がり出す小説の中で、すでに死を覚悟する三千代は、奇妙な気の強さで代助を鼓舞し、その反動たる悩乱により、これまた代助との魂魄の感応を見せる。

 草枕』目次。引用は岩波書店『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)を新仮名遣いに改めたもの。回数分けは論者の恣意だが、その箇所の頁行番号ならびに本文を、ガイドとして少しく附す。(各回共通)

漱石「最後の挨拶」草枕篇 26

322.『草枕』目次(13)第9章(つづき)――甥っ子1人登場させたばかりに


第9章 那美さんに個人レッスン (全3回)(承前)

2回 メレディスの小説を日本語に直しながら読む
(P110-3/これも一興だろうと思ったから、余は女の乞に応じて、例の書物をぽつりぽつりと日本語で読み出した。もし世界に非人情な読み方があるとすれば正にこれである。聴く女も固より非人情で聴いている。)
普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ~非人情な所がないから些とも趣がない~地震!~非人情ですよ

 轟と音がして山の樹が悉く鳴る。思わず顔を見合わす途端に、机の上の一輪挿に活けた、椿がふらふらと揺れる。「地震!」と小声で叫んだ女は、膝を崩して余の机に靠りかかる。御互の身躯がすれすれに動く。キキーと鋭どい羽摶をして一羽の雉子が藪の中から飛び出す。
「雉子が」と余は窓の外を見て云う。
「どこに」と女は崩した、からだを擦寄せる。余の顔と女の顔が触れぬ許りに近付く。細い鼻の穴から出る女の呼吸が余の髭にさわった。
「非人情ですよ」と女は忽ち坐住居を正しながら屹と云う
「無論」と言下に余は答えた。

 読者はたちどころに『三四郎』のあの有名なシーンを思い出す。

「御捕まりなさい」
「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出している間は、調子を取る丈で渡らない。三四郎は手を引込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、身体の重みを託して、左の足でひらりと此方側へ渡った。あまりに下駄を汚すまいと念を入れすぎた為め、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。其勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた
「迷える子(ストレイシープ)」と美禰子が口の内で云った。三四郎は其呼吸(いき)を感ずる事が出来た。(『三四郎』5ノ10回)

 これで見ると、(元)人妻の那美さんの方が、当然にも男に対して厳格のようである。漱石の中で男が女の息を感じるまでに接近したと書かれるのは、この2例だけである。あと『それから』の代助と三千代は、代助の告白シーンで(14ノ10回)、明らかに互いの息を感じる距離にいると思われるが、漱石はもうそういう書き方はしなくなった。幻の最終作品で、漱石は最初で最後の求婚シーンを書く(はずであった)。当然男女の接近度合いはこの3例に匹敵するだろう。そのときの書き方は、『草枕』『三四郎』方式が蘇えるのか、それとも『それから』の描きぶりが踏襲されるのか。作品の流れからは後者の可能性が高いか。尤もこれを恋愛関係の有無に特化した話と捉えると、前2者は男女の恋愛の成立していないところでの作者の「サーヴィス」に過ぎないという、興醒めな結論も導かれよう。論者としては認めづらい意見であるが。

3回 画工と那美さん一触即発
(P113-14/岩の凹みに湛えた春の水が、驚ろいて、のたりのたりと鈍く揺いている。地盤の響きに、満泓の波が底から動くのだから、表面が不規則に曲線を描くのみで、砕けた部分は何所にもない。円満に動くと云う語があるとすれば、こんな場合に用いられるのだろう。)
振袖披露は画工のための親切心~「見たいと仰ゃったからわざわざ見せて上げたんじゃありませんか」「何か御褒美を頂戴」~久一は兄の家に居る~私が身を投げてやすやすと往生して浮いて居る所を奇麗な画にかいて下さい

 地震によるあわやのニアミスは「非人情」で事なきを得た。しかし結局ここまでの那美さんの媚態は、すべて画工のリクエストに沿ってなされたものであった。それは茶屋の婆さんから伝えられたものであるらしい。峠の茶店の婆は昔の那美さんの婆やであった。してみると剥き出しで初登場したかに見える那美さんにも、婆やという庇護者が付属していたことになる(※)。画工のいないところで起きているので、小説には直接書かれないが、画工の言動は茶店の婆によって逐一那美さんに報告されていたのである。那美さんはその情報によって、安心して旅の画工を挑発しているのであった。あるいはそれが言い過ぎであれば、画工に自分の姿態を鑑賞させているのであった。

 しかし話は風呂場のシーン(の検証)まで来て頓挫する。さすがに全裸の湯壺は洒落や詩にならない。話は大徹和尚の掲額の字から久一に逸れる。那美さんは久一を子供扱いする。久一は第8章で「二十四五」と書かれるから、先に5年で婚家から出帰った那美さんを二十五六としたのもやむを得まい。

「小供って、あなたと同じ位じゃありませんか」
「ホホホホそうですか。あれは私しの従弟ですが、今度戦地へ行くので、暇乞に来たのです
「ここに留って、いるんですか」
「いいえ、兄の家に居ります
「じゃ、わざわざ御茶を飲みに来た訳ですね」
「御茶より御白湯の方が好なんですよ。父がよせばいいのに、呼ぶものですから。麻痺(しびれ)が切れて困ったでしょう。私が居れば中途から帰してやったんですが……」

 那美さんには兄がいる。仲の悪い本家の兄である(第5章)。久一は本家といっても従兄弟の家に同居していることになる。那美さんの母親は去年亡くなったというが(第4章)、久一の両親はもっと早くに亡くなっているのだろうか。久一は志願兵になったことがあるらしい(第8章)。元から身寄りのない男なのだろうか。孤独で画が好き、学問をしたいが田舎にいてはそれもままならぬ。そして今次の日露の開戦で海峡を渡ることに。(無鉄砲な)覚悟はすでに出来ている。
 久一は漱石にとって妙に気になる人物であった。甥とも従兄弟ともつかない登場の仕方は、『明暗』で藤井の家の真事に対する津田の態度(漱石の誤記)を彷彿させるし、久一は旅順で戦死しなければ、ちょっと飛躍するようであるが、後に志保田の家で骸となって横たわった那美さんの傍らで、ちょうど『行人』の三沢が、出帰りの娘さんに対して抱いていたような感情を、つい迸らせるのではないか。

「何故そんなら始めから僕に遣ろうと云わないんだ。資産や社会的の地位ばかり目当にして……」
「一体君は貰いたいと申し込んだ事でもあるのか」と自分は途中で遮った。

「ないさ」と彼は答えた。(『行人/帰ってから』31回)

 三沢の物語は不可解なことのみ多いが、久一の立場を忖度することによって、少しは理解の途が闢けるかも知れない。

(※注) 未婚の女性は親の所有にかかるとは、『明暗』に書かれる有名なフレーズであるが、それとは別に、漱石の女性は必ず庇護者と共に登場するというのは、論者が前著で述べたところ。その例は『猫』の三毛子・金田富子以来枚挙に暇がないが、典型例は『坊っちゃん』のマドンナ、『三四郎』の美禰子、『行人』三沢の「あの女」がビッグ3であろうか。なかでも美禰子の場合は、(そのときだけなぜか郷里から出て来たと称する母親が一緒にいたよし子とともに、)珍しく漱石の作為が目立つ設定になっている。

 坂の下に石橋がある。渡らなければ真直に理科大学の方へ出る。渡れば水際を伝って此方へ来る。二人は石橋を渡った。
 団扇はもう翳して居ない。左りの手に白い小さな花を持って、それを嗅ぎながら来る。嗅ぎながら、鼻の下に宛てがった花を見ながら、歩くので、眼は伏せている。それで三四郎から一間許の所へ来てひょいと留った。
「是は何でしょう」と云って、仰向いた。頭の上には大きな椎の木が、日の目の洩らない程厚い葉を茂らして、丸い形に、水際迄張り出していた。
是は椎」と看護婦が云った。丸で子供に物を教える様であった
「そう。実は生っていないの」と云いながら、仰向いた顔を元へ戻す、其拍子に三四郎を一目見た。三四郎は慥かに女の黒眼の動く刹那を意識した。其時色彩の感じは悉く消えて、何とも云えぬ或物に出逢った。其或物は汽車の女に「あなたは度胸のない方ですね」と云われた時の感じと何所か似通っている。三四郎は恐ろしくなった。(『三四郎』2ノ4回)

 美禰子はこのときだけ年長者の庇護の下にいる。その他の凡ての『三四郎』のシーンにおいて、美禰子は誰の庇護も受けていない。剥き身の孤独な女である。漱石は明らかにこのときだけ美禰子の書き方を変えている。
 理由は分かりにくいが、「誘惑」という印象を極力読者に与えたくない、ということであろうか。もちろん誘惑する(かも知れない)のは美禰子であり、漱石はちゃんと「三四郎は恐ろしくなった」とまで書いている。しかしその危険性が読者にまで伝わらないよう、美禰子を極力「子供」扱いするというのが、その目指すところである。
 ただしこれにはもう2通りの光の当て方があって、美禰子独りでは誘惑し切れないだろうから、保護者が(女衒みたいに)付き添っているという(意地の悪い)見方と、誘惑しかねない主体を(結局は男の方の)三四郎と見て、単に男から身を守るために保護者を配置しているという見方がある。いずれにせよ漱石の主目的は倫理性の担保であろうが、ヒロインの登場ひとつ取っても、いろんなことが気になって、漱石は仕掛けを施さざるを得ないわけである。
 ちなみにこのくだりの年上の看護婦を、「年下の見習看護婦」に置き換えて、一部文章をリライトして読み直してみると、(当然「是は椎」というセリフは、使われたとしてもそれは美禰子のセリフとなるが、)『三四郎』はこの章で終ってしまうことが分かる。少なくとも美禰子は(汽車の女のように)2度と物語には登場すまい。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 25

321.『草枕』目次(12)第8章・第9章――早くも則天去私の考えが


 草枕』目次。引用は岩波書店『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)を新仮名遣いに改めたもの。回数分けは論者の恣意だが、その箇所の頁行番号ならびに本文を、ガイドとして少しく附す。(各回共通)

第8章 隠居老人の茶席に招かれる (全4回)

1回 客は観海寺の大徹和尚と甥の久一
(P93-2/御茶の御馳走になる。相客に僧一人、観海寺の和尚で名は大徹と云うそうだ。俗一人、二十四五の若い男である。 老人の部屋は、余が室の廊下を右へ突き当って、左へ折れた行き留りにある。大さは六畳もあろう。大きな紫檀の机を真中に据えてあるから、思ったより狭苦しい。)
老人の部屋には支那の花毯が~和尚は虎の皮の敷物~久一は鏡が池で写生しているところを和尚に見つかったことがある

2回 老人の娘那美さんの噂話も出る
(P95-15/「杢兵衛はどうも偽物が多くて、――その糸底を見て御覧なさい。銘があるから」と云う。取り上げて、障子の方へ向けて見る。障子には植木鉢の葉蘭の影が暖かそうに写って居る。首を曲げて、覗き込むと、杢の字が小さく見える。)
茶碗は杢兵衛~老人は画工が青磁の皿と羊羹を賞めたことを知っていた~サファイアルビーの菓子皿~那美さんは健脚

3回 端渓の硯と物徂徠の大幅
(P98-10/老人が紫檀の書架から、恭しく取り下した紋緞子の古い袋は、何だか重そうなものである。「和尚さん、あなたには、御目に懸けた事があったかな」「なんじゃ、一体」「硯よ」「へえ、どんな硯かい」「山陽の愛蔵したと云う……」「いいえ、そりゃまだ見ん」)
和尚も漱石も山陽が嫌い~徂徠の方がまし~九眼の端渓~松の皮の蓋を取ると

4回 久一は召集されることになった
(P102-5/もし此硯に付て人の眼を峙つべき特異の点があるとすれば、其表面にあらわれたる匠人の刻である。真中に袂時計程な丸い肉が、縁とすれすれの高さに彫り残されて、是を蜘蛛の背に象どる。)
端渓の素晴らしさ~支那へ行けば買えるのか~日露戦争と久一の運命

 那美さんはこの章はお休みである。刺激的なシーンの後であるから、漱石といえども常識的な判断が働いたのであろうか。その代わり次の第9章では画工と那美さんだけの、特別な章になっている。といって第9章が『草枕』のハイライトでないこともまた、『草枕』の好さであろう。
 隠居老人は那美さんの父親である。名前はない。久一は老人のことを「御伯父さん(おじさん)」と呼ぶ。これは借音して書いていると思われるので、必ず宿の隠居老人の方が長男(兄)であるとは限らないが、まあ「村のものもち(茶店の婆)」那美さんの家の方が本家であろう。
 ところで第5章で髪結床の親爺の発言として、那美さんには本家の兄というものがあり、仲が悪いという。本家は丘の上の眺望のいいところにある。那古井の宿の方は隠居老人と那美さんの住む別荘という以外に、何か複雑な事情があるのだろうか。

第9章 那美さんに個人レッスン (全3回)

1回 非人情な小説の読み方
(P106-3/「御勉強ですか」と女が云う。部屋に帰った余は、三脚几に縛りつけた、書物の一冊を抽いて読んで居た。「御這入りなさい。ちっとも構いません」 女は遠慮する景色もなく、つかつかと這入る。くすんだ半襟の中から、恰好のいい頸の色が、あざやかに、抽き出て居る。)
部屋で那美さんと語る~画工は洋書を読んでいた~何ならあなたに惚れこんでもいい~惚れても夫婦にならないのが非人情な惚れ方

「御勉強ですか」と女が云う。部屋に帰った余は、三脚几に縛り付けた、書物の一冊を抽いて読んで居た。
「御這入りなさい。ちっとも構いません」
 女は遠慮する景色もなく、つかつかと這入る。くすんだ半襟の中から、恰好のいい頸の色が、あざやかに、抽き出て居る。女が余の前に坐った時、此頸と此半襟の対照が第一番に眼についた。
「西洋の本ですか、六ずかしい事が書いてあるでしょうね」

 第5章(青磁の羊羹)でやっと普通らしく振る舞い始めたかに見えた那美さんであるが、その後また怪しげな行動がぶり返し、第7章の風呂場の事件でその前半の頂点に達する。ここで第9章、8回目の登場を迎え、那美さんは再び落ち着いた女のようになった。躁鬱気質というのか循環気質というのか、何と呼ぼうが本人にも画工にも(作者にも)関係したことではないが、これまでずっと那美さんを見てきた画工は、かなり混乱しているようにも見え、また至って平気なようにも見える。つまり分裂しているとも言えるが、余計なことは考えないのが「非人情」である。ここまで来てだんだん分かってくるが、「非人情」というのは結局後の「則天去私」のことではないか。
 ある朝(晩でも)娘が突然盲いたとして、大いに驚いて右往左往するのが「人情」である。普通の人は原因(らしきもの)を1つでも2つでも見つけようとする。無関心、赤の他人の冷たい態度で驚ろかないのは「不人情」である。「非人情」は違う。非人情は驚ろくという(感情が内から外へ向かう)行為自体を封印する。私の感情を封印する。不人情ではなくて、喜怒哀楽の外にいるから、驚ろきも悲しみもしない。驚ろきや悲しみを突き破ったところにいるとも言える。それが「非人情」である。してみるとこれは、晩年の漱石の謂う「則天去私」ではないか。この喩えで言うと、娘の眼病に取り乱さないのは冷酷・身勝手とも言えるし、自分の娘と世間の娘を区別しない公平・摯実な人とも言える。

 画工と那美さんによる会話で埋められる第9章であるが、この章が登場人物のセリフ①で始まっていることで、『草枕』の構成について思い当たることがある。それは第5章の冒頭の、②で始まる一文である。

「失礼ですが旦那は、矢張(やっぱ)り東京ですか」
「東京と見えるかい」
「見えるかいって、一目見りゃあ、――第一言葉でわかりまさあ」(第5章冒頭)

 ここからが『草枕』の第2部であろう。そして第9章①が第3部の始まり。ともにセリフで始まっている。『草枕』は3部構成ということになるが、第1章(第1部)の始まり「山路を登りながら」は周知の通りセリフではない。(地の文をすべて画工の独白と見れば、セリフでないとも言い切れないが。)その代わり第2章が一応セリフ③で始まっている。他の10個の章は人物のセリフで始まっていない。

「おい」と声を掛けたが返事がない。(第2章冒頭)

 人物のセリフで章や連載回を始める、あるいは終えるというやり方は、もちろん効果的でよく使われる手法であるが、漱石作品でも晩年になって目立つようになった。『道草』、とくに『明暗』の頃になって、極め台詞ではないが、連載回が印象的な台詞で締め括られることが多くなった。『道草』以降、章分けをしなくなったことも関係しているのかも知れない。
 それで『草枕』全13章を、全3部に分かつと仮定して、那美さんの登場を主眼に一覧表にしてみると、

◇第1部
第1章 山路を登りながら、こう考えた
第2章 「おい」と声を掛けたが返事がない。
第3章 1回目(歌う女)2回目(侵入者)3回目(待伏せ)
第4章 4回目楊柳観音5回目青磁の羊羹)

◇第2部
第5章 
「失礼ですが旦那は、矢っ張り東京ですか」
第6章 6回目(振袖披露)
第7章 7回目(浴場事件)
第8章

◇第3部
第9章 
「御勉強ですか」と女が云う。8回目(個人教授)
第10章 9回目(鏡が池事件)
第11章
第12章 10回目
(白鞘の短刀)11回目(野武士)12回目(久一への餞別)
第13章 13回目(成就)


 那美さんの登場シーンを回次別に色分けしてみた。
・黒字 那美さんはただ登場して、画工にその姿を見せているだけ。画工と言葉を交わすことはないが、画工はそれなりにびっくりさせられている。
赤字 同上。意表を衝く登場の仕方は変わらないが、その中でもとくにエキセントリックなもの。画工だけでなく読者もびっくりさせるようなシーンになっている。各部に均等に1回ずつ計3回、眼光、裸体、投身とそれぞれユニークで突飛なやり方で画工を降参させる。
緑色 那美さんが比較的まともな女として普通に描かれている登場回である。画工との会話も含まれるが、会話のボリュームもまたバラエティに富む。第2部では那美さんの声はまったく聞かれない。第3部は、何とか持ちこたえようとする那美さんが、最後でやっと安定したらしいという、いわゆる統合の章と見るべきか。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 24

320.『草枕』目次(11)第7章――神代のエロティシズム


第7章 浴場の怪事件 (全3回)

1回 湯壺の中の哲学的考察
(P84-2/寒い。手拭を下げて、湯壺へ下る。 三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳程な風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、下は御影で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋ほどな湯槽を据える。)
湯の中で思うのはまず白楽天~次に風流な土左衛門~そして再びミレーのオフェリア

 水の中にいて周囲に同化する。魂まで流せればこんなありがたいことはない。水死美人は幸いかな。土左衛門は風流である。

 余が平生から苦にして居た、ミレーのオフェリアも、こう観察すると大分美しくなる。何であんな不愉快な所を択んだものかと今迄不審に思って居たが、あれは矢張り画になるのだ。水に浮んだ儘、或は水に沈んだ儘、或は沈んだり浮んだりした儘、只其儘の姿で苦なしに流れる有様は美的に相違ない。夫で両岸に色々な草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、屹度画になるに相違ない。然し流れて行く人の表情が、丸で平和では殆ど神話か比喩になってしまう。痙攣的な苦悶は固より、全幅の精神をうち壊わすが、全然色気のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリアは成功かも知れないが、彼の精神は余と同じ所に存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。然し思う様な顔はそう容易く心に浮んで来そうもない

 画工は水死美人にこだわっているようにも見える。画工が追求するのは果たしてこの表情なのだろうか。

2回 三味の音を聴いていると女が裸で入って来た
(P86-12/湯のなかに浮いた儘、今度は土左衛門の賛を作って見る。雨が降ったら濡れるだろ。霜が下りたら冷たかろ。土のしたでは暗かろう。浮かば波の上、沈まば波の底、春の水なら苦はなかろ。と口のうちで小声に誦しつつ漫然と浮いて居ると、何所かで弾く三味線の音が聞える。)
どこかで三味の音が~万屋の御倉さんの想い出~突然風呂の戸が開いて那美さんが裸で入って来た

 どこからか三味線の音が聞こえる。那美さんが弾いているとしか思えない。

 小供の時分、門前に万屋と云う酒屋があって、そこに御倉さんと云う娘が居た。此御倉さんが、静かな春の昼過ぎになると、必ず長唄の御浚いをする。御浚が始まると、余は庭へ出る。茶畠の十坪余りを前に控えて、三本の松が、客間の東側に並んで居る。此松は周り一尺もある大きな樹で、面白い事に、三本寄って、始めて趣のある恰好を形つくっていた。小供心に此松を見ると好い心持になる。松の下に黒くさびた鉄燈籠が名の知れぬ赤石の上に、いつ見ても、わからず屋の頑固爺の様にかたく坐って居る。余は此燈籠を見詰めるのが大好きであった。燈籠の前後には、苔深き地を抽いて、名も知らぬ春の草が、浮世の風を知らぬ顔に、独り匂うて独り楽しんで居る。余は此草のなかに、纔かに膝を容るるの席を見出して、じっと、しゃがむのが此時分の癖であった。此三本の松の下に、此燈籠を睨めて、此草の香を臭いで、そうして御倉さんの長唄を遠くから聞くのが、当時の日課であった。
 ・・・
 三本の松は未だに好い恰好で残って居るかしらん。鉄燈籠はもう壊れたに相違ない。春の草は、昔し、しゃがんだ人を覚えて居るだろうか。その時ですら、口もきかずに過ぎたものを、今に見知ろう筈がない。御倉さんの旅の衣は鈴懸のと云う、日毎の声もよも聞き覚えがあるとは云うまい。

 これと同じ話が8年後『硝子戸の中』に書かれる。

 それでも内蔵造の家が狭い町内に三四軒はあったろう。坂を上ると、右側に見える近江屋伝兵衛という薬種屋などは其一つであった。それから坂を下り切った所に、間口の広い小倉屋という酒屋もあった。尤も此方は倉造りではなかったけれども、堀部安兵衛が高田の馬場で敵を打つ時に、此処へ立ち寄って、枡酒を飲んで行ったという履歴のある家柄であった。私はその話を小供の時分から覚えていたが、ついぞ其所に仕舞ってあるという噂の安兵衛が口を着けた枡を見たことがなかった。其代り娘の御北さんの長唄は何度となく聞いた。私は小供だから上手だか下手だか丸で解らなかったけれども、私の宅の玄関から表へ出る敷石の上に立って、通りへでも行こうとすると、御北さんの声が其所から能く聞こえるのである。春の日の午過などに、私はよく恍惚とした魂を、麗かな光に包みながら、御北さんの御浚いを聴くでもなく聴かぬでもなく、ぼんやり私の家の土蔵の白壁に身を靠たせて、佇立んでいた事がある。其御蔭で私はとうとう「旅の衣は篠懸の」などという文句を何時の間にか覚えてしまった。(『硝子戸の中』19)

 固有名詞を隠して両者を読み較べて、どちらがどちらか分かる人は少ないだろう。『草枕』は小説だから、三本松・鉄燈籠・主人公と一緒に長唄を聴いたかも知れない春の草などの小道具が目立つが、違いはそれだけである。
 『草枕』は明治39年、漱石が本格的に小説を書き始めてから2年目の、『坊っちゃん』に次ぐまとまった作物である。『硝子戸の中』は大正4年、漱石寂滅の前年に書かれた回想記。
 漱石が10年小説を書き続けて、その力量(筆力)が少しも変わらなかったことに驚かされる。漱石はスタートからいきなり最高点に到達し、その水準を維持しつつ、少しも劣化することなしに最後まで突き進んだことになる。これは何人も真似の出来ない業であろう。

 そして画工が昔を思い出すのは2度目である。初回の房州旅行云々のときは、その深更、那美さんの登場シーンを見た。そして今回、風呂の中で三味線の音を聞いて安宅の松が甦ったあと、最大の事件が起こる。

3回 那美さん湯に入る
(P89-12/注意をしたものか、せぬものかと、浮きながら考える間に、女の影は遺憾なく、余が前に、早くもあらわれた。漲ぎり渡る湯烟りの、やわらかな光線を一分子毎に含んで、薄紅の暖かに見える奥に、漾わす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈を、すらりと伸した女の姿を見た時は、礼儀の、作法の、風紀のと云う感じは悉く、わが脳裏を去って、只ひたすらに、うつくしい画題を見出し得たとのみ思った。)
声を掛けようか迷う~女の裸体は画工には美しい画題~しかし西洋画の裸婦モデルとは一線を隔す~那美さんの裸体は原始の美を発揮している

 男の入っている風呂場に女が侵入して来るというシチュエーションは、後に『三四郎』の汽車の女、『明暗』の浜の夫人によって繰り返された。似たような設定に、女が男の喰い掛けたものを横から奪って食うという、『行人』の女景清のエピソードがある。『それから』の三千代が鈴蘭の鉢の水を飲んでしまう行為も、畢竟意味するところは同じであろう。同衾してしまう(『三四郎』汽車の女、『行人』お直)というのも、それに近い。要するに女の方が積極的である、あるいは女の意思がはっきりしているということで、これは『彼岸過迄』の千代子、『明暗』お延に通ずる話でもある。
 那美さんはすべての漱石の女の先駆者ということになる。例外は『門』の御米と『心』の御嬢さんであろうか。しかし『心』では、漱石は他の作品のようには女を描いていない。その代わり男の方が女の何倍も活躍する。(活躍どころか2人ともとんでもない方向へ走ってしまうのであるが。)
 『門』の御米は唯一、漱石若い女特有の乱暴さがない。もう主婦になっているからか。本ブログ心篇(21)でも述べたが、これは『門』の御米だけが男からの虐待を受けていないヒロインであることに繋がるのだろう。慥かに御米は、小説の中では例外的に宗助に大事にされる。――それは結構なことである。しかし御米はただ幸運にも夫に大事にされているのではない。その前に死ぬるほどの苦しみを味わって、もうこれ以上の虐待を受ける必要がないから受けていないに過ぎない。してみると御米もまた那美さんの血を引いていないと、誰が言えようか。

 輪廓は次第に白く浮きあがる。今一歩を踏み出せば、折角の嫦娥が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に、緑の髪は、波を切る霊亀の尾のごとくに風を起して、莽と靡いた。渦捲く烟りを劈いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向こうへ遠退く。余はがぶりと湯を呑んだ儘槽の中に突立つ。・・・

 しかし読者の心配を余所に、漱石のどんな女とも似つかない、那美さん独自の姿が画工の眼に焼き付く。画工は困惑を隠さない。自由な女と困惑する男。那美さんの姿はユニークであるが、那美さんと画工の関係は、以後変わらぬ漱石の小説のテーマとなった。

 草枕』目次。引用は岩波書店『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)を新仮名遣いに改めたもの。回数分けは論者の恣意だが、その箇所の頁行番号ならびに本文を、ガイドとして少しく附す。(各回共通)

漱石「最後の挨拶」草枕篇 23

319.『草枕』目次(10)第6章(つづき)――分刻みの恋(Reprise)


第6章 座敷に独り居て神境に入る (全4回)(承前)

4回 振袖披露
(P80-11/余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、既に引き開けた襖の影に半分かくれかけて居た。しかも其姿は余が見ぬ前から、動いて居たものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。)
那美さんが振袖を着て向こう2階の椽側を歩いている~表情もなく何度も往ったり来たり

 余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、既に引き開けた襖の影に半分かくれかけて居た。しかも其姿は余が見ぬ前から、動いて居たものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。

 一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。振袖姿のすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側を寂然として歩行て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。

 暮れんとする春の色の、嬋媛として、しばらくは冥邈の戸口をまぼろしに彩どる中に、眼も醒むる程の帯地は金襴か。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ蒼然たる夕べのなかにつつまれて、幽闃のあなた、遼遠のかしこへ一分毎に消えて去る。燦めき渡る春の星の、暁近くに、紫深き空の底に陥いる趣である。

 那美さん6回目の登場。視覚的には篇中一番の「美しさ」かも知れない。
 しかしここでは引用文の「一分」( one minute )という書き方の方に注目したい。
 懐中時計(金時計)が好きだった漱石はよくこんな書き方をする。
 すでに那美さんが初登場する夜(1回目)と、翌朝の初対面のシーン(3回目)は次のように書かれていた。

 借着の浴衣一枚で、障子へつらまった儘、しばらく茫然として居たが、やがて我に帰ると、山里の春は中々寒いものと悟った。ともかくもと抜け出でた布団の穴に、再び帰参して考え出した。括り枕のしたから、袂時計を出して見ると、一時十分過ぎである。再び枕の下へ押し込んで考え出した。よもや化物ではあるまい。化物でなければ人間で、人間とすれば女だ。あるいは此家の御嬢さんかも知れない。然し出帰りの御嬢さんとしては夜なかに山つづきの庭へ出るのがちと不穏当だ。・・・(『草枕』第3章――論者の謂う2回)

 浴衣の儘、風呂場へ下りて、五分ばかり偶然と湯壺のなかで顔を浮かして居た。洗う気にも、出る気にもならない。第一昨夕はどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜を界にこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。
 身体を拭くさえ退儀だから、いい加減にして、濡れた儘上って、風呂場の戸を内から開けると、又驚かされた。
「御早う。昨夕はよく寝られましたか」(『草枕』第3章――論者の謂う4回)

 時刻、あるいはその経過の様子が几帳面に指定されている。読者は嫌でも『坊っちゃん』でマドンナの初登場シーンを思い出す。

 今日は、清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。然し毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持がわるい。汽車にでも乗って出懸様と、例の赤手拭をぶら下げて停車場迄来ると二三分前に発車した許りで、少々待たなければならぬ。ベンチへ腰を懸けて、敷島を吹かして居ると、偶然にもうらなり君がやって来た。・・・

 停車場の時計を見るともう五分で発車だ。早く汽車がくればいいがなと、話し相手が居なくなったので待ち遠しく思っていると、又一人あわてて場内へ馳け込んで来たものがある。見れば赤シャツだ。・・・赤シャツは馳け込んだなり、何かきょろきょろしていたが、切符売下所の前に話している三人へ慇懃に御辞儀をして、何か二こと、三こと、云ったと思ったら、急にこっちへ向いて、例の如く猫足にあるいて来て、や君も湯ですか、僕は乗り後れやしないかと思って心配して急いで来たら、まだ三四分ある。あの時計は慥かしらんと、自分の金側を出して、二分程ちがってると云いながら、おれの傍へ腰を卸した。女の方はちっとも見返らないで杖の上に顋をのせて、正面ばかり眺めて居る。年寄の婦人は時々赤シャツを見るが、若い方は横を向いた儘である。いよいよマドンナに違いない。(以上『坊っちゃん』7章)

 これは漱石の癖であろうか。漱石はのべつにこんな書き方をしているわけではない。女が登場する頃になると、漱石は決まって懐中から時計を取り出すかのようである。ちなみに『草枕』ではこのあと時を刻む記述はなくなっている。那美さんの登場が済んで、タイムキーパーの役目も終わったというのか。他の作品はどうなっているのだろう。

 本ブログ三四郎篇「汽車の女――分刻みの恋」で述べたことと重なるが、もう一度『三四郎』から該当箇所を引いてみる。すべてがわざとしたように、女の登場に合わせてストップウォッチが押される。もちろん例外はある。女のいない場面でこのような(時計を持ち出す)記述がなされるケースは、なくはない。なくはないが、不思議なくらいの片寄り方である。

①唯顔立から云うと、此女の方が余程上等である。口に締りがある。眼が判明している。額が御光さんの様にだだっ広くない。何となく好い心持に出来上っている。それで三四郎五分に一度位は眼を上げて女の方を見ていた。時々は女と自分の眼が行き中る事もあった。爺さんが女の隣りへ腰を掛けた時などは、尤も注意して、出来る丈長い間、女の様子を見ていた。(『三四郎』1ノ1回)

②車が動き出して二分も立ったろうと思う頃、例の女はすうと立って三四郎の横を通り越して車室の外へ出て行った。此時女の帯の色が始めて三四郎の眼に這入った。三四郎は鮎の煮浸の頭を啣えた儘女の後姿を見送っていた。便所に行ったんだなと思いながら頻りに食っている。(『三四郎』1ノ2回)

③そのうち高等学校で天長節の式の始まる号鐘が鳴り出した。三四郎は号鐘を聞きながら九時が来たんだろうと考えた。何もしないでいても悪いから、桜の枯葉でも掃こうかしらんと漸く気が付いた時、箒がないという事を考え出した。また椽側へ腰を掛けた。掛けて二分もしたかと思うと、庭木戸がすうと明いた。そうして思も寄らぬ池の女が庭の中にあらわれた。(『三四郎』4ノ9回)

④四人は既に曲り角へ来た。四人とも足を留めて、振り返った。美禰子は額に手を翳している。
 三四郎一分かからぬうちに追付いた。追付いても誰も何とも云わない。只歩き出した丈である。しばらくすると、美禰子が、
「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事を仰しゃるんでしょう」と云い出した。話の続きらしい。(『三四郎』5ノ4回~5ノ5回)

三四郎はおよそ五分許石へ腰を掛けた儘ぼんやりしていた。やがて又動く気になったので腰を上げて、立ちながら、靴の踵を向け直すと、岡の上り際の、薄く色づいた紅葉の間に、先刻の女の影が見えた。並んで岡の裾を通る。
 三四郎は上から、二人を見下していた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声を掛けようかと考えた。距離があまり遠過ぎる。急いで二三歩芝の上を裾の方へ下りた。下り出すと好い具合に女の一人が此方を向いて呉た。三四郎はそれで留った。実は此方からあまり御機嫌を取りたくない。運動会が少し癪に障っている。
「あんな所に……」とよし子が云い出した。・・・(『三四郎』6ノ10回~6ノ11回)

⑥すると奥の方でヴァイオリンの音がした。それが何所からか、風が持って来て捨てて行った様に、すぐ消えて仕舞った。三四郎は惜しい気がする。厚く張った椅子の背に倚りかかって、もう少し遣れば可いがと思って耳を澄ましていたが、音は夫限で已んだ。約一分も立つうちに、三四郎はヴァイオリンの事を忘れた。向こうにある鏡と蝋燭立を眺めている。妙に西洋の臭いがする。それから加徒力(カソリック)の連想がある。なぜ加徒力だか三四郎にも解らない。其時ヴァイオリンが又鳴った。今度は高い音と低い音が二三度急に続いて響いた。それでぱったり消えて仕舞った。(『三四郎』8ノ5回)

⑦描かれつつある人の肖像は、此彩色の眼を乱す間にある。描かれつつある人は、突き当りの正面に団扇を翳して立った。描く男は丸い背をぐるりと返して、調色板(パレット)を持った儘、三四郎に向った。口に太い烟管を啣えている。
「遣って来たね」と云って烟管を口から取って、小さい丸卓の上に置いた。燐寸と灰皿が載っている。椅子もある。
「掛け給え。――あれだ」と云って、描き掛けた画布の方を見た。長さは六尺もある。三四郎はただ、
「成程大きなものですな」と云った。原口さんは、耳にも留めない風で、
「うん、中々」と独言の様に、髪の毛と、背景の境の所を塗り始めた。三四郎は此時漸く美禰子の方を見た。すると女の翳した団扇の陰で、白い歯がかすかに光った。
 それから二三分は全く静かになった。部屋は暖炉で暖めてある。・・・(『三四郎』10ノ3回)

 『三四郎』の愛読者にはお馴染みのシーンばかりであろうが、このような several minutes に対する書きぶり自体は『明暗』まで継続された。しかしそれが女の登場する場面に限って使用されるというような偏向ぶりは、『三四郎』を以って是正されたようである。思うに『坊っちゃん』『草枕』から『三四郎』の頃までは、女を描くということに対して、漱石といえどいくらか緊張するものがあったのではないか。
 漱石は『それから』以降、女を描くときに緊張しなくなった(と思う)。女だからといって特別扱いしなくなった。女の造形がより現実的になった。大地に足がついて、身体の匂いまで感ぜられるくらいに、真に迫ってきたと言うべきか。『三四郎』までの小説の方を愛する読者は、これを残念に思う読者なのかも知れない。余談であるが。

 ところで『猫』はどうかという疑問については、『猫』は女を描いた小説ではないので、この話は該当しない。「吾輩」や寒月との関係で、三毛子や金田富子をヒロインに擬することはあっても、漱石としては例外的に、『猫』は真の意味でのヒロインの登場しない唯一の小説ということになる。
 もう1つだけ、 several minutes と書いたが、漱石は「数分」と書くことは絶対しない。癇性というのだろうか、潔癖症というべきか、すべて実際に計測したかのように、具体的な数字を小説に書き込んでいる。自分が現実にその中に活きているのだから、時間もまた自分の生命と同じ時を刻んでいるのが、はっきり分かると言わんばかりに。

漱石「最後の挨拶」草枕篇 22

318.『草枕』目次(9)第6章――俳句と理屈が代わりばんこに登場する


第6章 座敷に独り居て神境に入る (全4回)

1回 何も見ず何も想わない楽しみの世界
(P71-11/夕暮の机に向う。障子も襖も開け放つ。宿の人は多くもあらぬ上に、家は割合に広い。余が住む部屋は、多くもあらぬ人の、人らしく振舞う境を、幾曲の廊下に隔てたれば、物の音さえ思索の煩にはならぬ。今日は一層静かである。)
静かな宿の夕暮れ~忘我の境地で詩の世界へ入る~詩境をすら脱却する境地とは

 夕飯が近いというのに宿はひっそりして誰もいないかのようである。皆どこへ行ってしまったのだろうか。

 ・・・或は雲雀に化して、菜の花の黄を鳴き尽したる後、夕暮深き紫のたなびくほとりへ行ったかも知れぬ。又は永き日を、かつ永くする虻のつとめを果したる後、蕋に凝る甘き露を吸い損ねて、落椿の下に、伏せられ乍ら、世を香ばしく眠って居るかも知れぬ。とにかく静かなものだ。

 菜の花の 黄を鳴き尽したる 雲雀かな。
 菜の花や 雲雀に化して 黄を鳴き尽す。
 菜の花の 黄を鳴き尽したる 夕間暮れ。
 夕深き 紫たなびく ほとりまで。
 永き日を かつ永くする虻の つとめかな。
 蕋に凝る 甘き露を 吸いかねて。
 落椿 世を香ばしく 眠りおり。

 無茶苦茶ではあるが、読者は『草枕』の文章がたちまち俳句(もどき)に「化ける」のを目の当たりにする。長く俳句に親しんで、情景が即座に立ち上がる書き方をしているせいでもあるが、元々の漱石の文章に力強いリズムがあるのが最大の要因であろう。
 それともう1つ、『草枕』が書かれたのが、小説家としてまだ1年目、2年目であったことも見逃せない。初々しいというのは漱石には(どんな時期にも)あてはまらないが、といって円熟・円熟味という言葉ほど漱石に似つかわしくない言葉もない。漱石は(小さんは愛したが)マンネリ、名人芸を嫌った。といって青春を掲げて突っ走たわけではない。要するにほとんど処女作にして早くも一筋縄ではいかないのである。常に到達、達観。これが百年の生命の源泉だろう。

 踏むは地と思えばこそ、裂けはせぬかとの気遣も起る。戴くは天と知る故に、稲妻の米噛に震う怖も出来る。人と争わねば一分が立たぬと浮世が催促するから、火宅の苦は免かれぬ。・・・所謂楽は物に着するより起るが故に、あらゆる苦しみを含む。但詩人と画客なるものあって、飽くまで此待対世界の精華を嚼んで、徹骨徹髄の清きを知る。・・・彼等の楽は物に着するのではない。同化して其物になるのである。其物になり済ました時に、我を樹立すべき余地は茫々たる大地を極めても見出し得ぬ。・・・

 ・・・有体に云えば詩境と云い、画界と云うも皆人々具足の道である。春秋に指を折り尽して、白頭に呻吟するの徒と雖も、一生を回顧して、閲歴の波動を順次に点検し来るとき、嘗ては微光の臭骸に洩れて、吾を忘れし、拍手の興を喚び起す事が出来よう。出来ぬと云わば生甲斐のない男である。

 ・・・普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。余の同化には、何と同化したか不分明であるから、毫も刺激がない。刺激がないから、窈然として名状しがたい楽がある。風に揉まれて上の空なる波を起す、軽薄で騒々しい趣とは違う。目に見えぬ幾尋の底を、大陸から大陸まで動いている潢洋たる蒼海の有様と形容する事が出来る。只夫程に活力がない許りだ。然しそこに返って幸福がある。偉大なる活力の発現は、此活力がいつか尽き果てるだろうとの懸念が籠る。常の姿にはそう云う心配は伴わぬ。常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却して居る。・・・

 『草枕』は俳句小説、俳味溢れる小説であるが、一方でそれを表現するための理屈に満ちている小説でもある。
 また一方で『草枕』は汎く芸術一般についての理屈を開陳する小説でもある。この回は画工の芸術論――俳味篇と言ったところか。前にも述べたように、美についての理屈を必要としない人にとっては、画工の芸術論は退屈な議論と映るだろう。

2回 感興を画に乗せて
(P75-4/此境界を画にして見たらどうだろうと考えた。然し普通の画にはならないに極っている。われ等が俗に画と称するものは、只眼前の人事風光を有の儘なる姿として、若くは之をわが審美眼に漉過して、絵絹の上に移したものに過ぎぬ。)
詩境を画にするには~心を瞬時に截り取って絹の上に開示する~物外の神韻を伝える絵画はあるか

 ・・・此心持ちを、どうあらわしたら画になるだろう――否此心持ちを如何なる具体を藉りて、人の合点する様に髣髴せしめ得るかが問題である。
 普通の画は感じはなくても物さえあれば出来る。第二の画は物と感じと両立すれば出来る。第三に至っては存するものは只心持ち丈であるから、画にするには是非共此心持ちに恰好なる対象を択ばなければならん。・・・

 ・・・色、形、調子が出来て、自分の心が、ああ此所に居たなと、忽ち自己を認識する様にかかなければならない。生き別れをした吾子を尋ね当てる為め、六十余州を回国して、寝ても寤めても、忘れる間がなかったある日、十字街頭に不図邂逅して、稲妻の遮ぎるひまもなきうちに、あっ、此所に居た、と思う様にかかなければならない。・・・

 画工の芸術論の絵画篇。難しくて画工の手に余る。
 読者は『三四郎』で原口がしたり顔で話すのを思い出す。
「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出している所を描くんだから、見世さえ手落なく観察すれば、身代は自から分るものと、まあ、そうして置くんだね」(『三四郎』10ノ6回)
 原口の絵画論は、上記で画工の説くところの、第四段階あたりを行っているのであろうか。あるいは第一段階と第二段階の中間あたりの話か。

3回 画にもならず音楽にもならない興趣を詩で表現する方法
(P77-14/鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的な考を画にしようとするのが、抑もの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちには屹度自分と同じ感興に触れたものがあって、此感興を何等の手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすれば其手段は何だろう。)
音楽はどうか~画工の結論は写生帖に詩を書くこと~すぐ画になりそうな詩が出来た

 漱石は画には独特のセンスを発揮したが、画は難しい。音楽は論外(と漱石は書いている)。漱石は音楽も頭ではよく理解していたが、実践はまた別である。好きだった謡は、邦楽の範疇であるからには西洋音楽の理論とは一線を劃すものではあるが、(間とか呼吸とか楽譜にないものが求められ、音を微妙にずらすことさえ粋とされることがある)、読者は野上弥生子の言った「メエという山羊のような鳴き声」を忘れることが出来ない。
 では詩はどうか。すらすらと出て来て写生帖に漢詩文を書き連ねたのは御愛嬌である。画工は(漱石同様)根っからの文人である。しかしそんな太平楽を並べている場合でない。部屋の外に何かいるようだ。 

草枕』目次。引用は岩波書店『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)を新仮名遣いに改めたもの。回数分けは論者の恣意だが、その箇所の頁行番号ならびに本文を、ガイドとして少しく附す。(各回共通)

漱石「最後の挨拶」草枕篇 21

317.『草枕』目次(8)第5章――名前のない登場人物


第5章 まるで浮世床 (全4回)

1回 髪結床の親方は元江戸っ子
(P57-2/「失礼ですが旦那は、矢張(やっぱ)り東京ですか」「東京と見えるかい」「見えるかいって、一目見りゃあ、――第一言葉でわかりまさあ」「東京は何所だか知れるかい」「そうさね。東京は馬鹿に広いからね。――何でも下町じゃねえようだ。山の手だね。山の手は麹町かね。え? それじゃ、小石川? でなければ牛込か四っ谷でしょう」)
髪結床は神田松永町の出身で癇性でおしゃべり~しかも酔っ払っていた~石鹸なしに逆剃をかける

 前回画工が那美さんに「東京に居た事があるだろう」と言ったことの裏を返すような髪結床の親爺のセリフ、「何でも下町じゃねえようだ。山の手だね。山の手は麹町かね。え? それじゃ、小石川? でなければ牛込か四っ谷でしょう」は、漱石作品のすべての男の登場人物に当てはまりそうで微笑ましい。しかし「言葉でわかる」というのは東京生れの東京育ちを指すのだろうから、やはり那美さんは該当しないようである。
 同じ親爺の「こう見えて、私(わっち)も江戸っ子だからね」は、「御国はどちらでげす、え? 東京? 夫りゃ嬉しい、御仲間が出来て……私もこれで江戸っ子です」(『坊っちゃん』第2章、野だのセリフ)のフォローである。漱石は2作品を跨いで裏を返している。

2回 志保田の出返り娘はキ印
(P60-15/「旦那あ、余り見受けねえ様だが、何ですかい、近頃来なすったのかい」「二三日前来た許り」「へえ、どこに居るんですい」「志保田に逗ってるよ」「うん、あすこの御客さんですか。大方そんな事たろうと思ってた。実あ、私もあの隠居さんを頼て来たんですよ。――)
髪結床は那古井の宿の隠居と東京で一緒だった~旦那あの娘は面はいい様だが本当はキ印しですぜ~本家の兄と仲が悪い

 おそらく那美さんは親と一緒に東京に住んでいた時期があるのだった。髪結床の親爺はそこで那美さんの父親と知り、その尻にくっついて那古井まで移って来た。読者はやっと画工の推測が(その根拠は相変らず明らかにされないものの)当たっていたことに得心する。
 そして那美さんの健康状態についての第3回目。髪結床の親爺が遠慮のないところを暴露する。画工は例によって熱心に誘導尋問する。


3回 納所坊主泰安の災難
(P64-13/「そうか、急勝だから、いけねえ。苦味走った、色の出来そうな坊主だったが、そいつが御前さん、レコに参っちまって、とうとう文をつけたんだ。――おや待てよ。口説たんだっけかな。いんにゃ文だ。文に違えねえ。すると――こうっと――何だか、行きさつが少し変だぜ。・・・」)
観海寺の泰安が那美さんに付け文~那美さん読経中の破天荒~駘蕩たる春光と髪結床は対照の妙か

 生温い磯から、塩気のある春風がふわりふわりと来て、親方の暖簾を眠たそうに煽る。身を斜にしてその下をくぐり抜ける燕の姿が、ひらりと、鏡の裡に落ちて行く。向うの家では六十許りの爺さんが、軒下に蹲踞まり乍ら、だまって貝をむいて居る。かちゃりと、小刀があたる度に、赤い味が笊のなかに隠れる。殻はきらりと光りを放って、二尺あまりの陽炎を向へ横切る。丘の如くに堆かく、積み上げられた、貝殻は牡蠣か、馬鹿か、馬刀貝か。崩れた、幾分は砂川の底に落ちて、浮世の表から、暗らい国へ葬られる。葬られるあとから、すぐ新しい貝が、柳の下へたまる。爺さんは貝の行末を考うる暇さえなく、唯空しき殻を陽炎の上へ放り出す。彼れの笊には支うべき底なくして、彼れの春の日は無尽蔵に長閑かと見える

 風景画に(意図的に)人物を描き入れる画家がいる。北斎ではない。例えば印象派などの西洋絵画の話としてである。漱石は描き入れない方である。漱石が人を描くときは、小説の展開に必要なので、はっきりその人物を活写する。『草枕』のこの叙景は漱石としては例外に属する。貝を剥く爺さんは風景に溶け込んで、ふつうなら漱石はこんな情景描写に人は配さない。爺さんが活字になることはない。おそらく「非人情の旅」という宣言にこだわったがための緊急配置であろう。

 ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。尤も此熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見詰めて居ても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれは此所へ降りるのだそうだ。見た所では大森位な漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。続づいて五六人は乗ったろう。外に大きな箱を四つ許り積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎ戻して来た。陸へ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、磯に立って居た鼻たれ小僧をつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧は茫やりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎ものだ。猫の額程な町内の癖に、中学校のありかも知らぬ奴があるものか。所へ妙な筒っぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、尾いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声を揃えて御上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校は是から汽車で二里許り行かなくっちゃいけないと聞いて、猶上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄を二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をして居た。(『坊っちゃん』第2章冒頭)


 これは風景画ではないが、それに近いものではあろう。これだけの文章に人物は十数名出て来る。全員エキストラとはいえ物語の進行に必要な人間である。漱石が人物を描くときはこのように描くのが普通である。
 ところで風景画に人物が点描されている上記引用文の『草枕』の方は、読点が19箇所数えられる。『坊っちゃん』の方の引用文は17箇所である。それでも多い方である。『草枕』の該当文節のボリュウムを勘案しても、『草枕』のこの部分の読点がいかに多いかが分かる。風景描写に人物が入っている例としてこの文章をお手本にした作家(ないし作家の卵)は、おそらく知らず知らず読点(の数の多さ)まで真似したことであろう。

4回 観海寺の小坊主了念
(P68-11/こう考えると、此親方も中々画にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべき所を、わざと尻を据えて四方八方の話をして居た。所へ暖簾を滑って小さな坊主頭が「御免、一つ剃って貰おうか」と這入って来る。)
了念登場~泰安は生きて修業中~石段を上がると何でも逆様

 こう考えると、此親方も中々画にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべき所を、わざと尻を据えて四方八方の話をして居た。

 画工が長居したのはもちろん暇だからであるが、画や詩のためというよりは、宿の嬢様のゴシップのためであろう。もっとも画工の関心は那美さんが画になり詩になる、あるいはならないことであるから、まんざら嘘を書いているわけでもない。それどころか親方に加えてもう1人、春風を突き破る勢いの、生意気な小坊主を登場させる。親方には名前がないが小坊主には了念という名前が(なげやりに付けたにせよ)ちゃんとある。

「泰安さんは死にはせんがな」
「死なねえ? はてな。死んだ筈だが」
「泰安さんは、その後発憤して、陸前の大梅寺へ行って、修業三昧じゃ。今に智識になられよう。結構な事よ」
「何が結構だい。いくら坊主だって、夜逃をして結構な法はあるめえ。御前なんざ、よく気をつけなくっちゃいけねえぜ。とかく、しくじるなあ女だから――女ってえば、あの狂印は矢っ張り和尚さんの所へ行くかい」
「狂印と云う女は聞いた事がない」
「通じねえ、味噌擂だ。行くのか、行かねえのか」
狂印は来んが、志保田の娘さんなら来る
「いくら、和尚さんの御祈祷でもあれ許りや、癒るめえ。全く先の旦那が祟ってるんだ」
あの娘さんはえらい女だ。老師がよう褒めておられる
石段をあがると、何でも逆様だから叶わねえ。和尚さんが、何て云ったって、気狂は気狂だろう。――さあ剃れたよ。早く行って和尚さんに叱られて来めえ」

 漱石の若者は生意気になりがちである。女中も時々そんなふうになるが、漱石はわざわざ「小女郎」と書いて分かりやすくしている。年を取るとさすがに描き方は変わるが、「画にも詩にもなる」というのは褒め過ぎであろう。
 床屋の親方は「詩人」かも知れないが名前のない世俗の人である。そして那美さんを病気扱いしている。茶屋の婆さんも源さんも同じ。(源さんは馬方・馬子と書いてもいいのだが、より写実的に、たまたま源兵衛と名付けられただけである。下女をお三と書くのと同断である。ちなみに坊っちゃんの出自たる源氏は騎馬の民であるが、漱石の中では馬から自然に源さんという名が導かれたのだろう。)
 名前のない世界の人間が那美さんをキ印扱いする。名前の付けられている人たちの世界では那美さんは正常とされる。武士の常識は長屋の非常識。寺の中は全員名前が付いている。あんな事件があったにもかかわらず、寺の中では那美さんは正常とされる。一般的には寺は世俗の域外であろうが、漱石にとって坊主は世俗のチャンピオンである。寺の外ではキ印。漱石は明らかに寺の外の人間である。画工は果して寺の中へ取り込まれるのであろうか。画工に名前がないことだけは確かであるが。 

草枕』目次。引用は岩波書店『定本漱石全集第3巻』(2017年3月初版)を新仮名遣いに改めたもの。回数分けは論者の恣意だが、その箇所の頁行番号ならびに本文を、ガイドとして少しく附す。(各回共通)