明石吟平の漱石ブログ

漱石文学がなぜ読まれ続けるのか。その謎解きに挑む。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 33

289.『坊っちゃん』1日1回(11)――月齢が語る天誅の晨


第11章 天誅 (全6回)
(明治38年10月24日火曜~11月10日金曜/明治38年11月~明治39年3月)

1回 今朝の新聞を御見たかなもし
(10月24日火曜)
(P382-3/あくる日眼が覚めて見ると、身体中痛くて堪らない。久しく喧嘩をしつけなかったから、こんなに答えるんだろう。これじゃあんまり自慢も出来ないと床の中で考えて居ると、婆さんが四国新聞を持って来て枕元へ置いてくれた。実は新聞を見るのも退儀なんだが、男がこれしきの事に閉口たれて仕様があるものかと無理に腹這いになって、寝ながら、二頁を開けて見ると驚ろいた。昨日の喧嘩がちゃんと出て居る。)
 ・ ・ ・ 
(おれと山嵐は校長と教頭に時間の合間を見計って、嘘のない、所を一応説明した。校長と教頭はそうだろう、新聞屋が学校に恨を抱いて、あんな記事をことさらに掲げたんだろうと論断した。赤シャツはおれらの行為を弁解しながら控所を一人ごとに廻ってあるいて居た。ことに自分の弟が山嵐を誘い出したのを自分の過失であるかの如く吹聴して居た。みんなは全く新聞屋がわるい、怪しからん、両君は実に災難だと云った。)

近頃東京から赴任した生意気なる某~再び教育界に足を入るる余地なからしむる~いや昨日は御手柄で~名誉の御負傷でげすか~赤シャツは自分の弟が誘ったせいだと弁明して回る

2回 新聞に書かれるのは泥亀に喰い付かれるようなもの
(10月24日火曜~10月26日木曜)
(P385-11/帰りがけに山嵐は、君赤シャツは臭いぜ、用心しないとやられるぜと注意した。どうせ臭いんだ、今日から臭くなったんじゃなかろうと云うと、君まだ気が付かないか、きのうわざわざ、僕等を誘い出して喧嘩のなかへ、捲き込んだのは策だぜと教えてくれた。成程そこ迄は気がつかなかった。山嵐は粗暴な様だが、おれより智慧のある男だと感心した。「ああやって喧嘩をさせて置いて、すぐあとから新聞屋へ手を廻してあんな記事をかかせたんだ。実に奸物だ」「新聞迄も赤シャツか。そいつは驚いた。然し新聞が赤シャツの云う事をそう容易く聴くかね」「聴かなくって。新聞屋に友達が居りゃ訳はないさ」)
 ・ ・ ・ 
(つまり新聞屋にかかれた事は、うそにせよ、本当にせよ、詰りどうする事も出来ないものだ。あきらめるより外に仕方がないと、坊主の説教じみた説諭を加えた。新聞がそんな者なら、一日も早く打っ潰して仕舞った方が、われわれの利益だろう。新聞にかかれるのと、泥鼈に喰いつかれるとが似たり寄ったりだとは今日只今狸の説明に因って始めて承知仕った。)

赤シャツの策に乗ったようだ~わるくすると遣られるかも知れない~一度新聞に書かれるとどうすることも出来ない

3回 履歴なんか構うもんですか履歴より義理が大切です
(10月30日月曜~10月31日火曜)
(P388-4/夫から三日許りして、ある日の午後、山嵐が憤然とやって来て、愈時機が来た、おれは例の計画を断行する積だと云うから、そうかそれじゃおれもやろうと、即座に一味徒党に加盟した。所が山嵐が、君はよす方がよかろうと首を傾けた。何故と聞くと君は校長に呼ばれて辞表を出せと云われたかと尋ねるから、いや云われない。君は?と聴き返すと、今日校長室で、まことに気の毒だけれども、事情已を得んから処決してくれと云われたとの事だ。「そんな裁判はないぜ。狸は大方腹鼓を叩き過ぎて、胃の位地が顛倒したんだ。)
 ・ ・ ・ 
(赤シャツには口もきかなかった。どうせ遣っ付けるなら塊めて、うんと遣っ付ける方がいい。山嵐に狸と談判した模様を話したら、大方そんな事だろうと思った。辞表の事はいざとなる迄其儘にして置いても差支あるまいとの話だったから、山嵐の云う通りにした。どうも山嵐の方がおれよりも利巧らしいから万事山嵐の忠告に従う事にした。)

山嵐は校長に処決を求められた~誰が両立してやるもんか~校長室での談判~辞職されてもいいから代わりのあるまでどうかやってもらいたい

4回 奥さんの御ありるのに夜遊びはおやめたがええぞなもし
(11月1日水曜~11月8日水曜)
(P391-4/山嵐は愈辞表を出して、職員一同に告別の挨拶をして浜の港屋迄下ったが、人に知れない様に引き返して、温泉の町の枡屋の表二階へ潜んで、障子へ穴をあけて覗き出した。是を知ってるものはおれ許りだろう。赤シャツが忍んで来ればどうせ夜だ。しかも宵の口は生徒や其他の目があるから、少なくとも九時過ぎに極ってる。最初の二晩はおれも十一時頃迄張番をしたが、赤シャツの影も見えない。三日目には九時から十時半迄覗いたが矢張り駄目だ。駄目を踏んで夜なかに下宿へ帰る程馬鹿気た事はない。四五日すると、うちの婆さんが少々心配を始めて、奥さんの御有りるのに、夜遊びはおやめたがええぞなもしと忠告した。)
 ・ ・ ・ 
(「天誅も骨が折れるな。是で天網恢々疎にして洩らしちまったり、何かしちゃ、詰らないぜ」「なに今夜は屹度くるよ。――おい見ろ見ろ」と小声になったから、おれは思わずどきりとした。黒い帽子を戴いた男が、角屋の瓦斯燈を下から見上げた儘暗い方へ通り過ぎた。違って居る。おやおやと思った。其うち帳場の時計が遠慮もなく十時を打った。今夜もとうとう駄目らしい。)

山嵐退職~枡屋の2階から角屋を見張る~1週間頑張っていい加減飽きてきた~八日目に山嵐は眼を輝かせた~小鈴の入るのを見たという

 物語の大詰。一挙に結末を迎えるべく山嵐が辞表を出した第4回。この回だけで数字が30ばかり並ぶ。おもに日数と時間を数えているのであるが、ふつうの作家が書くとうるさくて小説にならないだろう。漱石はとくに意識しないで書いているようにも思われる。第11章の真ん中辺の「一行アキ」の箇所から、文庫でも全集でも3頁分くらい。1から9までの数字がすべて満遍なく並ぶのはいいとして、時刻も7時、9時、10時、11時、12時。半とか何分とか細かく刻まれることもある。「8時」は登場しないが、その代り8という数字はちゃんと別の用法で何回も使われる。

六日目には少々いやになって、七日目にはもう休もうかと思った

 というのは、8日目に天誅を実行したという展開の、単なる説明・橋渡しの役目を帯びただけの記述と思われがちであるが、先述した曜日が書かれないという『坊っちゃん』の特徴的な例外に、「7日目に休む=日曜日」という、最後に神の降臨があったようにも読める。これでは作中に気楽に曜日を書き込めなかったわけである。
 さらに言えば、坊っちゃんが松山を訪れることになったのは、卒業してから「8日目に」校長が呼びに来たからであるが、漱石はこんなところにもちゃんと平仄を合わせて、坊っちゃんの松山退去を祝福している。

 ところで時計の好きな東洋人漱石は、月の出入りについての記述もまた、どちらかといえばする方である。しかしそれは日月星晨に対する関心があってのことではないようだ。

 おれは一貫張の机の上にあった置き洋燈をふっと吹きけした。星明りで障子丈は少々あかるい。月はまだ出て居ない。おれと山嵐は一生懸命に障子へ面をつけて、息を凝らして居る。チーンと九時半の柱時計が鳴った
 ・・・其うち帳場の時計が遠慮なく十時を打った。今夜もとうとう駄目らしい。
 世間は大分静かになった。遊廓で鳴らす太鼓が手に取る様に聞える。月が温泉の山の後からのっと顔を出した。往来はあかるい。すると、下の方から人声が聞えだした。窓から首を出す訳には行かないから、姿を突き留める事は出来ないが、段々近付いて来る模様だ。(論者注:赤シャツと野だがやって来たのである。)

 先に『坊っちゃん』のカレンダー作成で、山嵐の退職を10月末、11月10日頃には新橋着としたが、この最後の天誅事件が11月8日頃であることはとくに問題ないだろう。
 いずれにせよ日露講和の明治38年、10月下旬から11月上旬にかけての(松山における)月の出入りの時刻は、当然ながら小説の記述とはまったく合わない。その時期実物の漱石帝国大学で講義しているのだから、あるいはせいぜい『猫』を書いているのだから、合わなくて当り前である。
 反対に月の出が夜10時であるような11月第1週を持つ年はと言えば、それは他のどの年でもない、漱石が松山にいた明治28年である気象庁の過去データによる)。漱石は(日露でなく)日清の戦捷祝賀を実見もし、同じ頃小説に書かれた同じ時刻頃、湯の町の山影から昇る大きな半月も見たに違いない。

 ちなみに山嵐が目撃した小鈴という芸者は、うらなり送別会(第9章)で野だが鈴ちゃんと呼んでいた赤シャツの馴染みの芸者である。マドンナ同様教師仲間でも名の知られた芸者だったのであろう。単なるスケルツォあるいは幕間のファルスのような送別会の夜のドタバタ喜劇であるが、

山嵐との仲直りと友情の確認。
山嵐は増給を断わった坊っちゃんを褒めて、ついでに自分の免職を覚悟する。
③赤シャツのような奸物は鉄拳制裁しかないと、山嵐は石のような二の腕を見せる。
④赤シャツに笑って挨拶した一番若くて綺麗な芸者を、野だは鈴ちゃんと呼ぶ。
坊っちゃんはどさくさ紛れに野だをポカリと殴る。山嵐は野だを後ろから払い倒す。

 すべてが最後の活劇へ繋がる前奏曲にもなっている。

5回 増給が嫌だの辞表を出したいのって、ありゃどうしても神経に異状があるに相違ない
(11月8日水曜~11月9日木曜)
(P394-7/世間は大分静かになった。遊廓で鳴らす太鼓が手に取る様に聞える。月が温泉の山の後からのっと顔を出した。往来はあかるい。すると、下の方から人声が聞えだした。窓から首を出す訳には行かないから、姿を突き留める事は出来ないが、段々近付いて来る模様だ。からんからんと駒下駄を引き擦る音がする。眼を斜めにするとやっと二人の影法師が見える位に近付いた。「もう大丈夫ですね。邪魔ものは追っ払ったから」正しく野だの声である。「強がる許りで策がないから、仕様がない」これは赤シャツだ。)
 ・ ・ ・ 
(野だは余っ程仰天した者と見えて、わっと言いながら、尻持をついて、助けて呉れと云った。おれは食う為めに玉子は買ったが、打つける為めに袂へ入れてる訳ではない。只肝癪のあまりに、いつぶつけるともなしに打つけて仕舞ったのだ。然し野だが尻持を突いた所を見て始めて、おれの成功した事に気がついたから、此畜生、此畜生と云いながら残る六つを無茶苦茶に擲き付けたら、野だは顔中黄色になった。)

赤シャツと野だがやっと現れる~坊っちゃんの悪口を言っている~朝5時までの辛い監視~角屋から出て来た2人を尾行~城下をはずれたところで襲撃~野だの顔へ玉子を叩きつける

 角屋から出る二人の影を見るや否や、おれと山嵐はすぐあとを尾けた。一番汽車はまだないから、二人とも城下迄あるかなければならない。温泉の町をはずれると一丁許りの杉並木があって左右は田圃になる。それを通りこすとここかしこに藁葺があって、畠の中を一筋に城下迄通る土手へ出る。町さえはずれれば、どこで追い付いても構わないが、可成(なるべく)なら、人家のない、杉並木で捕まえてやろうと、見えがくれについて来た*。町を外れると急に馳け足の姿勢で、はやての様に後ろから、追い付いた。何が来たかと驚ろいて振り向く奴を⑥待てと云って肩に手をかけた。⑦野だは狼狽の気味で逃げ出そうと云う景色だったから、⑧おれが前へ廻って行手を塞いで仕舞った(注*来た=行ったの東京訛り)

 本来山嵐坊っちゃん不法行為をしようとしているわけであるが、これは漱石にあっては異例のことである。少なくとも『明暗』現行の中断部まで、漱石の小説に主人公が法を犯すシーンはない(『心』の先生が1度だけ立小便しているが、先生は明治の人間である)。坊っちゃんが最初で最後である。そのせいでもなかろうが漱石は、第4回の1週間にわたる見張り番から、この第5回の徹夜での監視を経て、郊外の土手における鉄槌の場面まで、実に丁寧に描いている。第4回の数字の「密集」もその丁寧さの表われであろうか。まるで証人席・参考人席に立ったように、ありのまま、現実に起こった事実をそのまま、順を追って論述している(かのようである)。
 そもそも枡屋での1週間の空振りは、先に生徒が喰らった1週間の禁足の対をなすもので、漱石も律儀にバランスシートの辻褄を合わせにかかっていると言ってよい。
 読者に対する気遣いは、坊っちゃんの活躍する町の様子の、分かりやすい描き方にも表れている。船で港に着くと港屋という旅館がある。おもちゃのような汽車に乗るとすぐ坊っちゃんたちの住む城下である。勿論中学校もある。城下の停留所から港とは反対方向に乗って行くと湯の町である。角屋という待合みたいな旅館の前に山嵐坊っちゃんの潜む枡屋がある。坊っちゃんたちは早朝枡屋を捨てて(始発の前なので)徒歩で赤シャツと野だを追いかけ、城下の手前の人気のない誰にも迷惑のかからない(邪魔されない)場所で凶行に及んだ。漱石は詳細に描いている。まるでその情景を残すことによって、坊っちゃんたちの免罪を図るかのように。

 ところでこの⑥の「待てと云って肩に手をかけた」という句を含む文章には、人称代名詞がすべて省略されているが、誰の行為であるか。⑦と⑧の記述から、⑥は山嵐の赤シャツに対する行為であることが推測される。最初に手を出したのは(坊っちゃんでなく)山嵐であった。この私闘が山嵐の赤シャツに対するものであったことが、丁寧に念を押されているのである。前述したが坊っちゃんは赤シャツには一切手を出していない。坊っちゃんは従犯である。野だを殴るのも始めてではない。
 そしてこのときの坊っちゃんの、追い抜いてくるりと振り返るという仕草もまた、先に野芹川の土手で赤シャツとマドンナの行く手を塞いだ場面を思い起こさせる。坊っちゃんは1回リハーサルをしていたのである。
 つまり坊っちゃんは単なる暴行犯罪人というよりは、舞台稽古の本番に臨んだ役者という位置付けであった。坊っちゃんをここまで庇うものは、もちろん漱石である。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 32

288.『坊っちゃん』1日1回(10)――坊っちゃん最後の事件


第10章 祝勝会の夜 (全4回)
(明治38年10月23日月曜)

1回 祝勝会に生徒を引率
(10月23日月曜)
(P368-8/祝勝会で学校は御休みだ。練兵場で式があると云うので、狸は生徒を引率して参列しなくてはならない。おれも職員の一人として一所にくっついて行くんだ。町へ出ると日の丸だらけで、まぼしい位である。学校の生徒は八百人もあるのだから、体操の教師が隊伍を整えて、一組一組の間を少しずつ明けて、それへ職員が一人か二人宛監督として割り込む仕掛けである。仕掛だけは頗る巧妙なものだが、実際は頗る不手際である。生徒は小供の上に、生意気で、規律を破らなくっては生徒の体面にかかわると思ってる奴等だから、職員が幾人ついて行ったって何の役に立つもんか。)
 ・ ・ ・ 
(おれは邪魔になる生徒の間をくぐり抜けて、曲がり角へもう少しで出様とした時に、前へ!と云う高く鋭い号令が聞えたと思った。師範学校の方は粛粛として行進を始めた。先を争った衝突は、折合がついたには相違ないが、つまり中学校が一歩を譲ったのである。資格から云うと師範学校の方が上だそうだ。)

こんな奴等と一緒では人間が堕落するばかり~早く東京へ帰って清と暮らしたい~日本人は皆口から先へ生まれた

 中学生は意味もなくうるさい。そしてその動機は純なものではない。それがそのまま大人に成長したのがこの社会である。碌でもない世間の、その発生元が中学校である。
 中学校への不満は『猫』でも散々ぶちまけられたが、『坊っちゃん』を最後にぴたりと止んだ。小説を(職業的に)書くことにより、自分のかつての職業の対象であった者たちに対する攻撃は影を潜めるようになった。そうだとすれば、『野分』を最後に、あるいは明治39年を最後にぴたりと止んだ、と言った方がより適切か。

 しかし坊っちゃんの理屈では、こんなこと(中学教師)を1年も続けていては自分自身も朱に染まって堕落する。一刻も早くこの地を去るべきであるという結論に、たった1、2ヶ月で達している。
 世間に出たらその碌でもない世間によって自分の良心さえスポイルされかねない。一刻も早く逃げ出すべきである。
 これで何事か解決するわけのものでもないことは重々承知だが、自分の力ではどうしようもない。腕力に頼るわけにはいかないが、世の中というものは最後はそういう下らない力で物事が動いて行く。

 これが『坊っちゃん』の最後のドタバタ喜劇の山場である。小説においてこれを救うものがあるとすれば、それは女(愛)の存在だけである。しかしその灯は第7章、マドンナの登場と退場を以って消えてしまった。消したものは端的にいえば、坊っちゃんの「追い抜きざまの振り返り」であろうか。
 これが第8章以降の小説の閉塞感に繋がる。第8章(うらなり転勤事件)、第9章(うらなり送別会)、第10章(日露戦捷祝賀会)、書き振りは処女作と思えないほど堂に入って面白いが、読者が厭きるぎりぎりのところで、小説は最後の大決戦(大乱闘)を迎える。
 それはめでたいが、女がいなくなると漱石の小説は急速に詰まらなくなる。漱石はこれに気付いて以後しばらくは、女が途中退場することはなくなった。『草枕』『虞美人草』、どんな形であれヒロインは最後まで描かれ切っている。『三四郎』からの3部作しかり。ヒロインは常に作品と共に在る。
 しかしそれは漱石が心の底から希むところではなかったようだ。漱石は自分の造型したマドンナを、結局は自身で退治するところまでやってしまいたいのではないか。中期3部作で漱石は再びそれに挑戦したかのように見える。『彼岸過迄』『行人』『心』、すべてヒロインの退場後に一定のドラマが設定される。『心』の御嬢さんは、「奥さん(静)」「御嬢さん(名無し)」と人生を2度生きているが、Kの亡くなった後は急速に表舞台から姿を消す。というより御嬢さんはヒロイン・マドンナというにはあまりに影が薄いようである。(『心』では御嬢さんより「奥さん(御嬢さんの母親)」の方が存在感がある。漱石はこれを多として受け容れ、そのまま『道草』に受け継いでしまった。つまり細君がヒロインになってしまった。)
 『行人』は当初の予定ではお直の退場と共に物語が終わるはずであったと、誰もが思いがちであるが、小説について漱石の見込み通り事が運んだ試しはない(『三四郎』を除いて)。疾いに倒れなくても現行の『塵労』に近いものは書かれていたのではないか。してみるとこの異名の多い中期3部作のもう一つの呼称は、「(ヒロイン)途中退場3部作(*)」であろうか。
 漱石はここでチャレンジしたあと、いったん『道草』では小説の結びまでヒロインが頑張る方式に戻した。あるいは『道草』はそういうことと無縁の小説であるという位置付けか。いずれにせよ『明暗』の終結部もまた、お延(あるいは清子)とともにあるとすることの方が自然であるように思える。しかし(話が飛躍するようだが)幻の最終作品は女が早くに自裁する話であると想定されるから、この晩期3部作(則天去私3部作)においてはヒロイン退場時期としては統一されないことになる。漱石はそれが自然であると見做すかも知れない。漱石は則天去私の看板の下、最終作で大いなる統合を目論もうとしたのではないか。

2回 山嵐が牛肉を持って訪れる
(10月23日月曜)
(P371-14/祝勝会の式は頗る簡単なものであった。旅団長が祝詞を読む、知事が祝詞を読む。参列者が万歳を唱える。それで御仕舞だ。余興は午后にあると云う話だから、一先ず下宿へ帰って、此間中から、気に掛っていた、清への返事をかきかけた。今度はもっと詳しく書いてくれとの注文だから、可成念入に認めなくっちゃならない。然しいざとなって、半切を取り上げると、書く事は沢山あるが、何から書き出していいか、わからない。)
 ・ ・ ・ 
(「愉快だ。そう事が極まれば、おれも加勢してやる。夫で今夜から夜番をやるのかい」「まだ枡屋に懸合ってないから、今夜は駄目だ」「それじゃ、いつから始める積りだい」「近々のうちやるさ。いずれ君に報知をするから、そうしたら、加勢して呉れ給え」「よろしい、いつでも加勢する。僕は計略は下手だが、喧嘩とくると是で中々すばしこいぜ」)

清に手紙を書こうとしたが1字も書けない~庭にある1本の蜜柑の木~湯島のかげまた何だ~君そこの所はまだ煮えていないぜ~赤シャツには馴染みの芸者がいる~赤シャツ退治の秘策

 清へ宛てた手紙が書けなかったこと(筆まで墨に浸したのに)、蜜柑の木がもう3週間で熟れるだろうという記述は、(都会人坊っちゃんが生まれて始めて見る蜜柑の木の、完熟する時期がなぜ分かったのかは永遠の謎であるが――萩野の婆さんに教わったとしか思えない、)これは大団円への伏線であろう。伏線を張る(というには込み入っているが)という書き方は、漱石に始めから染み付いたもので、癖というよりは(オチに向かって突き進む落語のような)、謂わば約束事のようなものである。創作上の技巧とは関係なく、『坊っちゃん』の書き方だから、『三四郎』だからという区別でない、『明暗』まで一環した漱石の書き方であると言える。

 山嵐の2度目の坊っちゃん宅訪問は前述の通り。牛肉持参は坊っちゃん山嵐の真の和解の象徴であろうか。この牛肉を、鮪の刺身・蒲鉾の付け焼きに続く坊っちゃんの好物と見るか、天麩羅蕎麦・団子に続く松山での(3回目の)ご馳走と見るかは、読者の自由であろう。要所要所で食い物が登場するのが、(酒の吞めなかった分食いしん坊であった)漱石の常套であるが、こちらも細々とではあるがその後も継続された。
 ちなみに坊っちゃんはこのあと、3週間でなく2週間でこの地を去ることになる。坊っちゃんが愛媛名産の「完熟」蜜柑を食べることはなかった。

3回 祝勝会の余興
(10月23日月曜)
(P376-2/おれと山嵐がしきりに赤シャツ退治の計略を相談して居ると、宿の婆さんが出て来て、学校の生徒さんが一人、堀田先生に御目にかかりたいてて御出でたぞなもし。今御宅へ参じたのじゃが、御留守じゃけれ、大方ここじゃろうてて捜し当てて御出でたのじゃがなもしと、閾の所へ膝を突いて山嵐の返事を待ってる。山嵐はそうですかと玄関迄出て行ったが、やがて帰って来て、君、生徒が祝勝会の余興を見に行かないかって誘いに来たんだ。)
 ・ ・ ・ 
(ことに六ずかしいのは、かの万歳節のぼこぼん先生だそうだ。三十人の足の運びも、手の働きも、腰の曲げ方も、悉くこのぼこぼん君の拍子一つで極まるのだそうだ。傍で見て居ると、此大将が一番呑気そうに、いやあ、はああと気楽にうたってるが、其実は甚だ責任が重くって非常に骨が折れるとは不思議なものだ。)


赤シャツの弟が山嵐を誘いに来た~くす玉の花火が上がる~太鼓と真剣による高知の踊り

 おれは踴なら東京で沢山見て居る。毎年八幡様の御祭りには屋台が町内へ廻ってくるんだから汐酌みでも何でもちゃんと心得ている。土佐っぽの馬鹿踴なんか、見たくもないと思ったけれども、折角山嵐が勧めるもんだから、つい行く気になって門へ出た。山嵐を誘いに来たものは誰かと思ったら赤シャツの弟だ。妙な奴が来たもんだ

 前述したが、「妙な奴」という書き方で分かるように、坊っちゃんは赤シャツの弟が山嵐を(坊っちゃんの下宿まで)誘いに来た真相を、このときはまだ知らない。最終章でその策謀が明らかになるのだが、その導入部となるべき、疑問符のままであることを表わす1句である。蜜柑の木の逸話といい、漱石も芸が細かいと言わざるを得ない。細かい熟練を要する土佐の剣舞の芸と、いい勝負をしている。

4回 師範と中学の乱闘騒ぎに巻き込まれる
(10月23日月曜)
(P379-5/おれと山嵐が感心のあまり此踊を余念なく見物して居ると、半丁許り、向の方で急にわっと云う鬨の声がして、今迄穏やかに諸所を縦覧して居た連中が、俄かに波を打って、右左りに揺き始める。喧嘩だ喧嘩だと云う声がすると思うと、人の袖を潜り抜けて来た赤シャツの弟が、先生又喧嘩です、中学の方で、今朝の意趣返しをするんで、又師範の奴と決戦を始めた所です、早く来て下さいと云いながら又人の波のなかへ潜り込んでどっかへ行って仕舞った。)
 ・ ・ ・ 
(然し頬ぺたがぴりぴりして堪らない。山嵐は大分血が出て居るぜと教えてくれた。巡査は十五六名来たのだが、生徒は反対の方面から退却したので、捕まったのは、おれと山嵐丈である。おれらは姓名を告げて、一部始終を話したら、とも角も警察迄来いと云うから、警察へ行って、署長の前で事の顛末を述べて下宿へ帰った。)

赤シャツの弟が先生喧嘩ですと呼びに来る~止めに入る山嵐坊っちゃん~巡査に捕まったのは2人だけ

 乱闘に巻き込まれて身動きも出来ないくらいだったのが、警官隊が駆け付けて生徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。坊っちゃんは動きが急に楽になった。これは小説のはるか始めの方で、質屋の勘太郎が袷の袖ごと崖の下へ落ちたので、腕が急に楽になった故事を踏まえている。田舎者の逃げ足の速いのを、敗戦ロシアの総司令官クロパトキンに喩えているからには、この祝勝会はやはり日露戦争時のものだったのだろうが、それでも坊っちゃんの手記が書かれたのが日露の直後だったので、坊っちゃんはついホットな例え話を書いてしまったが、実際には日清戦捷の頃の追憶をしていると、未練がましいようだが、まあ強いて言えないことはない。
 その議論の最大の拠り所は、やはり漱石自身が日清の頃に松山にいたという1点であろうか。「日清談判」の雄叫びもそうだが、漱石は嘘の吐けない性格なのである。それは歴史的事実をも動かしかねない。況や小説ごときの設定をや。

*注)異名の多い中期3部作 論者のこれまでのブログでは次のような「諱」で呼ばれている。「短編形式3部作」「善行3部作」「不思議3部作」「括弧書3部作」「自画自讃3部作」「謀略3部作」「一人称3部作」「鎌倉3部作」そして「ヒロイン途中退場3部作」

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 31

287.『坊っちゃん』1日1回(9)――先生たちも寄宿舎の生徒に負けていない


第9章 送別会の夜 (全4回)
(明治38年10月16日月曜)

1回 坊っちゃんの下宿で送別会の打合せ
(10月16日月曜)
(P353-12/うらなり君の送別会のあると云う日の朝、学校へ出たら、山嵐が突然、君先達はいか銀が来て、君が乱暴して困るから、どうか出る様に話して呉と頼んだから、真面目に受けて、君に出てやれと話したのだが、あとから聞いて見ると、あいつは悪るい奴で、よく偽筆へ贋落款抔を押して売りつけるそうだから、全く君の事も出鱈目に違いない。君に懸物や骨董を売りつけて、商売にしようと思ってた所が、君が取り合わないで儲けがないものだから、あんな作りごとをこしらえて胡魔化したのだ。僕はあの人物を知らなかったので君に大変失敬した勘弁し給えと長々しい謝罪をした。)
 ・ ・ ・ 
(あいつは大人しい顔をして、悪事を働いて、人が何か云うと、ちゃんと逃道を拵らえて待ってるんだから、余っ程奸物だ。あんな奴にかかっては鉄拳制裁でなくっちゃ利かないと、瘤だらけの腕をまくってみせた。おれは序でだから、君の腕は強そうだな柔術でもやるかと聞いて見た。すると大将二の腕へ力瘤を入れて、一寸攫んで見ろと云うから、指の先で揉んで見たら、何の事はない湯屋にある軽石の様なものだ。)

山嵐の謝罪~1銭5厘撤収~仲直り~酒なんか飲む奴は馬鹿だ~山嵐を家に呼ぶ~送別会でうらなりを応援したい~赤シャツの悪行を暴きたい

2回 送別会始まる
(10月16日月曜)
(P357-11/おれは余り感心したから、君その位の腕なら、赤シャツの五人や六人は一度に張り飛ばされるだろうと聞いたら、無論さと云いながら、曲げた腕を伸ばしたり、縮ましたりすると、力瘤がぐるりぐるりと皮のなかで廻転する。頗る愉快だ。山嵐の証明する所によると、かんじん綯りを二本より合せて、この力瘤の出る所へ巻きつけて、うんと腕を曲げると、ぷつりと切れるそうだ。かんじんよりなら、おれにも出来そうだと云ったら、出来るものか、出来るならやって見ろと来た。切れないと外聞がわるいから、おれは見合せた。)
 ・ ・ ・ 
(此良友を失うのは実に自分にとって大なる不幸であると迄云った。しかも其いい方がいかにも、尤もらしくって、例のやさしい声を一層やさしくして、述べ立てるのだから、始めて聞いたものは、誰でも屹度だまされるに極ってる。マドンナも大方此手で引掛けたんだろう。赤シャツが送別の辞を述べ立てている最中、向側に坐って居た山嵐がおれの顔を見て一寸稲光をさした。おれは返電として、人指し指でべっかんこうをして見せた。)

送別会は花晨亭の50畳敷~あれは瀬戸物じゃありません伊万里です~山嵐の稲光にべっかんこうで応える

3回 山嵐の送別の言葉
(10月16日月曜)
(P360-12/赤シャツが席に復するのを待ちかねて、山嵐がぬっと立ち上がったから、おれは嬉しかったので、思わず手をぱちぱちと拍った。すると狸を始め一同が悉くおれの方を見たには少々困った。山嵐は何を云うかと思うと只今校長始めことに教頭は古賀君の転任を非常に残念がられたが、私は少々反対で古賀君が一日も早く当地を去られるのを希望して居ります。延岡は僻遠の地で、当地に比べたら物質上の不便はあるだろう。が、聞く所によれば風俗の頗る淳朴な所で、職員生徒悉く上代樸直の気風を帯びて居るそうである。)
 ・ ・ ・ 
(「さあ、諸君、いかさま師を引っ張って来た。さあ飲ましてくれ玉え。いかさま師をうんと云う程、酔わしてくれ玉え。君逃げちゃいかん」と逃げもせぬ、おれを壁際へ圧し付けた。諸方を見廻してみると、膳の上に満足な肴の乗って居るのは一つもない。自分の分を奇麗に食い尽して、五六間先へ遠征に出た奴も居る。校長はいつ帰ったか姿が見えない。)

美しい顔をして人を陥れるようなハイカラ野郎は延岡には1人もいない~不貞無節なる御転婆を慚死せしめんことを~うらなりの態度はまるで聖人~宴席は大分乱れてきた

4回 狂乱の十五畳敷
(10月16日月曜)
(P364-13/所へ御座敷はこちら?と芸者が三四人這入って来た。おれも少し驚ろいたが、壁際へ圧し付けられて居るんだから、凝として只見て居た。すると今迄床柱へもたれて例の琥珀のパイプを自慢そうに啣えて居た、赤シャツが急に起って、座敷を出にかかった。向から這入って来た芸者の一人が、行き違いながら、笑って挨拶をした。その一人は一番若くて一番奇麗な奴だ。遠くで聞えなかったが、おや今晩は位云ったらしい。赤シャツは知らん顔をして出て行ったぎり、顔を出さなかった。大方校長のあとを追懸けて帰ったんだろう。)
 ・ ・ ・ 
(この吉川を御打擲とは恐れ入った。愈以て日清談判だ。とわからぬ事をならべて居る所へ、うしろから山嵐が何か騒動が始まったと見て取って、剣舞をやめて、飛んで来たが、此ていたらくを見て、いきなり頸筋をうんと攫んで引き戻した。日清……いたい。いたい。どうも是は乱暴だと振りもがく所を横に捩ったら、すとんと倒れた。あとはどうなったか知らない。途中でうらなり君に別れて、うちへ帰ったら十一時過ぎだった。)

校長に続いて赤シャツも退席~芸者も混じって大宴会~赤シャツの馴染みの芸者は鈴ちゃん~越中褌の裸踊り~野だをぽかりと殴る~山嵐は野だを払い倒す

 漱石作品最初で最後の宴会。酔漢。芸者。漱石はこのあと『三四郎』で紳士的な懇親会を2つ描いた後、自らの世界から(3人以上による)酒席の描写を放逐した。当然芸者も(『猫』で寒月と擦れ違うという意味不明の描き方はされたが)登場することはない。『行人』の三沢の「あの女」は唯一の例外と目されようが、セリフは与えられず芸者としての書き方はなされていない。それどころか2人とも入院するというありさまである。禁を犯した罪ということだろうか。女の方が症状が重いというのも漱石らしい。

 野だが第1回目として殴られたこの大宴会では、すべての芸者がなぜか関西弁をしゃべる。

「あんた何ぞ唄いなはれ」「おおしんど」「知りまへん」「おきなはれや」「弾いてみまほうか」「よう聞いていなはれや」

 漱石が関西に旅したとき芸者と淡い交流があったのは、漱石ファンのよく知るところであるが、それは後年の話である。もしかしたら松山時代に何かの宴会で接した芸者のことを覚えていたのか。漱石にとって花柳界は外国のようなまったくの別世界であった。自分と異なる言語を操る世界の人間、ということで漱石も自らを赦して描いたのであろう。

 おれはさっきから肝癪が起ってる所だから、日清談判なら貴様はちゃんちゃんだろうと、いきなり拳骨で、野だの頭をぽかりと喰わしてやった。野だは二三秒の間毒気を抜かれた体で、ぼんやりして居たが、おや是はひどい。御撲になったのは情ない。この吉川を御打擲とは恐れ入った。愈以て日清談判だ。とわからぬ事をならべて居る所へ、うしろから山嵐が何か騒動が始まったと見て取って剣舞をやめて、飛んで来たが、此ていたらくを見て、いきなり頸筋をうんと攫んで引き戻した。日清……いたい。いたい。どうも是は乱暴だと振りもがく所を横に捩ったら、すとんと倒れた。あとはどうなったか知らない。途中でうらなり君に別れて、うちへ帰ったら十一時過ぎだった。

 この「見て取る」という言い方について、先に述べた萩野の婆さんのセリフでは、虚子は「見て取る」を「睨(ね)らんどる」に修正している。

「然し先生はもう、御嫁が御有りなさるに極っとらい。私はちゃんと、もう、睨らんどるぞなもし
「へえ、活眼だね。どうして、睨らんどるんですか」(第7章1回現行本文――赤字は虚子の添削)

 漱石のオリジナル原稿は以下の通りである。

「然し先生はもう、御嫁が御有りるに極っとる。私はちやんと、そう、見て取った
「へえ、活眼だね。どうして、見て取ったんですか」(第7章1回オリジナル原稿――緑字は漱石の原文)

 漱石は第7章で萩野の婆さんに「見て取った」と言わせたがゆえに、この第9章での山嵐の叙述にも「見て取って」を採用したのである。萩野の婆さんと坊っちゃんの会話を直したのなら、本来この部分も一緒に直すべきであった。

 ・・・愈以て日清談判だ。とわからぬ事をならべて居る所へ、うしろから山嵐が何か騒動が始まったと(にら)んで剣舞をやめて、飛んで来たが、此ていたらくを見て、いきなり頸筋をうんと攫んで引き戻した。日清……いたい。いたい。(第9章4回改訂案)

「見て取る(看て取る)」は漱石のなかなか使わない言葉である。それを『坊っちゃん』で特別に使用するにあたって、漱石は保険をかけていたのではないか。虚子としては婆さんの方言指導のつもりで修正しただけで、山嵐が飛んできたのは方言と関係ないのだから、とやかく言われる筋合いはないのであるが、ここは漱石の方が忘れていたのであろう。

 そしてこの章を以ってマドンナとも訣別である。うらなり送別会の挨拶で、山嵐はマドンナを不貞不節操の輩として(つまり当時の女性に対する最大の罵りの言葉で)切り捨てた。『坊っちゃん』を以ってマドンナ退治の嚆矢とする考え方は広く受け入れられるだろう。このあと金田富子は寒月を去り、那美さんはそもそもその登場からして、退治されたあとの病み上がりのように見える。極めつけは藤尾であろう。藤尾は小説の最後で漱石によって文字通り埋葬されてしまった。『虞美人草』で漱石の「マドンナ退治」は終了したのだろうか。一見そのようにも読める。『三四郎』美禰子から『明暗』お延まで、漱石のマドンナたちは作品世界で思いのままに振る舞って、時には手の付けられないほどである。
 しかしその実漱石は、あからさまでないにせよ、地道にマドンナ退治を継続していたのではないか。漱石作品の歴史はマドンナを退治る歴史ではないか。だがこれはここで扱うには余りにも大きすぎるテーマであろう。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 30

286.『坊っちゃん』1日1回(8)――赤シャツと漱石完全一致


第8章 赤シャツ (全4回)
(明治38年10月10日火曜~10月13日金曜)

1回 赤シャツと山嵐
(10月10日火曜~10月13日金曜)
(P340-3/赤シャツに勧められて釣に行った帰りから、山嵐を疑ぐり出した。無い事を種に下宿を出ろと云われた時は、愈不埒な奴だと思った。所が会議の席では案に相違して滔々と生徒厳罰論を述べたから、おや変だなと首を捩った。萩野の婆さんから、山嵐が、うらなり君の為に赤シャツと談判をしたと聞いた時は、それは感心だと手を拍った。此様子ではわる者は山嵐じゃあるまい、赤シャツの方が曲ってるんで、好加減な邪推を実しやかに、しかも遠廻しに、おれの頭の中へ浸み込ましたのではあるまいかと迷ってる矢先へ、野芹川の土手で、マドンナを連れて散歩なんかして居る姿を見たから、それ以来赤シャツは曲者だと極めて仕舞った。)
 ・ ・ ・ 
(田舎へ来て九円五拾銭払えばこんな家へ這入れるなら、おれも一つ奮発して、東京から清を呼び寄せて喜ばしてやろうと思った位な玄関だ。頼むと云ったら、赤シャツの弟が取次に出て来た。此弟は学校の生徒で、おれに代数と算術を教わる至って出来のわるい子だ。其癖渡りものだから、生れ付いての田舎者よりも人が悪るい。)

いいえ僕はあっちへは行かない湯に入ってすぐ帰った~赤シャツは嘘つきだ~机の上に置いたままの1銭5厘~山嵐とはまだ仲直り出来ないのに赤シャツとは交際する

2回 赤シャツの家で昇給話を聞く
(10月13日金曜)
(P326-4/赤シャツに逢って用事を聞いて見ると、大将例の琥珀のパイプで、きな臭い烟草をふかしながら、こんな事を云った。「君が来てくれてから、前任者の時代よりも成績がよくあがって、校長も大にいい人を得たと喜んで居るので――どうか学校でも信頼して居るのだから、其積りで勉強していただきたい」「へえ、そうですか、勉強って今より勉強は出来ませんが――」「今の位で充分です。只先達て御話しした事ですね、あれを忘れずに居て下さればいいのです」「下宿の世話なんかするものあ剣呑だと云う事ですか」)
 ・ ・ ・ 
(延岡と云えば山の中も山の中も大変な山の中だ。赤シャツの云う所によると船から上がって、一日馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎から又一日車へ乗らなくっては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。猿と人とが半々に住んでる様な気がする。いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、何と云う物数奇だ。)

赤シャツの家に呼ばれて行く~赤シャツの家には弟がいる~増給の話~うらなりの転勤話~数学主任のほのめかし~君俳句をやりますか

3回 萩野の婆さん再び
(10月13日金曜)
(P345-13/所へ不相変婆さんが夕食を運んで出る。今日も亦芋ですかいと聞いて見たら、いえ今日は御豆腐ぞなもしと云った。どっちにしたって似たものだ。「御婆さん古賀さんは日向へ行くそうですね」「ほん当にお気の毒じゃがな、もし」「御気の毒だって、好んで行くんなら仕方がないですね」「好んで行くて、誰がぞなもし」「誰がぞなもしって、当人がさ。古賀先生が物数奇に行くんじゃありませんか」「そりゃあなた、大違いの勘五郎ぞなもし」「勘五郎かね。だって今赤シャツがそう云いましたぜ。夫が勘五郎なら赤シャツは嘘つきの法螺右衛門だ」)
 ・ ・ ・ 
(月給を上げてやろうと云うから、別段欲しくもなかったが、入らない金を余して置くのも勿体ないと思って、よろしいと承知したのだが、転任したくないものを無理に転任させて其男の月給の上前を跳ねるなんて不人情な事が出来るものか。当人がもとの通りでいいと云うのに延岡下り迄落ちさせるとは一体どう云う了見だろう。太宰権帥でさえ博多近辺で落ちついたものだ、河合又五郎だって相良でとまってるじゃないか。とにかく赤シャツの所へ行って断わって来なくっちあ気が済まない。)

うらなりの転勤は赤シャツと校長の陰謀~誰が上がってやるもんか~先生は月給が御上りるのかなもし

 坊っちゃんはうらなりの転勤が赤シャツと校長の策謀によるものだと気付き、怒りでとりあえず萩野の婆さんを怒鳴りつける。芋責めの食事に対する不満が爆発したのか。

「年寄の癖に余計な世話を焼かなくってもいい。おれの月給は上がろうと下がろうとおれの月給だ」

 婆さんは怒りもせず黙って引っ込む。言い返さないので坊っちゃんは年寄りが好きなのかも知れない。
 しかし坊っちゃんはもう一度萩野の婆さんを怒鳴りつけている。11章で騒乱事件の首謀者として新聞に載ってしまったとき、

「婆さんに鏡をかせと云ったら、けさの新聞を御見たかなもしと聞く。読んで後架へ棄てて来た。欲しけりゃ拾って来いと云ったら、驚いて引き下がった」(11章1回)

 これもやはり丁寧に裏を返したものであると言える。本来坊っちゃんが婆さんを極めつける謂われはないのである。骨董責めに次いでの芋責めに辟易していたとはいえ、坊っちゃんは甘えられる相手には甘えているのであろう。野だにえらそうな口を聞くのも半分は甘えているのである。

4回 増給を断る奴が世の中にたった一人飛び出して来た
(10月13日金曜)
(P349-5/小倉の袴をつけて又出掛けた。大きな玄関へ突っ立って頼むと云うと、又例の弟が取次に出て来た。おれの顔を見てまた来たかと云う眼付をした。用があれば二度だって三度だって来る。よる夜なかだって叩き起さないとは限らない。教頭の所へ御機嫌伺いにくる様なおれと見損ってるか。是でも月給が入らないから返しに来んだ。すると弟が今来客中だと云うから、玄関でいいから一寸御目にかかりたいと云ったら奥へ引き込んだ。足元を見ると、畳付きの薄っぺらな、のめりの駒下駄がある。奥でもう万歳ですよと云う声が聞える。御客とは野だだなと気がついた。)
 ・ ・ ・ 
(中学の教頭位な論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌いで働らくものだ。論法で働らくものじゃない。「あなたの云う事は尤もですが、僕は増給がいやになったんですから、まあ断わります。考えたって同じ事です。左様なら」と云いすてて門を出た。頭の上には天の川が一筋かかって居る。)

赤シャツの家にまた行く~野だが来ている~赤シャツの顔は金時のようだ~増給を断る~赤シャツの御談義ふたたび

 しばらくすると、赤シャツがランプを持って玄関迄出て来て、まあ上がり給え、外の人じゃない吉川君だ、と云うから、いえ、此所で沢山です。一寸話せばいいんです、と云って、赤シャツの顔を見ると金時の様だ。野だ公と一杯飲んでると見える。

 赤シャツは漱石同様酒に弱い。このときの坊っちゃんとのやり取りを見ていると、酔っているようには思えない。少しの酒で真っ赤になるところは苦沙弥先生そっくりである。

「苦沙弥先生元来酒は飲めないのだよ。所を人の味淋だと思って一生懸命に飲んだものだから、さあ大変、顔中真赤にはれ上ってね。いやもう二目とは見られない有様さ」
「黙って居ろ。羅甸語も読めない癖に」
「ハハハハハ、夫で藤さんが帰って来てビールの徳利をふって見ると、半分以上足りない。何でも誰か飲んだに相違ないと云うので見廻わして見ると、大将隅の方に朱泥を練りかためた人形の様にかたくなって居らあね……」(『猫』第11篇)

 苦沙弥が書生の頃、自炊仲間の鈴木藤十郎君の味醂を盗飲した事件は、何度読んでも笑えるヨタ話(実話かも知れない)であるが、こういう書き方は繰り返しの効果とは真逆の、一生に1回だけの話法である。1回こっきりのギャグ。1度しか使われない比喩。それもまた漱石の小説の楽しさである。

 ところでこの章の中で、坊っちゃんは赤シャツの家へ(続けて)2度行っている。坊っちゃんはうらなりの家にも2回行ったことになっている。1回は(意外にも)挨拶に、もう1回は下宿探しに困って。赤シャツの家は立派な玄関付きで家賃9円50銭、弟と同居している。うらなりの家は士族屋敷で(去年父親が死んだので)母親と2人暮し。坊っちゃんの出かけた先はいずれも丁寧に紹介されている。他には坊っちゃんの出かけた家はない。
 山嵐は住み家さえ知らされないが、山嵐坊っちゃんの(萩野の)下宿を2度訪れている。それは次の第9章、第10章の話になるが、その見方からすると、山嵐は小説の中で(坊っちゃんがらみで)いか銀を2度訪れていることになっている。1回は坊っちゃんを同伴して、2回目はいか銀の(坊っちゃんが乱暴で困るという)クレームの確認に。山嵐はそのため職員会議の朝遅刻したとも書かれる。いか銀の2回目が坊っちゃんの出勤後であるから該当しないとすれば、山嵐は先に山城屋に坊っちゃんの寝込みを急襲しているから、それがカウントされよう。その1回の足りない部分だかハミ出した部分だかは、野だが坊っちゃんの出た後にいか銀に入り込むという、小説の流れとしては不自然極まる展開に流用された。漱石にしてみれば、ちゃんと理由があってのことだったかも知れない。

 坊っちゃんが2度ずつ訪れたうらなりと赤シャツの家。山嵐が2度ずつ訪れた坊っちゃんの2つの宿(いか銀と萩野)。山嵐は1人で赤シャツとうらなりの分まで活躍していることになる。
 漱石はあらかじめ計算して『坊っちゃん』の筋立てを構築したわけではないだろうが、結果としてこのようなしっかりしたバランスで書かれてあると、外から見ても家の中に入っても、それは読者の安心感につながるのではないか。建築科(建築家)を志望したことがあるというエピソードは、こんなところにその痕跡をとどめているように見える。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 29

285.『坊っちゃん』1日1回(7)――マドンナ野芹川の夜の遭難


第7章 マドンナ (全5回)
(明治38年9月30日土曜~10月9日月曜)

回 萩野の家へ宿替え
(9月30日土曜~10月6日金曜)
(P322-6/おれは即夜下宿を引き払った。宿へ帰って荷物をまとめて居ると、女房が何か不都合でも御座いましたか、御腹の立つ事があるなら、云って御呉れたら改めますと云う。どうも驚ろく。世の中にはどうして、こんな要領を得ない者ばかり揃ってるんだろう。出て貰いたいんだか、居て貰いたいんだか分りゃしない。丸で気狂だ。こんな者を相手に喧嘩をしたって江戸っ子の名折れだから、車屋をつれて来てさっさと出て来た。)
 ・ ・ ・ 
(それじゃ僕も二十四で御嫁を御貰いるけれ、世話をして御呉れんかなと田舎言葉を真似て頼んでみたら、御婆さん正直に本当かなもしと聞いた。「本当(ほんとう)の本当(ほんま)のって僕あ、嫁が貰い度って仕方がないんだ」「左様じゃろうがな、もし。若いうちは誰もそんなものじゃけれ」此挨拶には痛み入って返事が出来なかった。)

いか銀の女房の狼狽~士族屋敷で下宿探し~うらなりの家を訪ねる~その夜から萩野の家の下宿人となる~清からの手紙を待ちわびる~萩野の婆さんの世間話

 前章で職員会議の午後を土曜としたのは、とくに理由あってのことではないが、仮にそれが間違ってないとすれば、ターナー島での舟釣りは前日金曜の課業後であり、職員会議の日を限りに坊っちゃんがいか銀を引き払って、その日のうちに新しい下宿へ入った、そして翌る日曜には野だが坊っちゃんの後釜に坐ったと見れば、理屈は合う。坊っちゃんは早速転居先を告げるために一度いか銀に戻り、そこで野だの転入話を聞いたのであろう。坊っちゃんは松山に到着早々山城屋から清に手紙を出し、その山城屋気付とした清の返事は、いか銀を経由したあと萩野の下宿へ届いた。漱石も(坊っちゃんも)大雑把なようでいて案外細かいのである。
 そして職員会議(狼藉生徒処分)のとき、山嵐坊っちゃんのことを「まだ生徒に接してから20日に満たない」と言っていることからも、坊っちゃんの着任日も含めて、カレンダーのおおまかなところは想像出来よう。(現実にそれが明治38年の暦に合致しているかどうかは別として。)

2回 渾名の付いてる女にゃ昔から碌なものがいない
(10月6日金曜)
(P325-11/「然し先生はもう、御嫁が御有りなさるに極っとらい。私はちゃんと、もう、睨らんどるぞなもし」「へえ、活眼だね。どうして、睨らんどるんですか」「何故しててて。東京から便りはないか、便りはないかてて、毎日便りを待ち焦がれて御いでるじゃないかなもし」「こいつあ驚いた。大変な然し先生はもう、御嫁が御有りなさるに極っとらい。私はちゃんと、もう、睨らんどるぞなもし」「へえ、活眼だね。どうして、睨らんどるんですか」「何故しててて。東京から便りはないか、便りはないかてて、毎日便りを待ち焦がれて御いでるじゃないかなもし」「こいつあ驚いた。大変な活眼だ」「中りましたろうがな、もし」「そうですね。中ったかも知れませんよ」「然し今時の女子は、昔と違うて油断が出来んけれ、御気を御付けたがええぞなもし」)
 ・ ・ ・ 
(「赤シャツと山嵐たあ、どっちがいい人ですかね」「山嵐て何ぞなもし」「山嵐と云うのは堀田の事ですよ」「そりゃ強い事は堀田さんの方が強そうじゃけれど、然し赤シャツさんは学士さんじゃけれ、働きはある方ぞな、もし。夫から優しい事も赤シャツさんの方が優しいが、生徒の評判は堀田さんの方がええというぞなもし」「つまり何方がいいんですかね」「つまり月給の多い方が豪いのじゃろうがなもし」)

婆さんの語るマドンナとうらなりの婚約事件~赤シャツの横槍~山嵐の仲介~赤シャツと山嵐の確執

 うらなりがマドンナとうまく行かなくなったのは、うらなりの家が金満家でなくなったことが原因している。女が金に靡くというのは、(金に靡かない男はいないという意味で)陳腐化した発想のようでもあるが、女が独りで生きられる(生活できる)社会という観点からはまた、永遠のテーマであるとも言える。
 文学士にはなっても文士になるつもりのなかった漱石にとっての「文学的な」始まりは、半分馬鹿にしていた『金色夜叉』であろうが、この同期の文豪の死を受けて自らの文学的キャリアをスタートさせた漱石は、『猫』『坊っちゃん』『草枕』の「処女作三部作」の通奏低音に、まるで紅葉へのオマージュとも取れる「金(地位)に靡く(かも知れない)女」というテーマを配置した。
 それは『虞美人草』『三四郎』に微妙な形で引き継がれた後、漱石自身の生活の(金銭的)安定とともに、『それから』の三千代が「すぐにやめてしまったわ」と弁解した派手な半襟のように打ち捨てられた。――つまり三千代以降のヒロインは(生活の安定でなく)露骨に愛の存在について語り出したのである。(金田富子とマドンナは黙して語らないが、)那美さん・藤尾・美禰子の「三姉妹」は、その最後の哀しい女性の叫びであったとも言えよう。――しかし金そのものに対する漱石のこだわりは、その後も消えることなく生き続けた。

3回 やっと届いた清からの手紙
(10月6日金曜~10月9日月曜)
(P330-6/是じゃ聞いたって仕方がないから、やめにした。夫から二三日して学校から帰ると御婆さんがにこにこして、へえ御待遠さま。やっと参りました。と一本の手紙を持って来てゆっくり御覧と云って出て行った。取り上げて見ると清からの便りだ。符箋が二三枚ついてるから、よく調べると、山城屋から、いか銀の方へ廻して、いか銀から、萩野へ廻って来たのである。其上山城屋では一週間許り逗留して居る。)
 ・ ・ ・ 
(天麩羅蕎麦を食っちゃならない、団子を食っちゃならない、夫で下宿に居て芋許り食って黄色くなって居ろなんて、教育者はつらいものだ。禅宗坊主だって、是よりは口に栄耀をさせて居るだろう。――おれは一皿の芋を平げて、机の抽斗から生卵を二つ出して、茶碗の縁でたたき割って、漸く凌いだ。生卵ででも営養をとらなくっちあ一週二十一時間の授業が出来るものか。)

山嵐て何ぞなもし~符箋つきの清の手紙を読む~もし渾名をつけたら清だけに知らせろ~お小遣いがなくて困るかも知れないから為替で10円あげる~芋責めの食事を生卵でしのぐ

 待ちわびた清からの手紙。萩野の婆さんは坊っちゃんの奥さんから来た手紙と思い込んでいるが、坊っちゃんは格別訂正を申し込まないようだ。坊っちゃんが手紙を出してから1ヶ月ほどが経っている。その経緯は小説の中で丁寧に説明されて、かつ説明くさくない。符箋で10日以上、清の手紙の内容で、風邪で寝込んだ1週間+不得意な手紙を書くのに1週間、ちゃんと話の辻褄を合わせている。
 坊っちゃんはあげたつもりのない50円を(それは兄の金だから)、清は坊っちゃんがくれたものと信じている。清のくれた3円と10円を、坊っちゃんは借りたと主張する。その坊っちゃんと清の関係が母と子や夫婦の絆に似て、一方600円については坊っちゃんと兄の見解は一致しているものの、その人間関係はとっくに消滅している。金の認識の不一致は愛情の本という謎かけであろうか。それとも大金のやり取りは人間関係を破綻させるという俗な喩えであろうか。代助が三千代に遣った200円はぎりぎりセーフだったのか。三千代の申し出通り500円渡していたら『それから』はそこで終わってしまったのだろうか。

 清は坊っちゃんの身を案ずるあまりくどくどとかき口説く。

坊っちゃんは竹を割ったような気性だが、ただ癇癪が強過ぎてそれが心配。
②人に恨まれるもとになるから無暗に渾名なんかつけるな。
③田舎者は人がわるいから気を付けて苛い目に遇わないようにしろ。
④気候だって不順に極まってるから寝冷えをして風邪を引いてはいけない。
⑤頼りになるのは御金ばかりだから、なるべく倹約して万一の時に差支えないようにしろ。

 そして坊っちゃんの手紙(150字)は短かすぎて様子がよく分からないから、今度はもう少し長いのを書いてくれろという。坊っちゃんも嬉しかったのだろう。くだくだしい清の手紙を省略なしに紹介している。坊っちゃんは後刻長い手紙を書こうと努力するが、結局書けないまま自分の方が先に東京へ着いてしまった。なるほど気も短いわけである。

4回 マドンナ初登場
(10月9日月曜)
(P333-6/今日は、清の手紙で湯に行く時間が遅くなった。然し毎日行きつけたのを一日でも欠かすのは心持がわるい。汽車にでも乗って出懸様と、例の赤手拭をぶら下げて停車場迄来ると二三分前に発車した許りで、少々待たなければならぬ。ベンチへ腰を懸けて、敷島を吹かして居ると、偶然にもうらなり君がやって来た。おれはさっきの話を聞いてから、うらなり君が猶更気の毒になった。平常から天地の間に居候をして居る様に、小さく構えているのが如何にも憐れに見えたが、今夜は憐れ所の騒ぎではない。)
 ・ ・ ・ 
(うらなり君は活版で押した様に下等ばかりへ乗る男だ。先生、下等の車室の入口へ立って、何だか躊躇の体であったが、おれの顔を見るや否や思い切って、飛び込んで仕舞った。おれは此時何となく気の毒でたまらなかったから、うらなり君のあとから、すぐ同じ車室へ乗り込んだ。上等の切符で下等へ乗るに不都合はなかろう。)

停車場でうらなりと会う~遠山の母娘登場~赤シャツも来る~金鎖りと金側の赤シャツの時計~上等の切符で下等の車輛に乗り込む

「あなたは大分御丈夫の様ですな」
「ええ瘦せても病気はしません。①病気なんてものあ大嫌いですから
 うらなり君は、おれの言葉を聞いて②にやにやと笑った
 所へ入口で若々しい女の笑声が聞えたから、何心なく振り反って見るとえらい奴が来た。色の白い、ハイカラ頭の、背の高い美人と、四十五六の奥さんとが並んで切符を売る窓の前に立っている。おれは美人の形容抔が出来る男でないから何にも云えないが全く美人に相違ない。何だか③水晶の珠を香水で暖ためて、掌へ握って見た様な心持ちがした。年寄の方が背は低い。然し④顔はよく似て居るから親子だろう

 ①は職員会議のときの「そんな頓珍漢な処分は大嫌いです」を受けたセリフである。坊っちゃんの自分に不都合なものを好き嫌いで論じる滑稽に、うらなりがちゃんと反応していること(②)を書きたかったのだろう。漱石の小説の「にやにや」登場回数では、『猫』の寒月が圧勝したが、《本ブログ心篇25『先生と私』1日1回(11)にやにや笑いの怪――欄外にリンク》先の「うらなり=野々宮」論と、「野々宮=寺田寅彦=寒月」論の融合から、「うらなり=寒月」の裏付けとなる一文である。うらなりも寒月もマドンナ(金田富子)に逃げられるところはまるで双子の兄弟である。延岡も高知も東京から見れば一帯であろう。松山から見ても似たような近さ(遠さ)である。

 そして満を持してマドンナの登場となったわけであるが、③の描写は坊っちゃんらしくない言い回しである。これはむしろ清の手紙にこそ相応しい形容であろう。美人を見ると性格が変わったように俄かに描写が艶っぽくなるのが漱石の常道だが、ヒロインの初登場に必ず庇護者が附着するというのも前著で論者の散々説いたところ。マドンナの場合は実の母親(④)であるから、そのフラグシップモデルと言えるだろう。

5回 野芹川の散歩デート
(10月9日月曜)
(P336-13/温泉へ着いて、三階から、浴衣のなりで湯壺へ下りて見たら、又うらなり君に逢った。おれは会議や何かでいざと極まると、咽喉が塞がって饒舌れない男だが、平常は随分弁ずる方だから、色々湯壺のなかでうらなり君に話しかけて見た。何だか憐れぽくって堪らない。こんな時に一口でも先方の心を慰めてやるのは、江戸っ子の義務だと思ってる。所が生憎うらなり君の方では、うまい具合にこっちの調子に乗ってくれない。何を云っても、えとかいえとかぎりで、しかも其えといえが大分面倒らしいので、仕舞にはとうとう切り上げて、こっちから御免蒙った。)
 ・ ・ ・ 
(月は正面からおれの五分刈の頭から顋の辺り迄、会釈もなく照す。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女を促がすが早いか、温泉の町の方へ引き返した。赤シャツは図太くて胡魔化す積か、気が弱くて名乗り損なったのかしら。所が狭くて困ってるのは、おれ許りではなかった。)

温泉を出て散歩する~化物が寄り合う物騒な世界~早く切り上げて東京へ帰りたい~野芹川の堤で赤シャツとマドンナに出くわす

 おれは苦もなく後ろから追い付いて、男の袖を擦り抜けざま、二足前へ出した踵をぐるりと返して男の顔を覗き込んだ。月は正面からおれの五分刈の頭から顋の辺り迄、会釈もなく照す。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女を促がすが早いか、温泉(ゆ)の町の方へ引き返した。

 坊っちゃんも思い切ったことをしたものである。赤シャツとマドンナにすればわざわざ汽車で温泉町まで行って、誰も通らないと思って川縁の土手で散歩していたら変な若い男がぬっと現れる。赤シャツはともかくマドンナはさぞ驚いたことだろう。このときの坊っちゃんの不可解な行動について、『三四郎』にこんな記述がある。

「丁度好いじゃありませんか」と早口に云ったが、後で「御貰をしない乞食なんだから」と結んだ。是は前句の解釈の為めに付けた様に聞えた。
 所へ知らん人が突然あらわれた唐辛子の干してある家の陰から出て、何時の間にか河を向うへ渡ったものと見える。二人の坐っている方へ段々近付いて来る。洋服を着て髯を生やして、年輩から云うと広田先生位な男である。此男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子を睨め付けた其眼のうちには明らかに憎悪の色がある三四郎は凝と坐っていにくい程な束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。其後ろ影を見送りながら、三四郎は、
「広田先生や野々宮さんは嘸後で僕等を探したでしょう」と始めて気が付いた様に言った。美禰子は寧ろ冷やかである。
「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」(『三四郎』5ノ9回)

 下宿へ帰って、湯に入って、好い心持ちになって上がって見ると、机の上に絵端書がある。小川を描いて、草をもじゃもじゃ生やして、其縁に羊を二匹寝かして、其向こう側に大きな男が洋杖を持って立っている所を写したものである。男の顔が甚だ獰猛に出来ている。全く西洋の絵にある悪魔を模したもので、念の為め、傍にちゃんとデヴィルと仮名が振ってある。表は三四郎の宛名の下に、迷える子と小さく書いた許である。三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、端書の裏に、迷える子を二匹書いて、其一匹を暗に自分に見立てて呉れたのを甚だ嬉しく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとより這入っていたのである。それが美禰子の思わくであったと見える。美禰子の使った stray sheep の意味が是で漸く判然した。(『三四郎』6ノ3回)

 この土地の所有者なのかも知れないが、いくら男の顔がデヴィルと明記されていても、このくだりは『三四郎』で唯一何のことか分からない叙述であった。迷える子羊の宗教的意味合いを強調するための道具立てとするしか解釈の仕様がないのであろうが、散歩する無心のカプルに不可抗力的な邪魔が入ることがあるという、哲学的な警告が発せられたのかも知れなかった。そうであれば『坊っちゃん』のこのシーンも、坊っちゃんの怒りの表出ばかりでなく、散歩する赤シャツとマドンナにとって甚だ縁起の悪い、悪魔の役目を坊っちゃんは演じていたのかも知れない。演出家はもちろん漱石以外にいないが、坊っちゃんがなぜこんな行為に及んだのか、合理的な説明は外につかない。坊っちゃんはとりあえず自分の出来る範囲で、このときこの2人を罰したのであろう。それとも漱石は赤シャツに只々一度「あっ」と言わせたかっただけだったのか。

漱石「最後の挨拶」心篇 25 - 明石吟平の漱石ブログ

238.『先生と私』1日1回(11)――にやにや笑いの怪

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 28

284.『坊っちゃん』1日1回(6)――土曜日午後の職員会議


第6章 職員会議 (全5回)
(明治38年9月29日金曜~9月30日土曜)

1回 君は学校に騒動を起すつもりで来たんじゃなかろう
(9月29日金曜~9月30日土曜)
(P304-15/野だは大嫌だ。こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本の為だ。赤シャツは声が気に食わない。あれは持前の声をわざと気取ってあんな優しい様に見せてるんだろう。いくら気取ったって、あの面じゃ駄目だ。惚れるものがあったってマドンナ位なものだ。然し教頭丈に野だより六ずかしい事を云う。うちへ帰って、あいつの申し条を考えて見ると一応尤もの様でもある。判然とした事は云わないから、見当がつきかねるが、何でも山嵐がよくない奴だから用心しろと云うのらしい。)
 ・ ・ ・ 
(君大丈夫かいと赤シャツは念を押した。どこ迄女らしいんだか奥行がわからない。文学士なんて、みんなあんな連中なら詰らんものだ。辻褄の合わない、論理に欠けた注文をして恬然として居る。然も此おれを疑ぐってる。憚りながら男だ。受け合った事を裏へ廻って反古にする様なさもしい了見はもってるもんか。)

赤シャツは弱虫に極まっている~弱虫は(女のように)親切なもの~山嵐には氷水の1銭5厘返しておこう~坊っちゃんは膏っ手~昨日は失敬迷惑でしたろう~これから山嵐と談判するつもり~君そんな無法をしちゃ困る~君大丈夫かい

 他人から恵を受けて、だまって居るのは向うを一と角の人間と見立てて、其人間に対する厚意の所作だ。割前を出せば夫丈の事で済む所を、心のうちで難有いと恩に着るのは銭金で買える返礼じゃない。無位無冠でも一人前の独立した人間だ。独立した人間が頭を下げるのは百万両より尊とい御礼と思わなければならない。
 おれは是でも山嵐一銭五厘奮発させて、百万両より尊とい返礼をした気でいる。山嵐は難有いと思って然るべきだ。

 坊っちゃんは1銭5厘の氷水について、奢られる者が奢る者に恩恵を施すという、妙に道徳的な論理を開陳する。坊っちゃんは教師に向いている。とても1ヶ月の新米教師には見えない。
 一方ベテラン教師たる赤シャツは翌朝早速坊っちゃんの机まで来て、「昨日は失敬、迷惑でしたろう」と言う。挨拶が丁寧なのは漱石の持ち味である。『草枕』の那美さんは深夜画工の寝る部屋に侵入したことを隠さない。

 昨夕は御迷惑で御座んしたろう。何返も御邪魔をして」(『草枕』第4章)

 画工――那美さん
 坊っちゃん――赤シャツ

 画工は那美さんを持て余している。画工の方が年上かも知れないが、人生のキャリアにおける格が違う。でも那美さんは画工に親しみを感じている。(『三四郎』の美禰子みたいに)姉さんじみていると言ってもいいかも知れない。坊っちゃんに対する赤シャツの態度もこれに似ている。何か策略あり気なところも共通している。坊っちゃんは赤シャツのことを何度も女みたいだと繰り返すが、女で別に悪いことはないだろう。那美さんも美禰子も男性的な女であるし、清も母もまた女である。坊っちゃんは(母のことは明言しないが)清を敬愛している。赤シャツは坊っちゃんの庇護者になりうる存在である。少なくとも漱石はそのように書いてはいるが、坊っちゃんはマドンナの件で決して赤シャツを許そうとしなかった。若い女で世渡りをしくじる。坊っちゃんはそれを(漱石によって)体現させられているようにも読める。

2回 山嵐との大喧嘩
(9月30日土曜)
(P309-1/所へ両隣りの机の所有主も出校したんで、赤シャツは早々自分の席へ帰って行った。赤シャツは歩るき方から気取ってる。部屋の中を往来するのでも、音を立てない様に靴の底をそっと落す。音を立てないであるくのが自慢になるもんだとは、此時から始めて知った。泥棒の稽古じゃあるまいし、当り前にするがいい。やがて始業の喇叭がなった。山嵐はとうとう出て来ない。仕方がないから、一銭五厘を机の上へ置いて教場へ出掛けた。)
 ・ ・ ・ 
(みんなが驚ろいてるなかに野だ丈は面白そうに笑って居た。おれの大きな眼が、貴様も喧嘩をする積りかと云う権幕で、野だの干瓢づらを射貫いた時に、野だは突然真面目な顔をして、大につつしんだ。少し怖わかったと見える。其うち喇叭が鳴る。山嵐もおれも喧嘩を中止して教場へ出た。)

おや山嵐の癖にどこ迄も奢る気だな~氷水の代は受け取るが下宿は出て呉れ~下宿料の十円や十五円は懸物を一幅売りゃすぐ浮いてくるって云ってたぜ

 控所に居た連中は何事が始まったかと思って、みんな、おれと山嵐の方を見て、顋を長くしてぼんやりして居る。おれは、別に恥ずかしい事をした覚えはないんだから、立ち上がりながら、部屋中一通り見巡わしてやった。みんなが驚ろいてるなかに野だ丈は面白そうに笑って居た。おれの大きな眼が、貴様も喧嘩をする積りかと云う権幕で、野だの干瓢づらを射貫いた時に、野だは突然真面目な顔をして、大につつしんだ。少しは怖わかったと見える。

 ターナー島の舟の上で坊っちゃんが野だに「皿のような眼」を浴びせ掛けたシーンを、読者は嫌でも思い出す。

3回 職員会議の午後
(9月30日土曜)
(P312-2/午後は先夜おれに対して無礼を働いた寄宿生の処分法に就ての会議だ。会議と云うものは生れて始めてだから頓と容子が分らないが、職員が寄って、たかって自分勝手な説をたてて、夫を校長が好い加減に纏めるのだろう。纏めると云うのは黒白の決しかねる事柄に就て云うべき言葉だ。この場合の様な、誰が見たって、不都合としか思われない事件に会議をするのは暇潰しだ。誰が何と解釈したって異説の出様筈がない。こんな明白なのは即座に校長が処分して仕舞えばいいのに。随分決断のない事だ。校長ってものが、これならば、何の事はない、煮え切らない愚図の異名だ。)
 ・ ・ ・ 
(彼はこんな条理に適わない議論を吐いて、得意気に一同を見廻した。所が誰も口を開くものがない。博物の教師は第一教場の屋根に烏がとまってるのを眺めて居る。漢学の先生は蒟蒻版を畳んだり、延ばしてる。山嵐はまだおれの顔をにらめて居る。会議と云うものが、こんな馬鹿気たものなら、欠席して昼寝でもして居る方がましだ。)

校長とは煮え切らない愚図の異名~山嵐の顔は小日向の養源寺にある韋駄天の絵に似ている~うらなり君の遅刻~狸の挨拶は謝罪から~すべては自分の寡徳の致す所

 おれは校長の言葉を聞いて成程校長だの狸だのと云うものは、えらい事を云うもんだと感心した。こう校長が何もかも責任を受けて、自分の咎だとか、不徳だとか云う位なら、生徒を処分するのは、やめにして、自分から先へ免職になったら、よさそうなもんだ。そうすればこんな面倒な会議なんぞを開く必要もなくなる訳だ。第一常識から云っても分ってる。おれが大人しく宿直をする。生徒が乱暴をする。わるいのは校長でもなけりゃ、おれでもない、生徒丈に極ってる。もし山嵐が煽動したとすれば、生徒と山嵐を退治れば夫で沢山だ。人の尻を自分で背負い込んで、おれの尻だ、おれの尻だと吹れ散らかす奴が、どこの国にあるもんか、狸でなくっちゃ出来る芸当じゃない。

 この(人の尻をおれの尻だと)「吹散らかす奴」は、原稿準拠版全集の新しい解釈であろう。従来の全集本文は初出初版以来、「吹散らかす奴」で治まっていた。吹き散らかすで別段問題はない。しかし写真版原稿で見るとはっきり「吹き」ではなく「吹れ」と書かれてある。そこで読者は前に同じ表現があったのを思い出す。

 一時間あるくと見物する町もない様な狭い都に住んで、外に何にも芸がないから、天麩羅事件を日露戦争の様に触れちらかすんだろう。(第3章3回)

「ふれちらかす」を漢字を変えて2度登場させているが、第3章の「れ」は楷書で、現代ふうの当たり前の「れ」であり、第6章の方は「連」のくずしの、変体仮名ふうのややこしい「れ」である。左上から右下へくねくねと下がり、見ようによっては「き」の字にも見える。
 これを『坊っちゃん』の定番である繰り返し話法とみれば、「吹れ散らかす」であろうし、「おの尻だおの尻だと吹散らかす」で、つい「き」の替わりに2度続いた「れ」を間違って書いてしまったのなら、「吹き散らかす」である。

 職員会議の始まりで山嵐の顔を、「おやじの葬式の時に、小日向の養源寺の座敷にかかっていた懸物は此顔によく似て居る。坊主に聞いて見たら韋駄天と云う怪物だそうだ」と書いているが、写真版原稿を見ると漱石は小日向と書くとき、一旦何かと(おそらく小石川と)迷ったようにも見える。しかし思い直して小日向と決めた。小説の最後にもう一度迷った(書き直した)のは、自分のこのときの決断がどちらに行ったのか失念したのであろう。しかし読む者はそんな迷いは関係ない。坊っちゃんは自信たっぷりに「だから清の墓は小日向の養源寺にある」と言い切っている。この「だから」は、この韋駄天のくだりで自家の墓所として、一度養源寺を紹介していたことによるが、読者がそれを記憶していたか否かに関係なく、読者にある安心感を与える機能も有する(例えば誰かに食事に連れて行ってもらうとして、その人のよく知っている店であればより安心だというような)。この仕掛けはあからさまのものではないが、また効き目の大きいものである。

4回 私は徹頭徹尾反対です。そんな頓珍漢な処分は大嫌いです
(9月30日土曜)
(P315-12/おれはじれったく成ったから、一番大に弁じてやろうと思って、半分尻をあげかけたら、赤シャツが何か云い出したから、やめにした。見るとパイプを仕舞って、縞のある絹ハンケチで顔をふきながら、何か云って居る。あの手巾は屹度マドンナから巻き上げたに相違ない。男は白い麻を使うもんだ。「私も寄宿生の乱暴を聞いて甚だ教頭として不行届であり、且つ平常の徳化が少年に及ばなかったのを深く慚ずるのであります。でこう云う事は、何か陥欠があると起るもので、事件其物を見ると何だか生徒丈がわるい様であるが、其真相を極めると責任は却って学校にあるかも知れない。)
 ・ ・ ・ 
(おれは生徒をあやまらせるか、辞職するか二つのうち一つに極めてるんだから、もし赤シャツが勝ちを制したら、早速うちへ帰って荷作りをする覚悟で居た。どうせ、こんな手合を弁口で屈伏させる手際はなし、させた所でいつ迄御交際を願うのは、此方で御免だ。学校に居ないとすればどうなったって構うもんか。また何か云うと笑うに違いない。だれが云うもんかと澄して居た。)

沈黙の会議室~赤シャツの長談義~野だの阿諛追従~坊っちゃんの発言に一同失笑~流れは教頭派に

 坊っちゃんはせっかちなので目標のはっきりしない会議はじれったい。口下手だが何か発言したい。しゃべるなら人を驚かすような警句を吐きたい。これは『猫』の迷亭と案外近い遺伝子である。迷亭も猿轡を咬まされない限り到底黙らないと書かれる。坊っちゃんは(漱石も)基本的におしゃべりなのである。若い頃押し黙っていることが多かったとすれば、それは何をしゃべったらいいか常に目まぐるしく頭の中で考えていたためで、それを5年も10年も繰り返していると、時として奔流のように迸ることもあるのであろう。(『猫』や『坊っちゃん』『草枕』の執筆のように。)

5回 山嵐吠える
(9月30日土曜)
(P318-8/すると今迄だまって聞いて居た山嵐が奮然として、起ち上がった。野郎又赤シャツ賛成の意を表するな、どうせ、貴様とは喧嘩だ、勝手にしろと見ていると、山嵐は硝子窓を振わせる様な声で「私は教頭及び其他諸君の御説には全然不同意であります。と云うものは此事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新来の教師某氏を軽侮して之を翻弄し様とした所為とより外には認められんのであります。教頭は其源因を教師の人物如何に御求めになる様でありますが失礼ながら夫は失言かと思います。)
 ・ ・ ・ 
(そんな下さらない娯楽を授けるより赤シャツの洗濯でもするがいい。あんまり腹が立ったから「マドンナに逢うのも精神的娯楽ですか」と聞いてやった。すると今度は誰も笑わない。妙な顔をして互に眼と眼を見合せている。赤シャツ自身は苦しそうに下を向いた。夫れ見ろ。利いたろう。只気の毒だったのはうらなり君で、おれが、こう云ったら蒼い顔を益蒼くした。)


山嵐がおれの言いたいことを全部言ってくれた~宿直中に温泉へ行ったことも追加で指摘された~坊っちゃんの謝罪に一同また失笑~最後に大失言「マドンナに逢うのも精神的娯楽ですか」

 山嵐の正論が半分通って、生徒は形だけでも謝罪することになった。赤シャツの御談義は最後まで続く。

「元来中学の教師なぞは社会の上流に位するものだからして、単に物質的の快楽ばかり求める可きものでない。其方に耽るとつい品性にわるい影響を及ぼす様になる。然し人間だから、何か娯楽がないと、田舎へ来て狭い土地では到底暮せるものではない。其で釣に行くとか、文学書を読むとか、又は新体詩や俳句を作るとか、何でも高尚な精神的娯楽を求めなくってはいけない……」

 赤シャツは漱石の言わないことまで言っているが、発言内容は漱石の行動をなぞっている。漱石の偉いところは、最後にその赤シャツに天罰を加えていることであろう。それを清廉潔白と思うか身勝手と取るかは、何度もいうが読み手による。

漱石「最後の挨拶」坊っちゃん篇 27

283.『坊っちゃん』1日1回(5)――日本一有名な無人


第5章 ターナー島 (全3回)
(明治38年9月29日金曜)

1回 ひろびろとした海の上で潮風に吹かれるのは薬だと思った
(9月29日金曜)
(P292-6/君釣りに行きませんかと赤シャツがおれに聞いた。赤シャツは気味の悪るい様に優しい声を出す男である。丸で男だか女だか分りゃしない。男なら男らしい声を出すもんだ。ことに大学卒業生じゃないか。物理学校でさえおれ位な声が出るのに、文学士がこれじゃ見っともない。おれはそうですなあと少し進まない返事をしたら、君釣をした事がありますかと失敬な事を聞く。あんまりないが、小供の時、小梅の釣堀で鮒を三匹釣った事がある。)
 ・ ・ ・ 
(マドンナだろうが、小旦那だろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って、分らないから聞いたって構やしませんてえ様な風をする。下品な仕草だ。是で当人は私も江戸っ子でげす抔と云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染の芸者の渾名か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺めて居れば世話はない。夫れを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。)

赤シャツ野だと課業後沖釣りへ~鮪の二匹や三匹~ターナー島の景色~マドンナとは何か

 マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染の芸者の渾名か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺めて居れば世話はない。夫れを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。

 前章に続き『三四郎』に直結するくだりである。『三四郎』では実際に「森の女」という題で丹青会へ出展された。

三四郎坊っちゃん
・美禰子=マドンナ
・野々宮=うらなり
・原口=野だ
・美禰子の許婚者=赤シャツ

 ついでに、与次郎=山嵐、広田先生=校長、三四郎の郷里の母=清、といったところか。
 山嵐と校長については異論があろうが、山嵐のおかげで坊っちゃんは辞職という決定的なトラブルに見舞われるのであるから、山嵐坊っちゃんの出処進退に一定の責任がある。これは『三四郎』では与次郎の役割であろう。坊っちゃん山嵐のことを(堀田さんでなく)君と呼んでいる。
 校長は赤シャツの理解者にして庇護者である。広田先生は野々宮だけでなく里見の兄たちも教えていた。里見恭助の友人が美禰子を娶るのであるから、広田先生は媒酌人を頼まれてもおかしくなかった。赤シャツがマドンナと地元で結婚するなら、仲人は間違いなく校長だろう。
 こう見てくると、『坊っちゃん』にあって『三四郎』にないものは、赤シャツの活躍(行動とおしゃべり)である。美禰子の結婚相手はセリフのほとんどない端役に過ぎない。

 漱石森田草平の煤煙事件で、あんな女でよければおれが書いてやるよとばかりに短期間で美禰子をでっち上げた。「森の女」にしても漱石の(作中における)評価は低い。俗物丸出しの原口はともかく、三四郎も美禰子も、漱石ファンほどには作者自身は身を入れて描いていない。(それであの造形であるから恐れ入るしかないのであるが。)
 画のタイトルを考えても、本郷の丘に立つ美禰子が「森の女」なら、ターナー島の松の木の下に坐るマドンナは、いくら団扇を持たせたとしても、「島の女」か「海の女」であろう。ところでマドンナの画題にこれほど相応しくないタイトルもないと誰でも分かるように(ゴーギャンじゃないのだから)、「森の女」という題のひどさも分かるというもの。漱石もちゃんと三四郎にそう言わせている。

2回 清を連れてこんな美しい所へ遊びに来たい
(9月29日金曜)
(P295-13/此所らがいいだろうと船頭は船をとめて、錨を卸した。幾尋あるかねと赤シャツが聞くと、六尋位だと云う。六尋位じゃ鯛は六ずかしいなと、赤シャツは糸を海へなげ込んだ。大将鯛を釣る気と見える、豪胆なものだ。野だは、なに教頭の御手際じゃかかりますよ。それになぎですからと御世辞を云いながら、是も糸を繰り出して投げ入れる。何だか先に錘のような鉛がぶら下がってる丈だ。浮がない。浮がなくって釣をするのは寒暖計なしで熱度をはかる様なものだ。)
 ・ ・ ・ 
(赤シャツは馬鹿あ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身を倚たした奴を、少し起き直る。エヘヘヘヘ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だが振り返った時、おれは皿の様な眼を野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやった。野だはまぼしそうに引っ繰り返って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭を掻いた。何という猪口才だろう。)

沖釣りは錘と糸と針だけ~鰹の一匹くらい~一番槍でゴルキを釣るが胴の間に叩きつけたら死んでしまった~赤シャツと野だもゴルキばかり~寝ころんで空を見ながら清のことを考える~山嵐を讒訴するような赤シャツと野だの内緒話

 ここでは坊っちゃんの地口の啖呵が炸裂する。前の章からの引継ぎであるが、この回では歯止めが効かなくなってしまった。

①「なもした何だ。菜飯は田楽の時より外に食うもんじゃない」(第4章2回)
②「マドンナだろうが小旦那だろうがおれの関係した事でない」(第5章1回)
③「ゴルキが露西亜の文学者で丸木が芝の写真師で米のなる木が命の親だろう」(第5章2回)
④「おれの様な数学の教師にゴルキだか車力だか見当がつくものか」(第5章2回)
⑤「バッタだろうが足踏だろうが非はおれにある事じゃない」(第5章2回)

 この「足踏」が初出以来「雪踏(せった)」で通ってきた。

バッタだろうが雪踏だろうが、非はおれにある事じゃない」(昭和までの本文)

 もちろん「バッタだろうがセッタだろうが」で正しい。ルビもまあ不要であろう(初出まではルビなし、全集版より「せった」とルビ)。おそらく漱石も雪踏(雪駄)という意味で、わざと「足踏」と書いたのだろう。草履・下駄を念頭に「せった」と書くのに、「雪」の字より「足」の字の方が実物のイメジに近い。足駄という高下駄のような履物も実際に存在する。漱石は雪踏(雪駄)の代わりに「足踏」と書いたが、植字工が勝手に「雪踏」に直してしまった。もちろん誰も気付かないし原稿を見て異を唱える人もいない。漱石本人も元々「雪踏」のつもりであるから、何とも思わない。(原稿に)ルビを付けていないことからも、漱石は特別な読みを想定していたのではないことがうかがわれる。平成版の岩波全集は原稿通りに(ルビなしの)「足踏」に戻したが、(雪踏という先入観のある)読者に対しては却って分かりにくくなったようだ。一番妥当と思われるやり方は、「足踏」とするのはいいとして、原稿にないルビを(その旨注記して)「せった」と振ることであろう。あるいは注釈を付けて従来通り「雪踏」を踏襲してもいい。間違っても、「バッタだろうがアシダだろうが」と読ませようとしてはいけない。漱石の当て字は有名だが、無理筋の当て字を認めたくないのであれば、「雪踏」を使うべきだろう。
 字面(用字)の話を度外視して漱石に、「先生坊っちゃんは、バッタだろうがセッタだろうが、と言ったのですね」と聞いてみるとよい。漱石は「うん、そうだよ」と答えるに違いない。(話は飛躍するかも知れないが、仮にここで「先生坊っちゃんは、バッタだろうがアシダだろうが、と言ったのですね」と聞いたとすると、その場合も漱石は「うん、そうかも知れない」と答えるだろう。つまり漱石の追求する真実はほかの処にあるのであって、この類いの問題については、漱石の許容範囲は限りなく広いのである。)
 しかしまあここはセッタでなければ収まりが着かないところであろう。何のために啖呵を切っているのか、寅さんが何のために雪駄を履いているのか、分からなくなってしまう。

 もう帰ろうかと赤シャツが思い出した様に云うと、ええ丁度時分ですね。今夜はマドンナの君に御逢いですかと野だが云う。赤シャツは馬鹿あ云っちゃいけない、間違いになると、船縁に身を倚たした奴を、少し起き直る。エヘヘヘヘ大丈夫ですよ。聞いたって……と野だが振り返った時、おれは皿の様な眼を野だの頭の上へまともに浴びせ掛けてやった。野だはまぼしそうに引き繰り返って、や、こいつは降参だと首を縮めて、頭を掻いた。何と云う猪口才だろう。

 坊っちゃんはここでも本気で怒っている。自分のよく知らない話を、とくに若い女の話を内緒でされるほど癇に障ることはない。「すべてお見通しだぞ」と坊っちゃんは言いたかったに違いない。あるいはおれはお前が思うほど単純な坊っちゃんではないと言いたかったのか。ここも主格が「おれ」であるがゆえの名調子であろう。繰り返すが漱石が「おれ」を主人公としてもう1作書いたなら、こうしたストレートな表現がさらに楽しめるものをと思わざるを得ない。

 もうひとつ言えば、「バッタだろうがセッタだろうが」に始まる文章と、「もう帰ろうかと赤シャツが思い出した様に云うと」の文章をつなぐ、その間に書かれている何行かの叙述に心を動かされない人はいないと思われる。

 青空を見て居ると、日の光が段々弱って来て、少しはひやりとする風が吹き出した。線香の烟の様な雲が、透き徹る底の上を静かに伸して行ったと思ったら、いつしか底の奥に流れ込んで、うすくもやを掛けた様になった。
 もう帰ろうかと赤シャツが・・・

 論者ごときがあえて言うのも失礼に当たるかも知れないが、坊っちゃんこそが(瞬間的とはいえ)、まことの詩人という名に値するのではないか。

3回 さあ君は率直だからまだ経験に乏しいと云うんですがね
(9月29日金曜)
(P300-13/船は静かな海を岸へ漕ぎ戻る。君釣はあまり好きでないと見えますねと赤シャツが聞くから、ええ寝て居て空を見る方がいいですと答えて、吸いかけた巻烟草を海の中へたたき込んだら、ジュと音がして艪の足で掻き分けられた浪の上を揺られながら漾っていった。「君が来たんで生徒も大に喜んで居るから、奮発してやって呉れ給え」と今度は釣には丸で縁故もない事を云い出した。「あんまり喜んでも居ないでしょう」「いえ、御世辞じゃない。全く喜んで居るんです、ね、吉川君」「喜んでる所じゃない。大騒ぎです」と野だはにやにやと笑った。)
 ・ ・ ・ 
(なある程こりゃ奇絶ですね。時間があると写生するんだが。惜しいですね。此儘にして置くのはと野だは大にたたく。/港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛がヒューと鳴るとき、おれの乗って居た舟は磯の砂へざぐりと、舳をつき込んで動かなくなった。御早うお帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨拶する。おれは船端から、やっと掛声をして磯へ飛び下りた。)

山嵐に気を付けろという謎かけ~赤シャツのアドバイス坊っちゃんの書生論

「そんな面倒な事情なら聞かなくてもいいんですが、あなたの方から話し出したから伺うんです」
「そりゃ御尤もだ。①こっちで口を切って、あとをつけないのは無責任ですね。夫れじゃ是丈の事を云って置きましょう。②あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は始めての、経験である。所が学校と云うものは中々情実のあるもので、そう書生流に淡泊には行かないですからね」

「正直にして居れば誰が乗じたって怖くはないです」
「③無論怖くはない、怖くはないが、乗ぜられる。現に君の前任者がやられたんだから、気を付けないといけないと云うんです」

「気をつけろったって、是より気の付け様はありません。わるい事をしなけりゃ好いんでしょう」
 赤シャツはホホホホと笑った。・・・
「④無論悪るい事をしなければ好いんですが、自分丈悪るい事をしなくっても、人の悪るいのが分らなくっちゃ、矢っ張りひどい目に逢うでしょう。世の中には磊落な様に見えても、淡泊な様に見えても、親切に下宿の世話なんかしてくれても、滅多に油断の出来ないのがありますから……。」

 赤シャツの助言は、邪魔者山嵐に対する誹謗の部分を除けば、至極尤もなものである。次に掲げる坊っちゃんの「書生論」を蹴散らす理屈を備えている。

 ・・・別段おれは笑われる様な事を云った覚えはない。今日只今に至る迄是でいいと堅く信じて居る。考えて見ると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励して居る様に思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じて居るらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、⑤坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。夫じゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教えない方がいい。いっそ思い切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世の為にも当人の為にもなるだろう。赤シャツがホホホホと笑ったのは、おれの単純なのを笑ったのだ。単純や真率が笑われる世の中じゃ仕様がない。⑥清はこんな時に決して笑った事はない。⑦大に感心して聞いたもんだ。清の方が赤シャツより余っ程上等だ。

 赤シャツの言うことはいちいち尤もである。『猫』の鈴木藤十郎君同様言うことがまともである。①②③④とも常識人としての漱石の良心を真面目に語らせているといってよい。赤シャツは半ば以上漱石である。一方坊っちゃんの書生論は面白いが説得力がない。真実味に乏しい。清の助けを藉りたい気持は分かるが、世間的にはここでは褒めるよりは窘める方が坊っちゃんの為であろう。⑥の決して笑わない態度は立派だが、感心までする必要はない(⑦)。
 それより漱石がここで⑤の「坊ちゃん」と書いていることの方が気になる。「坊ちゃん」が一般名詞で「坊っちゃん」が固有名詞(この小説の主人公)であると言いたいのだろうか。漱石はそんな器用な書き分けをするだろうか。

 そしてこの章の結びの一節は何度繰り返しても飽きない。不器用なはずの漱石がなぜこのような文章が書けるのか。坊っちゃん自身がついさっき書いたように、「底の奥」がまだある。たしかに奥が深いと思わずにいられない。

 港屋の二階に灯が一つついて、汽車の笛がヒューと鳴るとき、おれの乗って居た舟は磯の砂へざぐりと、舳をつき込んで動かなくなった。御早う御帰りと、かみさんが、浜に立って赤シャツに挨拶する。おれは船端から、やっと掛声をして磯へ飛び下りた。

 『坊っちゃん』を映像化するのであれば、このシーンを使わぬ手はない。というより、どのような作品に流用しても、素晴らしい効果を発揮するだろう。まことの詩人たる所以である。そして繰り返すが、この文章(のリズム)は3人称ではこうは行かないのである。